第7話 朝・学び舎の記憶とセーラー服の重さ
三日目の朝。波の音で目が覚める。規則正しい、途切れることのない波の音。もうすっかり慣れた。目覚まし時計がなくても、体が勝手に朝を知ってる。海が教えてくれる。
重い瞼をこじ開けて、LAUNDRYボックスの蓋を開ける。今日はどんな衣装が――
「……は?」
思わず二度見した。いや、三度見した。
「セーラー服!?しかも旧制高校のやつ!?大正ロマン!?」
紺色の生地。深い、濃い紺色。足首まで隠れそうな長いスカート。裾が床につきそう。手に取ってみると――
ずっしり。
「重っ……!」
思わず手が下がる。こんなに重いの?布なのに?まるで時間の堆積を肩に背負わされてるみたい。何年分の歴史が、この布に織り込まれてるんだろう。
「なにこれ、大正ロマンのコスプレじゃん!衣装担当さん、ついに頭おかしくなった?ノスタルジーの暴走?」
でも、他に選択肢はない。これを着るか、昨日の服をもう一回着るか。いや、昨日の服は洗濯中。詰んだ。
恐る恐る袖を通す。腕が重い。肩が重い。
スカートを履く。腰が重い。足が重い。
「うわ、重っ!なんでこんなに生地厚いの?防弾チョッキ?ケブラー繊維?」
全身に錘をつけてるみたい。動きにくい。歩きにくい。
鏡を見る。
そこに映ってたのは、なんか時代劇に出てきそうな女学生。『はいからさんが通る』の主人公?『ちはやふる』のかるた部?
「似合ってる……のか?いや、似合ってるかどうかじゃなくて、なんで急にコスプレ?意味不明」
袖を伸ばしてみる。長い。手首がすっぽり隠れる。袖口が揺れる。生地が張って、まるで自分の意志を持ってるみたい。
スカートの裾を持ち上げてみる。ずっしり重い。裾が重力に引かれて、ゆっくりと下がっていく。
「階段とか降りる時、絶対踏みそう……これで一日過ごすの?マジか。拷問か」
でも――
今日の撮影対象を確認して、妙に納得してしまった。
【Day3:端島小中学校(70号棟)・体育館(71号棟)】
「なるほど……学校だからセーラー服ね……安直すぎでしょ!直球すぎでしょ!」
呆れつつも、でも、ちょっとだけ気分は出る……かも?
「テーマパークのコスプレイヤーになった気分……」
タッチパネルをポチッと押して、おにぎり注文。今日は梅干し、鮭、昆布の3個セット。
「こういうサバイバル生活の朝は、やっぱりおにぎりだよね。シンプルイズベスト!日本人の原点!」
ウィーン、という音と共に、おにぎりが出てくる。
梅干しおにぎりを頬張る。パクリ。ご飯粒が頬についてるのに気づかず、そのままPCで資料を開く。
『軍艦島解説資料』の学校の項目。文字が並ぶ。読む。読んで、読んで、読みまくる。
「端島小中学校……明治26年創立!?1893年!?130年以上前!?」
驚いて、思わずおにぎりを口から離す。米粒がポロポロ落ちる。
「あ、もったいない!」
慌てて拾って、口に戻す。3秒ルール。セーフ。
さらに読む。目が釘付けになる。
「7階建ての白亜のマンモス校舎……昭和33年に鉄筋コンクリート造で建設……1958年……」
「え、ちょっと待って。7階建て!?小中学校で!?7階!?」
驚きすぎて、おにぎり落としそうになる。慌てて手で受け止める。セーフ。
「危ない!もったいない!ご飯粒一つも無駄にできない!」
口に押し込んで、もぐもぐしながら、資料を読み続ける。止まらない。
「1階から4階が小学校……5階と7階の一部が中学校……6階に図書室と講堂……」
「講堂まであるの!?うちの学校より設備良くない!?完全に負けてる!」
「7階に化学実験室と被服室……特殊教室……充実しすぎ……」
最盛期の児童生徒数を見て、さらに驚く。画面に顔を近づける。
「小学生524人、中学生235人……合わせて約760人!?」
「760人!?この小さな島に760人の子供!?どんだけ密集してたの!?人口密度やばい!」
東京の小学校だって、そんなにいない。いや、いるかもしれないけど、この小さな島に760人。想像を絶する。
写真を見る。セピア色の古い写真。白い巨大な校舎が、まるで要塞みたいに、いや、お城みたいに、空に向かって聳え立ってる。
「校訓は『至誠・博愛・健康』……なんか立派……かっこいい……」
「至誠……誠実であること」
「博愛……みんなを愛すること」
「健康……体を大切にすること」
シンプルだけど、深い。
「高校進学率90%越え!?すごっ!今のうちの学校より高いかも!というか、絶対高い!」
「離島なのに!本土より進学率高いとか!どういうこと!?」
さらに読む。目が止まる一文。
「あ、給食用エレベーターがあったんだ!島内唯一のエレベーター!」
「配膳用エレベーター……1970年に設置……7階まで給食運ぶの大変だもんね……」
想像してみる。給食室で作られた温かいカレー。大きな寸胴鍋。それがエレベーターに乗せられて、ウィーンと上がっていく。7階の教室で待ってる子供たち。お腹すかせた子供たち。「今日の給食なんだろう」ってわくわくしながら待ってる。
「今日の給食なんだろうって、楽しみだったんだろうな……カレーの日は嬉しかったんだろうな……」
鮭おにぎりをパクリ。
「でも給食の支給が始まったのは閉山間際……昭和45年……遅かったんだ……」
「それまでは昼休みに家に帰ってたって……300mくらいしかないから……近いもんね……」
昆布おにぎりを食べ終えて、頬についたご飯粒を取る。ペタペタついてる。
「あ、ついてた……恥ずかしい……誰も見てないけど……」
朝食を終えて、日焼け止めを塗る。もう日課。ルーティンワーク。
「顔、首、腕……あ、足首も!このスカート長いけど、歩いてる時にちらっと見えるとこ焼けたら変だし!ツートンカラーになったら恥ずかしいし!」
ボトルからクリームを出して、べたべた塗りたくる。顔が真っ白。
「うわ、べたつく……でも日焼けよりマシ!絶対マシ!」
虫除けスプレーもシュッシュッ。腕に、足に、首筋にも。
「昨日刺されたとこ、まだ痒い……赤く腫れてる……」
カメラとドローンを準備。もう手慣れたもの。プロの仕事。
バッテリーチェック。OK。SDカードチェック。OK。
「よし、完璧!準備万端!」
ロケハンのために、島の北端の巨大校舎へ向かう。
廊下を歩く。長いスカートの裾を持ち上げながら。重い。歩きにくい。
「なんで昔の人はこんなの着てたの?動きにくすぎ!ファッションより機能性でしょ!?」
階段を下りる。慎重に。一段一段。
途中で裾を踏んで転びそうになる。
「あぶなっ!やっぱり!踏んだ!」
手すりを掴んで、なんとか踏みとどまる。心臓がバクバク。
「危ない……気をつけないと……転んだらカメラ壊れる……」
外に出る。むわっと生温い空気。強い日差し。
近づくにつれて、校舎の威圧感に気圧される。7階建ての巨大な白い建物。いや、白かった建物。今は灰色に変色してる。窓ガラスはほとんど割れてて、黒い空洞が無数に口を開けてる。まるで巨大な生き物が、こっちを見てる。
「うわぁ……巨大すぎる……これが小中学校?!学校っていうより、要塞?ビル?」
立ち止まって、見上げる。首が痛くなるくらい高い。7階。地上から屋上まで、何メートル?20メートル?もっと?
「窓が大きい……あ、資料に書いてあった……」
思い出す。さっき読んだ資料。
『昼間でも電灯をつける環境だったため、子供たちに少しでも日光を浴びさせるために、窓を大きく設計した』
「なんか切ない……子供たちに少しでも太陽の光を……」
狭い島。密集した建物。太陽の光が届かない場所。それでも、子供たちには光を。
胸がキュッとなる。
校舎の入り口から中を覗く。瓦礫だらけ。でも、かすかに黒板が見える。黒い板。緑色に変色した黒板。
「あ、黒板!まだ残ってる!ちゃんと残ってる!」
中に入ろうとして、一歩踏み出した瞬間――
足元の瓦礫につまずく。
「わっ!」
長いスカートのせいで足元が見えにくい。バランスを崩す。
「このスカート、本当に邪魔!視界遮りすぎ!」
なんとか踏みとどまって、慎重に中に入る。
薄暗い廊下。ひんやりしてる。外の暑さが嘘みたい。
土埃の匂い。粉塵の匂い。カビの匂い。湿った空気。古い建物の匂いが混ざって、鼻の奥に重くのしかかる。
3階の職員室を探す。資料によると、教科書とか出席簿が残ってるはず。見てみたい。
階段を上る。一段一段。重いスカートが足に絡みつく。
「はぁ、はぁ、なんでこんな段差高いの?それともこのスカートが重いだけ?両方?」
胸が締め付けられる。汗の粒が額に浮かぶ。息苦しい。セーラー服の襟が喉に当たって、呼吸が浅い。
2階。3階。やっと到着。
廊下を歩く。
パタン、パタン。
私の足音だけが、乾いた音を立てる。
教室が並んでる。一つ、二つ、三つ。
かすかに、子どもたちの足音の残響が聞こえる気がする。タッタッタッ。走り回る音。笑い声。
職員室を発見。ドアが半開き。
「あった!職員室!」
中を覗く。
そこには――
本当に、教科書が散乱してる。机の上には出席簿らしきものも。インク瓶の跡。ペンの跡。
「すごい……50年前のまま時が止まってる……タイムカプセル……」
手を伸ばそうとして、やめる。触っちゃダメな気がする。これは、記憶。誰かの大切な記憶。
「これ、最後の出席簿かな……昭和49年3月……」
ページがめくれてる。名前が並んでる。一人一人の名前。
長与、野母、崎戸、坂本――
一人一人に顔があって、声があって、笑顔があって、夢があったんだ。
「みんな今、どこで何してるんだろう……」
「おじいちゃんおばあちゃんになってるよね……孫がいるかな……」
私も今、高校生だ。この出席簿に名前があった子たちと、たぶん同じくらいの年だったんだ。セーラー服を着て、勉強して、友達と笑って。
さらに上へ。4階、5階、6階。
「図書室と講堂があるはず……6階……」
階段を上る足が重い。スカートが重い。汗が額から流れる。
6階到着。広い空間。
講堂だ。
床は抜けてて危険。穴がぽっかり空いてる。覗くと、下の階が見える。怖い。
でも、確かに講堂の跡。天井が高い。広い空間。
「ここで入学式とか卒業式とか……」
「760人が集まったら、ぎゅうぎゅうだったろうな……保護者も来たら、もっと……」
壁を見る。
かすかに、文字が残ってる。ペンキで書かれた文字。
『卒業おめでとう』
「……泣ける」
目頭が熱くなる。ダメダメ、今は泣いちゃダメ。
7階まで上がってみる。最上階。もう限界。足がガクガク。
「理科室と中学校の教室があるはず……」
理科室を発見。実験台の跡がある。黒い台。水道の跡。
「理科の実験とか、楽しかったんだろうな……フラスコとか、ビーカーとか……」
床に、小さなガラスの破片。
「あ、これビーカーの破片?」
拾い上げて、光にかざす。透明なガラス。光を透かして、キラキラ。
小さな、小さな破片。でも、50年前の実験の名残。
「これも記憶の欠片だ……時間の欠片……」
ポケットにそっとしまう。大切に。
窓から外を見る。海が広がる。青い海。どこまでも続く海。
「眺めいいな……でも、ここから対岸の陸地が見える……どこだろう?……」
「毎日この景色を見てた子供たち、どんな気持ちだったんだろう……」
この島で生まれて、この島で育って、この島が世界の全てだった子供たち。
でも、みんな夢を持ってたんだ。
本土の高校に行って、大学に行って、もっと広い世界を見たいって。
校舎の周りを歩いてみる。一周してみる。
建物、でかすぎ。圧倒的。
「カメラだけじゃ全体像なんて無理……屋上とか、壁の高い部分とか、死角だらけ……」
「これは……昨日マスターしたアレの出番だね……」
ドローン。私の空飛ぶ目。
「もう怖くない。自動撮影モードがある。大丈夫」
「よし、一旦部屋に戻ってドローン取りに行こう」
部屋への道すがら、またスカートの裾を踏む。
「もう!なんなのこのスカート!イライラする!ストレス!」
でも――
不思議と、この衣装を着てると、昔の女学生の気持ちが少しだけ分かる気がした。
「毎日こんなの着て、7階まで階段上ってたのか……大変だったろうな……でも頑張ってたんだ……」
この重さは、学ぶことの重さなんだ。知識を得ることの、責任の重さ。
薄く、不安がよぎる。
この校舎は、何を私に見せようとしてるんだろう。




