第36話 夜・セーブはこまめに
部屋に戻った私は、チャイナドレスのスリットを気にしながら、PCの前に座った。
「このスリット、座ると更に開く……」
足を閉じる。膝をくっつける。
「誰も見てないけど……」
監視カメラの赤いランプ。じっと光ってる。
「見てるよね……」
顔が赤くなる。もう何度目だ。
「もう、いいや。気にしない!」
諦めて、そのまま座る。どうせ誰も見てない。見てても知らない。
今日の夕食は、ラーメンと餃子。
「やった!町中華の黄金コンビ!最強タッグ!」
ウィーンとトレーが出てくる。湯気が立ち上る。醤油の匂い。ニンニクの匂い。温かい匂い。
でも、この部屋は相変わらず冷たい。
タッチパネルから出てきたトレーには、醤油ラーメンと焼き餃子。
「これぞ町中華!庶民の味!」
まずはラーメンを一口。麺をすする。
「美味しい!醤油ラーメン最高!スープが染みる!」
スープが体に染み渡る。疲れが取れる気がする。次は餃子。箸で持ち上げる。
「熱そう……」
一口かじる。
「あっつ!」
口の中で肉汁が爆発。
「じゅわ~!餃子の肉汁がじゅわ~って……たまらない!でも熱っ!でも美味しい!矛盾してる!」
一人グルメレポートをしながら、食べ続ける。もぐもぐ。
「ラーメンと餃子、完璧な組み合わせ……炭水化物と炭水化物だけど、気にしない!」
食べ終わって、満足。お腹いっぱい。
「ごちそうさまでした」
ボトル子に話しかける。
「ねえボトル子、今からデータ処理するね。見てて」
ボトル子は笑ってる。いつも黙ってる。でも、そこにいてくれる。
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。
今日の作業に取り掛かる。ドローンが撮った空からの写真と、地上で撮った写真を組み合わせて、記憶の紡績を開始する。
「よし、行くよ!今日も時間の化石、作る!」
データを取り込む。写真が次々と画面に並ぶ。
「データ量……すごい……今日もたくさん撮った」
RAWデータだから、一枚一枚が重い。ドローンの写真も合わせると、データ量が膨大。転送だけで時間かかる。
PCのファンが、ブォーンと唸り始める。ブゥゥゥン。
「うるさ……頑張ってるんだね、PC。ファイト!」
Align Images実行。処理開始。プログレスバーが動き出す。
「処理には、1時間以上かかりそう……」
プログレスバーを見る。まだ5%。遅い。
「遅い……待つしかない」
待ってる間、することがない。暇。
「暇だな……何しよう」
椅子でぐるぐる回る。クルクル。
「うー……」
目が回る。気持ち悪い。
「やめよ……」
ベッドを見る。ふかふかのベッド。
「ちょっとだけ……横になろう……目を閉じるだけ。寝ないよ?」
ベッドに横になる。体が沈む。
「気持ちいい……枕が柔らかい……ちょっとだけ……休憩……」
目を閉じる。暗闇。気づいたら、うとうとしていた。意識が遠のく。
「ん……」
どれくらい経ったんだろう。寝ちゃった?
その時。
バツン!
突然、部屋の電気がすべて消え、PCのファンも音を止めた。世界が真っ暗になった。
「……え?」
真っ暗。一瞬、何が起こったか分からなかった。目を開けても何も見えない。
「停電……?」
心臓がドキドキする。早い。怖い。
「怖い……」
真っ暗な部屋。何も見えない。手を伸ばしても、何も。
完全な暗闇。
静寂。
私だけが、ここにいる。
「ボトル子……」
手探りで机の方へ。壁を伝って。冷たい壁。
数秒後、予備電源に切り替わったのか、部屋の明かりが再び灯った。
「……ついた!よかった!」
ほっとする。胸を撫で下ろす。でも、PCの画面は、真っ暗なままだった。
「うそ……でしょ……」
心臓が、嫌な音を立てる。ドクン、ドクンって。慌ててPCを再起動する。
「お願い……お願い……お願い!」
電源ボタンを押す。起動音がする。ピッ。
「起動して……お願い……」
Windowsのロゴ。青い画面。デスクトップが表示された。
「よかった……動いた……」
でも、さっきまで1時間かけて処理していたデータは……?
Reality Captureを起動する。手が震える。マウスを握る手が汗ばんでる。
「お願い……残ってて……お願い……」
プロジェクトファイルを開く。そこには、処理を始める前の、まっさらな状態のプロジェクトファイルがあるだけだった。
「あ…………」
声も出ない。1時間の作業が、全部、水の泡。消えた。
「消えた……」
私は、机に突っ伏した。額を机に押し付ける。
「うそ……」
涙が出てくる。ぽろぽろ。
頬を伝って、机に落ちる。
「Ctrl+S!Ctrl+S!保存は大事だって、あんなに言われてたのに!私のバカ!バカ!バカ!」
誰に言われたわけでもないけど、心の底から叫んだ。叫びたくなった。
「1時間……無駄になった……」
でも、落ち込んでいても仕方ない。泣いてても戻らない。
涙を拭く。手の甲で。
「……もう一回やるしかない」
涙を拭く。
「泣いてる暇ない!やり直す!」
私は、もう一度、最初からデータを取り込み、処理を開始した。
「もう一回……頑張る……!絶対に、もう失敗しない!」
Align Images実行。そして、処理中は、5分おきに、執拗なまでに保存ボタンを押し続けた。
「保存、保存、保存……」
5分経過。タイマーをセットした。
「Ctrl+S!」
保存。また5分。ピピピ。
「Ctrl+S!」
保存。また保存。
「絶対、もう失敗しない……!二度と同じ失敗しない!」
処理を見守りながら、ずっと保存ボタンを押し続けた。時計を見ながら。
画面を見つめる横顔。
疲れた顔。
でも、諦めない目。
深夜、ようやく完成した貯水タンクの時間の化石は、完璧だった。
「……できた!」
空からの視点と、地上からの視点が見事に融合し、一つの歪みのないモデルになっている。四角い巨大な建物。島の一番高いところにあった、命の水の貯蔵庫。
「完璧……でも、疲れた……本当に疲れた……」
時計を見る。午前2時。
「こんな時間……もうこんな時間」
ネットタイムはもう終わってる。でも、まだ少し時間があった。ギリギリ。
「少しだけネット見よう……」
「軍艦島 水不足」と検索する。当時の苦労が生々しく綴られた記事がたくさん出てきた。
「断水は日常茶飯事……子供たちは水風呂に入った後、その水を洗濯に使っていた……!」
水を再利用。一滴も無駄にしない。
「お風呂の水で洗濯……」
私なんて、シャワーを何分も浴びて、水を使い放題。洗濯機のボタン押すだけ。
「お風呂に毎日入れて、水を使い放題な私の生活は、この島の人たちから見たら、天国みたいなんだろうな」
「贅沢だったんだ……私……すごく贅沢だった」
水のありがたさ。電気のありがたさ。データのバックアップの大切さ。
「全部、当たり前じゃないんだ……」
私は、ボトル子に報告した。
「ボトル子……セーブは、こまめにしようね……水も、電気も、データも。失ってから気づくんじゃ遅いんだ」
ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。
「そうだよね……」
【残り日数:18日】
画面の数字を見る。赤い数字。冷たい数字。
「あと18日……」
失敗は、成功の母。そう信じたい。
「……だと、信じたい。信じる」
完成した貯水タンクの3Dモデルを見る。島の一番高いところにあった、四角い建物。5,000人の命を支えた、水の貯蔵庫。
「水って、命なんだ」
おやすみ、26番さん。
「おやすみ、ボトル子」
PCの電源を落とす前に、もう一度保存。Ctrl+S。
今夜は、失敗したけど。でも、立ち直れた。やり直せた。それだけで、成長だと思いたい。
思いたい、じゃなくて、成長したんだ。きっと。
静寂が、部屋を包む。




