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第62話 昼・プールサイドの攻防と特設プールの奇跡

午前中は、恥ずかしさでまともに撮影ができなかった。


太陽が容赦なく照りつける。


じりじり。


アスファルトの上に立つだけで、足の裏がじりじりと焼ける。


空気が揺らめいて陽炎が見える。


「暑い……」


カメラを構えるけど、ファインダーを覗くと汗が目に入る。


「痛っ……」


拭っても、またケンタくんの視線が気になって集中できない。


パーカーを着てるけど、暑い。


中は汗でびっしょり。


背中も、お腹も、全部濡れてる。


蒸れる。


サウナみたい。


髪の毛も汗でべっとり。


「最悪……」


でも、脱げない。


ビキニになるなんて無理。


絶対無理。


プールの縁に座って休憩する。


コンクリートが熱くて、すぐに立ち上がる。


「あつっ!」


廃墟のプールを見下ろすと、ひび割れたタイル。


コースラインがかすかに残っている。


25mプール。


昭和33年に作られた海水プール。


底には枯葉や瓦礫が積もってる。


「ここで、子供たちが泳いでたんだ……とり鬼、してたんだ……」


50年前の夏。


黄色い歓声が聞こえる気がする。


「3秒!」「2秒!」「1秒!」「アウト!」


笑い声。


でも今は、静か。


水もない。


セミの声だけがやかましく響いてる。


ミーンミーン。


チラッとケンタくんの部屋を見る。


窓に人影。


見てる……。


顔が熱くなる。


「やだ……恥ずかしい……」


視線を逸らす。


撮影、進まない。


ファインダーを覗くたびにケンタくんの視線を感じる。


カメラを下ろす。


「もう……無理……」


お昼になった。


太陽が真上にある。


影がほとんどない。


一番暑い時間。


部屋に戻ろう。


機材を片付けて階段を上る。


パーカーの中が蒸し風呂。


一段一段が重い。


「はぁ、はぁ……」


やっと部屋に到着してドアを開けると、冷房の冷気が顔に当たる。


「あー……涼しい……!天国……」


グンちゃんが出迎えてくれた。


「にゃあ!」


「グンちゃん……もう……無理……」


グンちゃんの体が冷たくて気持ちいい。


ボトル子に愚痴る。


「ねえボトル子……もう、ぐったり……」


ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。


「笑わないで……」


パーカーを脱ぐ。


汗でびっしょり。


絞れそう。


「うわ……」


着替えてTシャツ。


落ち着く。


タッチパネルでカップ麺注文。


塩味。


「カップ麺……」


ウィーン。出てきた。カップ麺の匂い。温かい匂い。


でも、この部屋は相変わらず冷たい。


お湯を注いで3分待つ。


「3分……」


待ってる間、考える。


なんで私がこんな目に。


理不尽。


涙が出そうになる。


「ひどい……」


ピピピ。


できた。


蓋を開けてずるずるすする。


塩っぱい。


汗で失った塩分が補給される。


染みる。


もぐもぐ食べる。


「こういうメンタル最悪の日は、もうカップ麺しか勝たん……」


一人で呟く。


食べながら考える。


でも、ここで負けちゃダメだ。


これは私に与えられた試練なんだ。


あの衣装担当からの挑戦状なんだ。


それに、プロとして、どんな状況でも最高の仕事をすると心に決めたばかりじゃないか。


「私、プロなんだから……」


食べ終わる。


「よし……」


午後も頑張ろう。


時計を見る。


15時。


一番暑い時間は過ぎた。


少しは涼しくなるかな。


覚悟を決める。


午後は、パーカー脱ごう。


震える手で鏡の前に立つ。


白いビキニ。


恥ずかしい。


でも、行く。


「頑張る……」


グンちゃんに話しかける。


「行ってくるね、グンちゃん。今度こそ……頑張る……」


「にゃあ」


「ありがとう」


外に出る。


階段を下りてプールサイドに向かう。


角を曲がった瞬間、私は目を疑った。


そこには、午前中にはなかった大きな特設プールが設置されていた。


ビニール製の仮設プール。


直径5メートルくらい。


水がキラキラと太陽の光を反射している。


「プール……?いつの間に……」


周りを見渡す。


誰もいない。


でも、確かにプールがある。


近づいて水面を覗き込む。


青くて透明で、きれい。


手を入れてみる。


「冷たっ……!」


冷たくて気持ちいい。


本物の水。


誰が用意したの?


運営?


でもなぜ?


考えても分からない。


でも、これは私へのご褒美?


それとも試練の一部?


どちらにせよ、このプール、使っていいってこと?


周りを見渡す。


誰もいない。


ケンタくんの窓。


人影が見える。


見てる……。


彼も、このプールを見てる。


私を見てる。


恥ずかしい。


でも、私は覚悟を決めた。


まず、撮影を続けよう。


私は意を決して、パーカーを脱ぎ捨てた。


「脱ぐ!」


バサッ。


白いビキニ。


太陽が肌を直接照らす。


眩しい。


でも午前中より涼しい。


風が吹いて肌に当たる。


気持ちいい。


汗がすっと引いていく。


「涼しい……」


ケンタくんの視線を全身で受け止めてやる。


見たいなら見ればいい。


私はプロなんだから。


拳を握りしめる。


不思議なことに、覚悟を決めると、すっと心が落ち着いた。


「落ち着く……不思議……」


撮影開始。


プールサイドのひび割れたタイル。


カシャ。


太陽の光がタイルの表面で反射してる。


きれい。


コースラインの跡。


カシャ。


かすかに残ってる。


更衣室の朽ちた扉。


カシャ。


木の質感が時間の経過を物語ってる。


特設プールも撮影する。


カシャ。


水面が鏡みたいに空を映してる。


青い空。


白い雲。


全部、水面に映ってる。


これまで以上に冷静に、精密に撮影していく。


太陽の光を浴びて肌がジリじりと焼ける感覚。


でも不快じゃない。


むしろ心地いい。


時折、潮風が汗を乾かしていく。


塩の匂い。


海の匂い。


遠くで波の音。


セミの声。


全部が夏の音。


五感が研ぎ澄まされていくのが分かった。


集中してる。


ファインダーを覗く。


世界が四角く切り取られる。


その中に全てがある。


光。


影。


色。


質感。


時間。


記憶。


全部。


カシャ、カシャ、カシャ。


シャッターを切るたびに、この場所の記憶がデータになっていく。


50年前の子供たちの笑い声。


「とり鬼」で遊ぶ声。


今の私の呼吸。


全部、この写真に封じ込められる。


撮影が終わった。


カメラを下ろして、ふうと息をつく。


汗が背中を伝う。


でも、やり切った。


じりじりと照りつける太陽。


極度の緊張感。


私の体は限界だった。


視線を上げる。


目の前に特設プール。


水がキラキラ光ってる。


誘ってる。


入りたい。


「入りたい……」


私は撮影機材を安全な場所に置いた。


カメラを日陰に。


ドローンも。


そして、まるで何かに引き寄せられるように、プールへと歩み寄った。


縁に立って見下ろす。


青くて透明な水。


底まで見える。


きれい。


飛び込みたい。


でも躊躇する。


ケンタくんが見てる。


恥ずかしい。


でも、もうどうでもいい。


ヤケになって飛び込んだ。


「えいっ!」


バシャーーーン!


冷たい!


全身が一瞬で冷たい水に包まれる。


火照った肌に冷たい水が染みて、最高に気持ちが良かった。


全身を包むひんやりとした衝撃。


一瞬、息が止まる。


水の中。


静か。


音が消える。


目を開ける。


青い。


そこは青と光が溶け合う静かな世界だった。


水中に差し込む太陽の光が、キラキラと揺れるカーテンみたいに見える。


「キラキラ……」


光のカーテン。


手を伸ばす。


光が指の間をすり抜ける。


掴めない。


でも、きれい。


自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。


ドクン、ドクン。


心臓。


生きてる。


重力から解放されて、体が羽のように軽い。


浮遊感。


ふわふわ。


恥ずかしさも、疲れも、焦りも、全部が水に溶けていくみたいだった。


泡がぽこぽこ上がっていく。


追いかけて、水面に顔を出す。


「ぷはっ!」


思いっきり息を吸い込む。


空気が肺に入ってくる。


生き返る。


夏の匂いがした。


潮の匂い。


太陽の匂い。


コンクリートの匂い。


全部が夏。


空を見上げる。


空が青い。


どこまでも青い。


雲が白い。


綿菓子みたい。


太陽が眩しい。


目を細める。


キラキラする。


私は子供みたいに水しぶきを上げてはしゃいだ。


「きゃは!」


バタ足をする。


水が跳ね上がる。


水を蹴り上げる。


水滴が太陽の光を反射して、虹色の宝石みたいにきらめいた。


「きれい……!虹……!きゃはは!」


思わず笑い声が漏れる。


この島に来てこんなに大きな声で笑ったのは初めてかもしれない。


笑ってる。


自分の声が空に響く。


誰もいない。


でも、孤独じゃなかった。


かつてここで笑い声を上げていた子供たち。


「とり鬼」で遊んでた子たち。


それが暖かい黄色の光になって、水面で弾けているのが視えた気がした。


「みんな、ここで遊んでたんだね……」


50年前。


ここに本物のプールがあった。


海水プール。


子供たちが泳いでた。


笑ってた。


はしゃいでた。


今の私みたいに。


しばらくはしゃぎ疲れて、私は水面に仰向けに浮かんだ。


力を抜く。


体がふわりと浮く。


耳が水に浸かると世界から音が消えた。


静か。


自分の心臓の音と、ちゃぷんと水が体を揺らす音だけが聞こえる。


ゆらゆらと揺られながら、ゆっくりと目を開ける。


視界いっぱいに広がる、どこまでも青い空。


青。


白い雲がゆっくりと流れていく。


流れる。


時間がゆっくりになる。


それは私が今まで見てきたどんな景色よりも自由で美しかった。


「自由……美しい……」


体が軽い。


心も軽い。


何も考えない。


ただ浮かんでる。


ただ空を見てる。


それだけで幸せ。


ふと、ケンタくんの部屋の窓を見上げる。


彼は窓から、ただ黙って私を見ていた。


ガラスの反射で表情まではっきりとは分からない。


でも、いつもみたいに私を分析するような冷たい視線じゃないことだけは分かった。


そこにあるのは驚きと、戸惑いと、そしてほんの少しの羨望が混じったような複雑な眼差し。


彼も入りたいのかな。


このプールに。


私たちは言葉も交わさず、ただ見つめ合った。


廃墟のプールと監禁部屋の窓。


その間にあるもどかしい距離。


でもその瞬間だけは、その距離さえもがこの夏の物語の一部みたいに、キラキラと輝いて見えた。


彼の目に、今の私はどう映っているんだろう。


ただの奇妙な衣装を着せられたミッションのライバル?


それとも――。


そんなことを考えていたら、少しだけ胸が熱くなった。


水の中なのに。


胸が熱い。


今日も一人じゃなかった。


そして何かが変わった気がした。


ケンタくんとの距離。


近づいた気がする。

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