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第63話 夜・もどかしい距離と父の形見

夜。


部屋に戻ってシャワーを浴びた。


さっぱりして、髪を乾かす。


疲れた。


でもすっきりしてる。


タッチパネルで夕食確認。


画面を見ると「タイ料理のコース!?」と表示されている。


驚く。


すごい。


豪華。


ウィーン。出てきた。タイ料理の匂い。スパイシーな匂い。酸っぱい匂い。温かい匂い。


でも、この部屋は相変わらず冷たい。


出てきたタイ料理。


トムヤムクン。


グリーンカレーも。


なんでこんな本格的なものが。


今日の試練のご褒美ってこと?


そうなのかもしれない。


トムヤムクンを一口。


辛い!


でも美味しい。


酸っぱい。


でも美味しい。


グリーンカレーも食べる。


甘い。


辛い。


複雑な味。


辛くて酸っぱくて甘い。


今日の私の気持ちみたいだった。


「複雑……でも美味しい……」


ボトル子に話しかける。


「ねえボトル子、今日すごかったよ。ビキニで撮影した。恥ずかしかったけど。特設プールに飛び込んだ。気持ちよかった」


ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。


グンちゃんも見てる。


「グンちゃんも聞いてる?」


「にゃあ」


「ありがとう」


食べながら、私は今日の出来事を振り返っていた。


恥ずかしかった。


でも、プールに飛び込んだ瞬間、なんだか彼との間の見えない壁が一つなくなったような気がした。


そんな気がする。


食べ終わって、PC作業。


今日の撮影データを処理する。


部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。


プールのタイル。


コースライン。


特設プールの水面。


きれいだった。


処理を始める。


待ってる間、グンちゃんがメモを運んできた。


「にゃあ!」


「グンちゃん!」


駆け寄る。


首輪にメモがついてる。


ケンタくんから。


手が震える。


外して開く。


読む。


『よく、頑張ったな』


「……!」


目を見開く。


よく頑張った。


たった一言。


でもその言葉が私の心にじんわりと染み渡った。


嬉しい。


胸が熱い。


涙が出そうになる。


私は返事を書いた。


ペンを走らせる。


何て書けばいい?


考える。


書く。


『手、届きそうで届かない……この距離、もどかしいね』


読み返す。


うん。


グンちゃんに託す。


首輪に結ぶ。


「グンちゃん、お願い。ケンタくんに届けてくれる?」


「にゃあ」


「ありがとう」


グンちゃんが出発した。


行った。


窓の外を見る。


彼の部屋の明かりがすぐそこに見える。


あの明かり。


こんなに近いのにこんなに遠い。


でもその距離が私たちを強く結びつけているのかもしれない。


窓を見続ける。


しばらくして、グンちゃんが帰ってきた。


「にゃあ!」


「グンちゃん!おかえり!」


首輪を見る。


小さな包みがついてる。


外して開く。


中には錆びた歯車が入っていた。


「歯車……」


手に取る。


錆びてる。


でもきれい。


彼が見つけた宝物のおすそ分けだろうか。


ひんやりとした鉄の感触が私の火照った肌に心地よかった。


冷たい。


気持ちいい。


そしてもう一枚、メモが。


開く。


読む。


『親父の形見のスキャナーじゃ、水面の光の反射みたいな、一瞬のきらめきは記録できない。写真にしか写せないものも、あるんだな』


「……!」


息を呑む。


親父の形見。


お父さんの。


彼のお父さんの形見……?


もう一回読む。


写真にしか写せないもの。


認めてくれた。


でもそれだけじゃない。


お父さん。


彼の言葉の奥にある何か大切なものに触れた気がして、胸が少しだけきゅっとなった。


痛い。


でも温かい。


歯車を握りしめる。


ケンタくんの想い。


お父さんへの想い。


私への想い。


全部、この歯車に込められてる気がした。


ボトル子に報告。


「ねえボトル子、見て。ケンタくんがくれたの」


歯車を見せる。


ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。


「お父さんの形見のスキャナーで頑張ってるんだって。すごいよね……」


グンちゃんも見てる。


「グンちゃんも見て」


「にゃあ」


「きれいでしょ」


窓の外を見る。


あの明かり。


ケンタくんの部屋。


近い。


でも遠い。


もどかしい。


この距離。


でも、繋がってる。


確かに繋がってる。


歯車を握る。


温かい。


【残り日数:9日】


画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。


あと9日。


私たちの夏はまだ始まったばかりだ。


終わりが近づいてる。


でも、今が一番輝いてる気がした。


おやすみ、26番さん。


「おやすみ、ボトル子」


「おやすみ、グンちゃん」


「おやすみ、ケンタくん」


四人におやすみを言う。


歯車を握りしめる。


温かい。


今夜も一人じゃなかった。


そしてケンタくんとの距離が近づいた気がした。


もどかしいけど、幸せ。


静寂が、部屋を包む。

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