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第50話 昼・猫じゃらしと古文書と先生たちの生活

部屋に戻る。


重い足取り。


階段を上る。


一段、また一段。


心が疲れてる。


ドアを開けると、グンちゃんが出迎えてくれた。


「にゃあ!」


走ってくる。


足にすり寄ってくる。


温かい。


「グンちゃん……待っててくれたんだね。ありがとう……」


少しだけ、心が軽くなる。


昼食のタッチパネルを開く。


カップ麺注文。塩味。


こういう落ち込んだ日は、何も考えずに食べられるカップ麺が一番だ。


お湯を注いで3分待つ。


湯気が立ち上る。塩の匂い。温かい匂い。


でも、この部屋は相変わらず冷たい。


ボトル子に話しかける。


「ねえボトル子、31号棟、崩れてた……撮れなかった……間に合わなかった……」


ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。


グンちゃんが、私の足元で座ってる。


「グンちゃんも聞いてる?」


「にゃあ」


「ありがとう……」


ピピピ。カップ麺できた。


蓋を開けて、ずるずるすする。


崩れ落ちた31号棟の光景が、頭から離れない。


崩れた壁。


剥き出しの部屋。


瓦礫。


「もっと早く撮っておけば……」


でも、後悔しても仕方ない。


落ち込んでいても仕方ない。


今、私にできることを、やるしかないんだ。


カップ麺を食べ終わって、口を拭く。


「よし……午後、頑張ろう……」


グンちゃんを撫でる。


「グンちゃん、今日は一緒に行こう」


「にゃあ」


「連れて行くね」


グンちゃんを抱き上げる。


軽い。


でも、温かい。


午後は、今日の本来の撮影対象である、13号棟へと向かった。


そこは、かつて小中学校の先生たちが暮らしていた教員住宅。


島内で最後に建てられた集合住宅で、唯一肌色に塗装された建物だった。


建物の前に立つ。


「肌色……確かに他と違う……」


4階建ての雁行型。


ちょっと変わった形をしてる。


ドアは半分開いてる。


中に入る。


「……は?」


中は、嵐の影響で、さらに荒れていた。


「ひどい……」


床には、水浸しになった教科書や書類が散乱している。


泥だらけの家具も倒れてる。


足元が濡れてる。


気をつけないと。


慎重に歩く。


グンちゃんを抱いたまま。


部屋を見る。


ダイニング・キッチンのスペースがある。


さすが教員住宅、他の棟より広め。


でも、全部濡れてる。


教科書を手に取ってみる。


ぐしゃぐしゃ。


「もう読めない……」


悲しい。


でも、探し続ける。


何か、無事なものないかな。


奥の方に進む。


洗濯場として使われていたスペース。


本当は浴室用に作られたらしいけど、なぜか内風呂は設置されなかったって資料にあった。


「あれ?」


その洗濯場の棚の一番下。


そこに、一冊の古いファイルがあった。


手に取ってみる。


「濡れてない!奇跡じゃん!」


奇跡的に無事だった。


表紙には、「端島炭礦 沿革」と書かれている。


「端島炭礦 沿革……」


そっと開く。


中には、手書きの文字で、この島の歴史が、詳細に記されていた。


きっと、ここに住んでいた先生が、子供たちに教えるために作ったんだろうな。


「手書き……丁寧な字……」


石炭が発見された日から、閉山の日まで。


全部書いてある。


ページをめくる。


一つ一つの出来事が、日付とともに記録されている。


「すごい……これ、すごい……」


それは、どんな資料よりも生々しい、歴史の証人だった。


先生が、ここで、生徒たちに教えてたんだ。


この島の歴史を。


私も、高校で先生に習ってる。


数学とか、英語とか、歴史とか。


でも、先生の生活って、考えたことなかった。


学校にいる先生しか知らない。


でも、先生にも生活がある。


ここで、先生たちは暮らしてたんだ。


朝起きて、ご飯食べて、学校に行って。


授業して、生徒たちに教えて。


そして、ここに帰ってきて。


夕飯食べて、次の日の準備して。


テストの採点とかもしてたんだろうな。


夜遅くまで。


「大変だったんだろうな……」


この狭い部屋で。


でも、先生たちは、ちゃんと生徒たちのこと考えてたんだ。


こんなに丁寧に、資料を作って。


私の学校の先生も、そうなのかな。


いつも怒ってる数学の先生も。


優しい英語の先生も。


みんな、家に帰ったら、私たちのこと考えて、準備してくれてるのかな。


「ありがとう、先生たち……」


グンちゃんが、私の腕の中で「にゃあ」と鳴いた。


「グンちゃんも、そう思う?」


「絶対、失われちゃいけない……」


私は、その古い資料を、一枚一枚、丁寧に撮影した。


カメラを構える。


一ページ目。カシャ。


二ページ目。カシャ。


三ページ目、四ページ目。カシャ、カシャ。


「全部撮る……一枚も逃さない……」


これは、絶対に、失われちゃいけない記憶だ。


全ページ撮影完了。


古い資料を、元の場所に戻す。


「ありがとう……」


そして、階段を上る。


4階建て。


最上階まで。


グンちゃんを抱いたまま。


「よいしょ……よいしょ……」


最上階に到着。


窓から外を見る。


「うわ……!」


見晴らしがいい。


すごくいい。


島全体が見渡せる。


青い海。


青い空。


灰色の島。


防波堤。


崩れた31号棟も見える。


遠くに、港も見える。


「きれい……」


グンちゃんを窓際に下ろす。


グンちゃんも外を見てる。


「にゃあ」


「きれいでしょ?グンちゃん」


風が吹いてくる。


心地いい風。


グンちゃんのひげが、風に揺れる。


「先生たち、ここから景色見てたのかな」


朝、窓を開けて。


この景色を見て。


「いってきます」って出かけてたのかな。


夕方、帰ってきて。


また、この景色を見て。


「ただいま」って。


そんな生活。


普通の生活。


でも、大切な生活。


「いいな……」


しばらく、グンちゃんと一緒に、景色を眺めてた。


風が吹く。


グンちゃんが「にゃあ」と鳴く。


「気持ちいいね」


時間が、ゆっくり流れる。


いい時間。


撮影を終え、部屋に戻る途中、私は、道端に落ちていた、鳥の羽を見つけた。


「羽……きれい。拾おう」


拾う。


少し先に、しなやかな木の枝も落ちてた。


「枝……これも……これで、何か作れるかも……」


部屋に戻る。グンちゃんを下ろす。


机に置いて、組み合わせてみる。


枝の先に羽を結ぶ。


紐で固定。


「できた!猫じゃらし!」


「グンちゃん、おまたせ」


猫じゃらしを揺らす。


グンちゃんは、初めて見るおもちゃに、目を輝かせた。


「キラキラしてる!可愛い!」


夢中で、猫じゃらしにじゃれつく。


飛びつく。


「わっ!」


転がる。


また飛びつく。


「元気だね!可愛すぎ!」


その無邪気な姿を見ていると、私のささくれた心が、少しずつ癒されていくのが分かった。


グンちゃんの楽しそうな顔。


猫は笑わないけど、楽しそう。


それだけで、十分。


それだけで、嬉しい。


今日も、一人じゃなかった。

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