第46話 朝・特別ボーナスと小さな来訪者
十六日目の朝。
体が重い。肩が凝ってる。首も痛い。腰も痛い。十六日間の疲労が、層になって積み重なってる。
でも、慣れてきてもいる。この疲れにも、この生活にも。
「んん……重い……」
重い体を引きずるようにして、ベッドから起き上がる。
瞼が開かない。
昨日泣きすぎた。
目がショボショボする。
「うわ、目が……痛っ!開かない!」
恐る恐る鏡を見る。
「……は?最悪じゃん、この顔」
目が真っ赤に腫れてる。
まるで金魚みたい。
いや、金魚以上かも。
昨日の記憶が、どんよりとした霧のように頭の中に漂ってくる。
あの昭和館での、あのボロボロの自分。
ガレキの前で泣き崩れた自分。
もう何もかもが嫌になって、ただ泣いて、泣いて、気づいたら眠ってた。
「……ダメダメだったな、私」
LAUNDRYボックスを見ると、今日は白いTシャツとデニムスカート、それにカーディガンが置かれていた。
「あれ?普通の服だ」
昨日までの非日常的な衣装とは全然違う、ごく普通の、落ち着いた服装。
白いTシャツ。
デニムスカート。
カーディガン。
シンプル。
まるで、「もう一度、ここから始めよう」って、そっと背中を押してくれてるみたい。
「優しいじゃん……衣装担当さん、分かってるじゃん」
袖を通す。シンプルだけど、着心地がいい。
柔らかい生地が、疲れた体を包む。
こういうのが今は嬉しい。派手な服より、こういう普通の服が。
「……朝ごはん、どうしよう」
タッチパネルに向かう気力もない。
お金もないし。
どうせ、またカップ麺だ。200円のやつ。
そう思いながら、何気なく画面に目をやった瞬間──
「え……」
『残高:45,000円』
「……は?」
思わず声が出た。
いや、待って。
私、目がおかしくなった?
泣きすぎて視力落ちた?
幻覚?
「見間違い……だよね?」
目を擦る。ゴシゴシ。もう一回見る。
『残高:45,000円』
「45,000円……マジで?」
何度も、何度も目を擦って確認する。
でも、数字は変わらない。
昨日まで15,000円を切っていたはずの残高が、振り出しに戻ってる。
いや、戻ってるってレベルじゃない。
完全にリセットされてる!
まるで最初に戻ったみたい!
「なにこれ!?バグ?!システムエラー!?」
画面の隅には、小さな文字でメッセージが表示されていた。
『中間地点到達おめでとうございます。特別ボーナスを支給します。後半戦も頑張ってください』
「……特別、ボーナス……?」
声に出して読む。
中間地点。
そっか、30日のうちの半分、15日が過ぎたんだ。
もう半分来たんだ。
半分。
「見ててくれたんだ……」
誰かが、ちゃんと見てる。
私のこと、ちゃんと見てて、そして、励ましてくれてる。
昨日、無様に泣きじゃくっていた私のことも、全部。
ボロボロになってた私のことも。
見捨てなかった。
その事実に、胸の奥が、じわりと温かくなった。
「ありがとう……」
涙が、またこぼれそうになる。
でも、それは昨日の涙とは違う、温かい涙だった。
昨日の涙は冷たかった。
絶望の涙だった。
でも、今日の涙は温かい。
感謝の涙だ。
「……うん、頑張る。もっと頑張る」
私は、画面に向かって、小さく、でも力強く頷いた。
誰に見せるわけでもないけど、頷いた。
ボトル子のとこに行って報告する。
「ねえボトル子、聞いて!お金増えた!特別ボーナスだって!45,000円!信じられる?!」
ボトル子はいつものように、ニコニコしてる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。
「すごいよね!これで、ちゃんとしたご飯食べられる!カップ麺生活から脱出!」
朝食は、一番高い和食セットを頼んだ。600円。今までなら絶対選ばなかった値段だけど、今日は奮発。お金あるし。
「今日は贅沢しちゃう!」
ウィーンとトレーが出てくる。焼き魚の匂い。醤油の匂い。味噌汁の匂い。温かい匂い。
でも、この部屋は相変わらず冷たい。
タッチパネルから出てきた和食セット。焼き魚、お味噌汁、卵焼き、納豆、白いご飯。湯気がほわっと立ち上って、醤油と魚の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「うわぁ……豪華……ちゃんとした日本の朝ごはんじゃん……」
箸で焼き魚を一口。身がほろっと崩れて、口の中に優しい塩気が広がる。
「美味しい……!魚ってこんなに美味しかったんだ!」
味がする。
ちゃんと味がする。
昨日は、何を食べても砂みたいだったのに。
味噌汁を飲む。体の芯から温まる。ほっとする。卵焼きも、ふんわり甘くて優しい味。
「焼き魚と、お味噌汁と、卵焼き。こんなに美味しいって、忘れてた」
昨日のラーメンは、味がしなかった。
口に入れても、砂を噛んでるみたいだった。
でも、今日は、ちゃんと味がする。
ちゃんと、美味しい。
「味覚、戻った……よかった……本当によかった」
元気を取り戻した私は、昨日の撮影データをPCに取り込んで、作業を開始した。
映画館「昭和館」の、崩れかけたエントランス。
フィルムを見つけた、ガレキの隙間。
私が泣いていた、あの場所。
その全てを、丁寧に、愛情を込めて、時間の化石にしていく。
Align Images、Create Model、Simplify。
画面に表示される処理の進行バーを見つめながら、ふと窓の外を見ると──
「あれ?暗い……」
空がどんよりと暗くなっていることに気づいた。
さっきまで明るかったのに。
風が、昨日までとは比べ物にならないくらい強く、建物の隙間を唸り声を上げて吹き抜けていく。
ゴォォォォ。
「うわ、風やばい……台風、かな」
窓を揺らす風。不安になる。この島、大丈夫なのかな。
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。
その時だった。
窓の外、コンクリートの地面を、小さな茶色い塊が、風に飛ばされそうになりながら必死に歩いているのが見えた。
「ん?何か動いてる……」
目を凝らす。何だろう、あれ。
小さい。
すごく小さい。
「……猫?」
私は、慌ててドアを開けて外に出た。
「待って!」
風が強い。めっちゃ強い。髪がバサバサに乱れる。スカートも煽られる。
それは、一匹の子猫だった。
「子猫……!」
雨に濡れて、ガリガリに痩せてる。
骨が浮いてる。
小さな体が、風に飛ばされそうになってる。
私が近づくと、怯えるように後ずさる。でも、逃げる元気もないみたいだ。弱ってる。
「大丈夫だよ、怖くない。怖くないよ」
しゃがみ込んで、できるだけ優しい声で話しかける。
朝食の焼き魚の残りを、少しだけ、地面に置いてみた。
「これ、食べる?美味しいよ。さっき私も食べたけど、すごく美味しかった」
子猫は、しばらくためらっていた。
警戒してる。
怖がってる。
でも、やがて、おそるおそる近づいてきて、夢中で魚を食べ始めた。
「食べた!」
小さな舌で、一生懸命魚をなめてる。
お腹すいてたんだね。
かわいそうに。
「君も一人?私もだよ。私も、昨日まで、すごく一人だった」
風と雨が、ますます強くなってくる。冷たい。
このままじゃ、この小さな命は、飛ばされてしまう。
死んじゃう。
「……うち、来る?」
私は、そっと子猫を抱き上げた。
腕の中で、小さな体が、か細く震えていた。
骨がゴツゴツしてて、すごく軽い。
ちゃんとご飯食べてなかったんだ。
「大丈夫だよ。温かくしてあげるから。ご飯もあげる」
小さな心臓の鼓動が、私の腕に伝わってくる。
ドクドク。
ドクドク。
生きてる。
今日も、一人じゃなかった。一人と一匹だ。




