第8話 昼・空からの視点と教室に刻まれた手と声
部屋に戻って昼食。タッチパネルでカレーライス注文。ポチッ。
「やっぱカレーだよね!スパイスが脳を活性化!……って言い聞かせてるけど、単にカレー好きなだけかも。大好きだもん」
ウィーン、という音と共に、熱々のカレーライスが出てくる。湯気。スパイスの香り。
「いただきます!」
スプーンでカレーをすくって、ご飯にかける。黄色いルーがご飯を覆う。
その瞬間――
ルーがテーブルにポタッ。
「あー!やっちゃった!汚した!」
慌ててティッシュで拭く。でも微妙にシミになってる。黄色いシミ。
「まあいいや、誰も見てないし……あ、でも監視カメラには見られてるか……」
天井の監視カメラに向かって、舌を出す。ペロッ。
「見てたらごめんなさい。でもカレーのシミは仕方ないから」
カレーを一口。スプーンで口に運ぶ。
「美味しい!辛い!でも美味しい!」
食べながら、さっき見た学校のことを考える。頭から離れない。
「760人の子供たちかぁ……給食の時間とか、すごい賑やかだったんだろうな……」
「『いただきます』って、760人で言ったら、どんな音だろう……」
スプーンを口に運びながら、ふと思う。資料に書いてあったこと。
「あ、そういえば最後の運動会……昭和48年9月7日……80周年記念大運動会……」
「きっと盛り上がったんだろうな……紅白対抗……応援合戦……」
「その半年後に閉校なんて、誰も思ってなかったよね……まさか、これが最後だなんて……」
カレーを食べ終わって、口を拭く。
「よし、午後は本格撮影!空から撮る!」
ドローンを持って、再び学校へ。
長いスカートの裾を持ち上げながら歩く。もう慣れてきた……と思ったら――
また踏む。
「うわっ!」
転びそうになって、ドローンを抱えて必死にバランス。グラグラ。
「危ない!ドローン落とすとこだった!心臓止まるかと思った!」
心臓がバクバク。ドキドキドキドキ。
「このスカート、本気で危険!凶器!凶悪!」
校舎の前に立って、深呼吸。落ち着け、私。
コントローラーの画面で校舎全体をタップ。白い枠が校舎を囲む。
「えーっと、ここをタップして……『自動撮影開始』……ポチッ!」
ドローンが滑らかに飛び始める。ブゥゥゥン。プロペラの音。
もう怖くない。昨日の暴走がウソみたい。成長した。
「すごっ!昨日マスターした技術!私、成長してる!レベルアップしてる!」
手元の画面にリアルタイムで映像が送られてくる。
7階の教室。窓の中。机の残骸。
屋上の手すり。錆びた鉄。
壁の隅々まで。ヒビ割れ。コンクリートの風化。
「うわー!7階建てが全部見える!全体像が見える!」
「あ、屋上に何かある!……なんだろう……追加の教室?……」
興奮して画面に夢中になりすぎて、後ろに下がったら――
石につまずく。
「わっ!」
なんとか踏みとどまる。でも心臓バクバク。
「危なかった……コントローラー落としたら終わりだった……壊れたら……気をつけないと……」
でも、画面から目が離せない。
普段絶対見られない角度からの景色。鳥の視点。神の視点。
「教室の中、机がまだ残ってる!一列に並んでる!」
「黒板に何か書いてある……読めないけど……文字が見える……」
「あ、これ理科室!実験器具がそのまま!ビーカーとか、フラスコとか!」
夢中でモニターを見てたら――
視界の端に、黄色い光がチラチラ。光の粒が空中で揺れてる。
「ん?」
また来た。共感覚的記憶。場所に残る記憶。
子供たちの笑い声が、黄色い光の粒になって弾けてる。キラキラ。ピカピカ。
「チャイムの音が聞こえる気がする……キーンコーンカーンコーン……」
『起立』
先生の声。
『礼』
子供たちが一斉にお辞儀する気配。
『着席』
椅子を引く音。ガタガタガタ。
ランドセルをロッカーに入れる音。バタン、バタン。
「給食のカレーの匂いも……あれ、今日の昼ご飯と同じだ……」
不思議な感覚に包まれながら、撮影を続ける。現実と幻が混ざり合う。
撮影が終わって、ドローンが戻ってくる。ゆっくりと降下。
手のひらでキャッチ。
「おかえり!今日も完璧!ありがとう!」
ドローンに話しかける自分が、もう当たり前になってる。違和感ゼロ。
「私、ドローンに話しかけるの普通になってきた……ヤバくない?おかしくない?……まあ、いいか」
撮れた写真を確認。モニターをスクロール。
ブレもなく、完璧な重複率。理想的。
「やった!完璧!パーフェクト!」
調子に乗って、もう一回飛ばす。今度は65号棟との連結部分を重点的に。
「7階が繋がってるって、どういう構造なんだろう……渡り廊下?」
「こっちからも撮っとこう!データは多いほうがいい!保険!」
体育館の跡も発見。71号棟。
「あ、これが体育館!2階建て!昭和45年建設……閉山の年……最後の建物……」
「1階が格技場と給食室……給食室から直接エレベーターで各階に運んでたのか!システマチック!」
モニターに映る給食室の跡。大きな釜の台座が残ってる。コンクリートの土台。
「ここで毎日760人分の給食を作ってたんだ……すごい量……想像できない……」
「カレー何十キロ?ご飯何升?」
夢中になりすぎて、気づいたら2時間も経ってた。時計を見て驚く。
「やば!もうこんな時間!時間泥棒!」
汗だく。セーラー服が肌に張り付いて気持ち悪い。べったり。
「この服、暑すぎ!通気性ゼロ!なんでこんな厚い生地なの!サウナスーツ!」
でも、充実感で胸がいっぱい。疲れたけど、満たされてる。
「今日のデータも完璧……最高……」
地上からの撮影も追加で。念には念を。
校舎の入り口、廊下、階段。昨日学んだ重複率80%を守って、慎重に。3歩進んで撮って、1歩進んで撮って。
教室を一つ一つ覗きながら撮影。丁寧に。
「4年2組……机が並んでる……小さな机……」
「3年1組……黒板に落書き?『さよなら』って書いてある気がする……かすかに見える……」
教室の中央に立つと、驚くほど静かだった。
静寂が、音を押し返すような強さで存在してる。
黒板がある。
死んだ黒ではなく、生きた黒。かつて無数のチョークが滑り、文字が書かれ、消され、また書かれた。その痕跡が、微かに残ってる。
壁に、擦れた手の跡。
子どもの背丈ほどの高さ。小さな手形が、何度も何度も触れた跡。転んで、手をついて、立ち上がった子どもたち。
ここに、確かに生きていた。
私の喉が、詰まる。
ランドセルの残骸を見つける。ボロボロになって、形も崩れてる。赤い色が辛うじて残ってる。
「誰かのランドセル……」
恐る恐る触れた瞬間――
温かいオレンジ色の光。家族の色。愛情の色。光の粒が揺れてる。
「大切にしてたんだね……毎日背負ってたんだね……」
階段を上りながら、各階の教室を撮影。
撮影設定を変える。ISO上げて、シャッタースピード落として。また上げて、また落として。試行錯誤。明るさを探る。光を探す。
2階、3階、4階。小学校の教室。小さな机と椅子。可愛いサイズ。
5階。中学校の教室。机が少し大きくなる。椅子も高くなる。
「ここで勉強してたんだ……ミカと同じくらいの年の子たちが……数学とか、英語とか……」
ふと思う。もしミカがここにいたら、どんな風に撮影しただろう。
きっと「ユイ、こっちも撮ろう!」って言いながら、はしゃいてるんだろうな。「この教室可愛い!」とか言って。
「ミカ……今頃何してるかな……授業中かな……それとも部活?」
一瞬、寂しさが込み上げてくる。胸がキュッとなる。
でも、首を振る。ダメダメ。
「ダメダメ、今は集中!センチメンタルになってる場合じゃない!」
姿勢を低くする。三脚を下げて、子どもの視線の高さに。
ファインダーを覗く。
子どもたちは、この高さから世界を見ていた。
机が大きく見える。黒板が高く見える。窓の外の空が、まぶしい。
涙が、溢れそうになる。
誰がここで笑い、誰が未来を夢見て、誰がこの島に帰ってこなかったのか。
窓の外から、潮風が吹き込んでくる。海の匂い。鉄の匂い。粉塵の匂い。
島全体が、呼吸してる。
6階の講堂。広い空間。床は抜けてて危険。穴がぽっかり。覗くと怖い。
でも、周りから撮影。いろんな角度から。
「卒業式の日、ここに集まったんだよね……760人が……」
「保護者も来て、先生たちも来て……泣いて、笑って……」
壁に残る『卒業おめでとう』の文字を撮影。かすれた文字。でも、確かに読める。
「これも残さなきゃ……絶対に……」
7階。最上階。理科室と中学校の教室。
「ここまで毎日上がってたのか……エレベーターないのに……7階まで……」
「給食はエレベーターで来るけど、人は階段……足腰強くなるわけだ……」
窓から外を見る。海。青い海。空。青い空。
島全体が見える。廃墟の建物群。灰色のコンクリート。
「眺めいいな……でも、ここから陸地は見えない……見えるのは海だけ……」
「毎日この景色を見てた子供たち、どんな気持ちだったんだろう……」
「『いつか島を出て、もっと広い世界を見たい』って思ってたのかな……」
「高校進学率90%越えって、本当にすごい……」
「狭い島でも、いや、狭い島だからこそ、外の世界を夢見てたのかも……」
撮影を終えて、校舎を出る。
振り返って、7階建ての巨大な校舎を見上げる。白かった校舎。今は灰色。でも、堂々と立ってる。
「760人の子供たちが、ここで笑って、泣いて、学んで、成長した……」
「その記憶、ちゃんと残すからね。約束する」
夕方のオレンジ色の光が、白い校舎を照らしてる。黄金色に染まる校舎。
「きれい……魔法みたい……」
最後に何枚か撮影して、静かに部屋に戻る。
足を引きずりながら。スカートの裾を持ち上げながら。
「疲れた……足が痛い……」
今日の撮影枚数、確認する。
「3200枚……今までで最多……よく頑張った、私……」
充実感でいっぱいだった。疲れたけど、満たされてる。やりきった。
夜の気配が、島を包み始めていた。




