第86話 昼・それぞれの島巡りと記憶の贈り物
お昼になって、お腹がぐーってなった。
「お腹すいた!」
タッチパネルでチキンライスを注文。ウィーンって音とともに、ケチャップの香ばしい匂いが漂うチキンライスが出てくる。湯気が立ち上って、食欲をそそる。
「わあ、懐かしい!」
一口食べると、子供の頃の味が口いっぱいに広がる。お母さんが作ってくれた、あの味。休日のお昼に、よく作ってくれた。
「美味しい……」
ケチャップの甘酸っぱさと、バターの香りと、鶏肉のジューシーさが絶妙。チキンの食感も完璧。もぐもぐ食べながら、なんか涙が出そうになる。
「なんで?なんで食べ物で泣きそうになってるの、私?」
でも、分かる。懐かしいから。家族を思い出すから。普通の生活を思い出すから。
グンちゃんにも少しあげる。
「はい、グンちゃん。チキンライス、美味しいよ」
「にゃあ」
食べながら、また魔法少女について考える。
「ねえボトル子、これ、子供の頃の味なんだよ。懐かしくて、ちょっとウルっときちゃった」
「魔法少女ってさ、大抵は普通の女の子が選ばれるんだよね。特別な力を与えられて、世界を救う。私も、ここに来るまでは普通の高校生だった。でも、この島で……何か特別なことができた気がする」
ボトル子は笑ってる。いつもの、優しい笑顔。
「魔法少女は、大切なものを守るために戦う。私も、この島の記憶を守るために戦った。そう思うと……私も魔法少女なのかな?」
杖を見る。キラキラしてる。まるで、本当に魔法が宿ってるみたいに。
「この杖……私の、魔法の杖……」
食べ終わって、メモを書く。ペンを握る。何書こう。最後の島巡り。
『島を、もう一度、巡らない?』
これでいいかな。最後にもう一度、この島を歩きたい。思い出の場所を、もう一度見たい。
「お願い、グンちゃん。届けてくれる?」
「にゃあ」
「ありがとう」
グンちゃんが出発して、しばらくすると、返事が戻ってきた。
「にゃあ!」
「グンちゃん、お疲れ様!」
開く。手が震える。
『行こう』
「……!」
たった二文字。でも、その二文字が嬉しくて、胸がキュンってなった。ドクンって、心臓が大きく跳ねた。
「行こう、って……うん、行こう!」
私たちは、それぞれの思い出の場所を、最後に訪れることにした。
カメラと魔法の杖を持って外に出る。でも、今日は撮影のためじゃない。ただ、見るため。この目に焼き付けるため。心に刻むため。
「魔法の杖、持ってきちゃった……なんか、お守りみたいな気がして……」
杖を握りしめる。温かい。心強い。
まずはちどり荘へ。すべてが始まった場所。
「ここから……全部始まったんだよね」
ちどり荘前の堤防に立つ。波が穏やかに打ち寄せてる。ザザーン、ザザーンって、優しい音。空は青くて、雲一つない。風が、髪を優しく撫でていく。
「懐かしい……あの時は、本当に怖かった」
Day1の朝。目覚めて、窓の外を見て、絶望した。でも、今は違う。この島が、愛おしい。大切。かけがえのない場所になってる。
その時、視界の端に、淡い光が揺らめいた。
「あ……」
お祖母ちゃんから受け継いだ、共感覚的記憶。でも、今日は、いつもと違う。もっと鮮明で、もっと温かい。もっと、確かに感じられる。
港に、人の姿が見える──いや、見えた気がする。
荷物を運ぶ人、船を待つ人、手を振る人。セピア色の記憶が、一瞬だけ、カラーで蘇った。鮮やかな色彩。生き生きとした表情。
「ここに……たくさんの人がいたんだ……」
「まるで……魔法みたい……過去が見える……」
涙が滲む。拭う。でも、嬉しい涙。
次は学校。階段を上って、教室に入る。息を切らせながら。
「ここで、たくさん撮影したなあ」
机と椅子。黒板には、まだあの化学式の落書きが残ってる。チョークの粉が、光を受けて舞ってる。
そして、聞こえてきた。
子供たちの笑い声。
「え……」
授業中の先生の声。チョークの音。カツカツって、黒板を叩く音。机を叩く音。ページをめくる音。
幻聴じゃない。記憶の音。この場所に刻まれた、確かな生活の音。確かに、ここにあった音。
「ここで……勉強してたんだね……」
涙が溢れそうになる。ぐっとこらえる。でも、目頭が熱い。
次は病院。あのナース服を着た場所。
「あー、恥ずかしかった!めっちゃ恥ずかしかった!」
一人で叫ぶ。でも、今は懐かしい。あの時の恥ずかしさも、今は大切な思い出。
病院の廊下を歩くと、また光が見える。白衣を着た人、看護師さん、患者さん。ストレッチャーを押す音。
コツコツという足音。消毒液の匂いがする気がする。鼻の奥が、ツンってする。
「ここで……たくさんの人が助けられたんだ……」
命が救われた場所。痛みが癒された場所。
次は神社。地獄段を登って、息を切らせながら、端島神社に着く。
「ここも……きれいだった」
鳥居の前で手を合わせる。静かで、神聖な空気が流れてる。風が、木の葉を揺らす。
そして、目を閉じると──
お祭りの音が聞こえた。
太鼓の音。笛の音。人々の歓声。御輿を担ぐ掛け声。「わっしょい!わっしょい!」
「……すごい」
瞼の裏に、色とりどりの光が踊る。祭りの提灯の明かり。浴衣を着た人々。笑顔、笑顔、笑顔。子供たちが走り回る。屋台の匂い。綿菓子の甘い香り。
「この島……こんなに賑やかだったんだ……」
涙が頬を伝う。拭う。でも、止まらない。嬉しい涙。感動の涙。
「ありがとうございました。いろいろ、勉強になりました」
深く、深く、お祈りして、メモを書く。
『港、学校、病院、神社、巡ったよ。そっちは?』
グンちゃんに託す。しばらくして、返事が来る。
『30号棟、南部プール、灯台、地下通路。全部、懐かしい』
「……!」
彼も、同じように、思い出の場所を巡ってるんだ。同じ島なのに、違う場所。違う思い出。でも、同じ気持ち。同じように、名残惜しい気持ち。
「ケンタくんも……懐かしいって思ってるのかな……」
胸がきゅうってなる。この感じ、何?寂しいのに、嬉しい。切ないのに、温かい。
最後に、65号棟前の児童公園に向かう。あのブランコがある場所。
錆びたブランコに座って、キィ、キィって音を立てながら漕ぐ。魔法の杖を膝に置いて。星のモチーフが、揺れるたびにキラキラ光る。
「ここで……あの時……」
東京のこと、ミカのこと、チョコミントアイスのこと。全部思い出した。そして、子供たちの幻聴が聞こえた。
でも今日は、もっとはっきり聞こえる。もっと、鮮明に。
「鬼ごっこしよう!」「待ってー!」「次は私がブランコ!」
子供たちの声。笑い声。走る足音。砂を蹴る音。
ブランコを漕ぎながら、私も笑ってた。自然と、笑顔になってた。
「楽しそう……みんな、楽しそう……」
ブランコを止めて、立ち上がる。魔法の杖を握りしめる。
「この杖に本当に魔法の力があったら……この子供たちに会えたのかな……」
杖を空に向ける。キラキラした星が、青い空に映える。
その時、グンちゃんが走ってきた。
「にゃあ!にゃあ!」
「グンちゃん!?どうしたの?」
グンちゃんの口に、何か咥えてる。小さな、茶色い、四角いもの。
「それ……何?」
グンちゃんが私の足元に落とす。
拾い上げる。手が震える。
古い、色褪せた写真だった。
「写真……!」
手が震える。全身が震えてる。写真には、家族が写ってる。お父さん、お母さん、そして小さな女の子。みんな、笑顔。
背景は──65号棟。
写真の裏を見ると、色褪せた文字で書かれてる。インクが滲んでる。
『昭和48年 端島にて』
そして、小さく。
『いつか、また会おうね』
「……!」
涙が溢れた。止まらない。視界が滲む。
「26番さん……これ……26番さんの……」
グンちゃんが「にゃあ」って鳴く。優しい声で。
「どこで見つけたの?」
グンちゃんは答えない。でも、その目が優しい。知ってるような目。
この写真の女の子が、大人になって、島を離れて、そして──
閉山後のいつか、忍び込んで、65号棟に花を置いた。
「会いたかったんだね……お父さんやお母さんに……この島に……」
私の涙が、写真に落ちそうになって、慌てて拭う。大切な写真。傷つけちゃダメ。
「ありがとう、グンちゃん……これ、大切にする……」
ポケットに写真を仕舞う。胸に当てる。温かい。
「この人の想いも……ちゃんと残すから……」
魔法の杖を空に向ける。
「26番さん……この杖に魔法の力があったら……あなたにもう一度会わせてあげたかった……お父さんと、お母さんと……」
涙が止まらない。でも、声は出せる。
「ありがとう、児童公園。ありがとう、軍艦島。ありがとう、26番さん」
小さく呟いて、部屋に戻る。
「ただいま」
「ねえボトル子、全部巡ってきたよ。そして……すごいもの、見つけた」
写真を見せる。
「この人も……この島のこと、忘れられなかったんだね」
「にゃあ」
「グンちゃん、今日もお疲れ様。ありがとう」
夕方になって、窓の外を見ると、夕陽がオレンジ色に空を染めてる。赤と金色が混ざって、海を照らしてる。
「きれい……」
ケンタくんの部屋も見える。彼も窓辺にいて、同じ夕陽を見てる。同じ光を浴びてる。
「同じもの見てるんだね……」
この島、私のこと覚えててくれるかな。
いや、逆だ。
私が、この島のこと、絶対に忘れない。絶対に。
今日も、一人じゃなかった。そして、最後の島巡り。全部、大切な思い出。忘れない。絶対に。心に刻んだ。




