第88話 朝・最後のピースとデザート
三十日目の朝。
「ついに……この日が来た……」
目を覚ますと、胸に不思議な感覚があった。嬉しいはずなのに、寂しい。帰れるのに、名残惜しい。複雑な気持ちが、胸の中でぐるぐる渦巻いてる。
LAUNDRYボックスを開けると、今日の衣装は白のブラウスと紺色のスカート。
「え……これって……」
まるで、卒業式みたいな服装。清楚で、きちんとしてて。
手に取って、着替える。生地が柔らかくて、肌触りがいい。鏡を見ると、なんだか本当に卒業式に出る自分みたい。28日間で少し変わった自分が、そこにいる。
「本当に……卒業式みたいだね……」
グンちゃんが「にゃあ?」って鳴く。
「どう?卒業式っぽいでしょ」
「にゃあ」
「うん、似合ってるよね。最後だから、ちゃんとした格好で」
朝食のタッチパネルを開くと、今日はモーニングセット。
「え、フルコース!?」
出てきた朝食を見て、目を丸くする。パン、サラダ、スープ、全部ある。豪華すぎる。今までで一番豪華かも。
そして、メッセージが表示される。
『最後だからサービス』
「……!」
胸が熱くなる。誰かが見守ってくれてたんだ。ずっと。この30日間、ずっと。
「ありがとう……」
涙が出そうになる。ぐっとこらえる。
パンを一口かじる。焼きたてで、バターの香ばしい匂いがふわっと広がる。外はカリッと、中はふわふわ。
「美味しい……!パンもサラダもスープも、全部美味しい!最高の朝だ!」
サラダは野菜がシャキシャキで新鮮。スープは温かくて、体に染みる。丁寧に作られてる。
窓の向こうを見ると、ケンタくんも同じように食べてる。窓越しの、最後の朝餐。一緒に。同じものを食べて、同じ時間を過ごしてる。
「最後……なんだよね……」
もう会えなくなるのかな。そう思うと、胸が苦しい。
食べ終わったその時、タッチパネルが陽気な音楽を鳴らし始めた。
「え、音楽!?」
画面を見る。
『最終日到達おめでとうございます!』
「おめでとう……って……」
『豪華デザートプレートを贈呈します!』
「デザート!?」
ウィーンって音とともに、出てきたのは——
「うわ……!すごい……!」
フルーツ、プチケーキ、チョコレート、クリーム。美しく盛り付けられた宝石箱みたいなデザートプレート。色とりどりで、まるで芸術作品。
一口食べると、甘さが口いっぱいに広がる。イチゴの酸味と、クリームの甘さが完璧に調和してる。
「美味しい……!幸せ……」
もう一口。今度はチョコレートケーキ。濃厚で、とろける。
窓の向こうを見ると、ケンタくんも同じデザートを食べてる。窓越しの、最後の甘い時間。分かち合った。目が合って、お互いに笑顔になる。
食べ終わって、カメラを手に取る。
「この部屋……撮影しておこう」
30日間を過ごした、小さな城。本棚も。カシャ。たくさんの知識をくれた。ベッドも。カシャ。何度も眠って、夢を見た。窓も。カシャ。ケンタくんとつながる、唯一の窓。全部。記憶に残すために。
最後に、机の上のボトル子と向き合う。
彼女はずっと笑顔だ。私が泣いてる時も、怒ってる時も、ずっと笑っててくれた。
一日目の夜。絶望して泣いてた私に、彼女は笑いかけてくれた。
十五日目。心が折れそうになった時も、彼女は変わらず笑ってた。
二十六日目。徹夜で頑張った時も、ずっと見守ってくれてた。
「連れて行ってあげられなくて、ごめんね」
撫でる。プラスチックの冷たい感触。でも、私には温かく感じる。30日間の温もりが、そこにある。
「ボトル子。私、もう大丈夫だから」
彼女を、窓辺に置く。一番眺めのいい場所に。海が見える場所に。
「ここから、ずっと海を見てて。次に来る人のことも、笑顔で見守ってあげてね」
涙が溢れる。でも、悲しい涙じゃない。
「……ありがとう、私の親友」
ボトル子は、変わらず笑ってる。いつもの、優しい笑顔で。
最後にカシャ。シャッターを切る。
「ありがとう、この部屋……」
声が震える。でも、大丈夫。私は、もう一人でも大丈夫。
PCを起動して、最後のデータを統合する準備をする。島の最後のピースを、はめる前に。
窓の向こうを見ると、ケンタくんもこちらを見てる。真剣な表情。顔を見合わせて、頷き合う。最後の仕事。一緒に。
その時、グンちゃんがメモを運んできた。
「にゃあ!」
「グンちゃん!」
駆け寄る。首輪のメモを外して、開く。
『26番の花、補正完了した』
「……!ありがとう……」
胸が熱くなる。ケンタくん、最後まで丁寧に仕上げてくれた。
データを受け取って、開く。一輪の花。きれい。補正されて、もっときれい。色も鮮やかで、花びらの一枚一枚が繊細。
完成した軍艦島の3Dモデルを開いて、65号棟の片隅、写真が撮られたであろう場所に、そっと配置する。マウスを動かして、位置を調整して。
カチリ。
はまった。
その瞬間。
画面の中の黄色い花が、ふわりと揺れた気がした。
「……!」
それを合図にするように、画面全体に光の粒子が走る。キラキラと、星屑のように。
灰色だったコンクリートの壁に、夕日の赤が、海の青が、錆の赤茶色が、鮮烈な「色」として灯っていく。
まるで、モノクロの島に、再び血が通ったみたいに。
「……生きてる」
データなのに。ただの数字の羅列なのに。
この島は今、私たちの手の中で、確かに呼吸を始めた。
5,300人が暮らした記憶。26番さんの想い。私とケンタくんの30日間。
全部が、この一輪の花に集まって、島全体に命を吹き込んでいく。
「きれい……」
画面を見つめる。涙が溢れる。止まらない。
過去の挑戦者の魂を救済して、その想いを未来へ継承する。これが、私たちの最後の仕事。
最後のピースが、カチリと、はまった。完璧に。
「完成……した……」
涙が溢れる。止められない。画面が滲む。
今日も、一人じゃなかった。そして、完成した。本当に、完成した。




