第49話 朝・台風一過の光と影
十七日目の朝。
体が重い。肩が凝ってる。首も痛い。腰も痛い。十七日間の疲労が、層になって積み重なってる。
でも、慣れてきてもいる。この疲れにも、この生活にも。
「ん……静か」
嘘のような静けさで、目が覚めた。
グンちゃんが、私の腕の中で丸くなって眠っている。
小さくて、温かい。
すーすー。
規則正しい寝息。
昨夜の嵐が嘘みたい。
窓の外を見ると──
「うわ……!」
台風一過の、突き抜けるような青空が広がっていた。
空気中に漂っていた埃はすべて洗い流されて、島全体が、昨日よりも鮮やかに見える。
まるで、世界が生まれ変わったみたい。
青い空。
青い海。
灰色の島。
コントラストが、鮮やか。
「きれいすぎる……」
「グンちゃん、晴れたよ」
そっと声をかけると、私の声で、グンちゃんも目を覚ました。
「にゃあ」
大きく伸びをする。可愛い。
「おはよう、グンちゃん」
「にゃあ」
今日の衣装を確認しに、LAUNDRYボックスを開ける。シンプルなジャージだった。
「ジャージ!これ動きやすくていいじゃん!」
動きやすいのはありがたい。
今日はいっぱい動けそう。
着替えると、グンちゃんがじっと見てる。
「見てる?可愛いね」
「にゃあ」
朝食のタッチパネルを開く。
嵐の後の朝は、やっぱり和食だよね。
和食セット注文。
そして、グンちゃん用にも。
「グンちゃんの分も……キャットフード……あ、ある!」
メニューにちゃんとある。
【ペット用カリカリ(100円)】
「100円!安い!ありがとう運営さん!」
ボタンを押す。
ウィーンとトレーが出てくる。焼き魚の匂い。味噌汁の匂い。醤油の匂い。温かい匂い。
でも、この部屋は相変わらず冷たい。
出てきた和食セット。焼き魚、味噌汁、ご飯、納豆。
そして、グンちゃん用のカリカリ。小さな袋に入ってる。
「完璧じゃん……心が落ち着く……」
グンちゃん用のお皿に、カリカリを入れる。
カラカラカラ。
「はい、グンちゃん。今日からこれ!ちゃんとしたご飯だよ!」
グンちゃんは近づいてくる。
クンクン匂いを嗅いで、食べ始めた。
カリカリカリ。
「食べた!美味しい?」
グンちゃんは夢中で食べてる。
しっぽをフリフリしてる。
気に入ったみたい。
「よかった!」
私も食べる。焼き魚、美味しい。優しい味。
味噌汁も温かい。
納豆ご飯も、ネバネバだけど美味しい。
「日本の朝ごはん、最高だわ……」
食べながら、今日の計画を立てる。スケジュールを確認。
【Day17:13号棟】
「13号棟……教員住宅だったとこか」
それから、もう一つ。
昨日、嵐の中で気になっていた場所の確認。
31号棟。
嵐で、どうなったか見に行きたい。
食べ終わって、日焼け止めを塗る。カメラとドローンを準備。
「グンちゃん、行ってくるね」
「にゃあ」
「いい子で待っててね」
ボトル子にも話しかける。
「行ってきます、ボトル子」
ボトル子はいつものように笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。
外に出る。
「うわっ!眩しい!」
太陽の光が眩しくて、目がくらみそうになった。
手で目を覆う。
でも、空気はひんやりとしていて、気持ちがいい。
深呼吸。
「空気、きれい……」
島のあちこちに、嵐の爪痕が残っていた。
折れた木の枝。
どこかから飛んできたトタンの破片。
ガレキも増えてる。
嵐、本当にすごかったんだ。
そして、私は、目的の場所で、息を呑んだ。
「……は?」
31号棟。
島の南端に建つ、防潮堤の役割も担っていた、白いアパート。
その、壁の一部が、ごっそりと、崩れ落ちていた。
「嘘でしょ……崩れてる……」
昨日までそこにあったはずの壁が、今はもうない。
中の部屋が、無防備に剥き出しになっている。
近づく。
崩れた瓦礫。
そっと触れる。
冷たいコンクリート。
その瞬間──
「うっ!」
共感覚的記憶が来た。
建物が最後に上げた悲鳴が「低く重いノイズ」として聞こえた。
視界の端に「どす黒い赤色の閃光」が走った。
頭が痛い。
「痛っ……」
手を離す。
「……間に合わなかった」
声が震える。
まだ、撮影していなかった建物だった。
あと一日、嵐が来るのが遅ければ。
いや、私がもっと早く撮影していれば。
後悔が、胸に突き刺さる。
涙が出そうになる。
喉の奥が、熱い。
「ダメ……泣いちゃダメ……」
でも、悲しい。
「記録するって、未来への手紙なのかも」
呟く。
でも、その手紙は、いつ届かなくなるか分からない。
私は、崩れ落ちた壁の残骸を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
風が吹く。
しばらく、そこに立っていた。
「ごめんね……撮れなくて……ごめんね……」
31号棟に謝る。
でも、今できることをしよう。
崩れた姿を、記録しよう。
これも、記録だ。
カメラを構える。
崩れた壁。カシャ。
剥き出しの部屋。カシャ。
瓦礫。カシャ。
一枚一枚、丁寧に撮影する。
これも、31号棟の歴史だ。
今日も、一人じゃなかった。
でも、重い。
心が、重い。




