第34話 朝・貯水タンクとチャイナドレス
十二日目の朝。
体が重い。肩が凝ってる。首も痛い。腰も痛い。十二日間の疲労が、層になって積み重なってる。
でも、慣れてきてもいる。この疲れにも、この生活にも。
今日もLAUNDRYボックスを開ける。今日の衣装は──
「チャイナドレス!?」
真っ赤なチャイナドレス。しかもスリットが深いやつ。太ももまで見えるレベル。
「……もう、何も言うまい」
私は無心でそれに着替えた。もう驚かない。驚いたら負けだ。鏡を見る。
「スリット深すぎでしょ!足丸見えじゃん!動きにくいし!」
でも、もう驚かない。メイド服もゴスロリも着たし、チャイナドレスくらい……って、これが一番恥ずかしいかも。
鏡の中の私。
真っ赤なドレス。白い肌。黒い髪。
色のコントラストが、鮮やかだ。
廃墟には似合わない、華やかな色。
でも、美しい。
ボトル子に見せる。
「ねえボトル子、今日はチャイナドレスだよ。可愛い?……嘘でしょ」
ボトル子は笑ってる。絶対笑ってる。いつもの笑顔。変わらない笑顔。
「笑ってるよね!私のこと笑ってるよね!」
朝食のタッチパネルを開く。
「中華風おかゆ……あ、チャイナドレスだから?気が利いてるじゃん!」
ウィーンとトレーが出てくる。中華風おかゆの匂い。優しい匂い。温かい匂い。
でも、また完璧なタイミングだ。私が起きたタイミングで、ちょうど温かい。
まるで、全部見られてるみたい。
出てきた中華風おかゆ。優しい味のおかゆが、寝起きの体に染み渡る。スプーンですくって、一口。
「美味しい!優しい味!ザーサイの食感もいい!」
でも、チャイナドレスで食べるものじゃないよね、絶対。シュールすぎる。一人コントかよ。
食べながら、今日の撮影対象を確認。
【Day12:貯水タンク】
「貯水タンクか……水を溜めるやつだ」
資料を開く。岩礁南寄りの最も高い部分にある、巨大なコンクリートの四角い建物。
「最も高い部分……島の一番上ってこと?」
読み進める。軍艦島には湧き水が一切なく、水は常に貴重品だったらしい。
「湧き水がない……そっか、海に囲まれてるけど、真水はないんだ」
初期は雨水や海水を蒸留した水を使っていた。島内に製塩工場を造って、蒸留水を配給する設備を整えた。でも絶対量は少なく、生活用水には雨水や海水を使っていた。
「海水を蒸留……大変そう……というか、すごい手間じゃん」
昭和に入ると給水船「三島丸」が就航。毎日水を運んできた。
「給水船……毎日来てたんだ。それでも足りなかったのか……」
戦後になると給水船は1日3往復するようになった。でも今度は輸送費がかさむ。
「輸送費……お金もかかるよね」
それでも足りず、最終的には、対岸から海底に水道管を引くという、日本初のプロジェクトが行われた。昭和32年、約6,500メートルもの海底パイプライン。
「6,500メートル!?海底に!?すごい!日本初!?」
でも、ちょうど人口が5,000人を超える時期と重なっていたから、結局水不足は解決しなかったらしい。
「5,000人……この小さい島に……そりゃ水足りないよ……」
野母半島の貯水池を何度も改修して、昭和42年に10万トンの貯水池が完成。ようやく水問題が解決した。
「昭和42年……それまでずっと水不足に悩まされてたんだ」
水券っていうのもあったらしい。会社から発行される水券と引き換えに、飲料水を配給。
「水券……水がお金みたいな扱いだったんだ。蛇口ひねれば水が出るのが当たり前だと思ってたけど……」
お風呂の水で洗濯してたって書いてある。共同浴場の入浴時間は15時から20時まで。たった5時間。
「5時間!? 短っ!3,700人弱の人口で、5時間!?1時間に200人とか無理じゃん!」
トイレも、最初は汲み取り式。その後、海水を使った半水洗。昭和32年の海底水道でようやく水洗トイレが普及。
「海水でトイレ流すって……塩漬けになっちゃうじゃん。それで赤痢とか伝染病が……怖い」
この貯水タンクは、その命の水の貯蔵庫だったんだ。5,000人の喉を潤していた。
「5,000人……想像できない」
おかゆを食べ終わって、日焼け止めを塗る。チャイナドレスの肩が出てるから、しっかり塗らないと。
「完璧!今日も焼かない!」
カメラとドローンを準備。ボトル子に手を振る。
「行ってきます!チャイナドレスで!」
ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。
「笑わないでよー……恥ずかしいんだから」
部屋を出る。階段を下りる時、スリットから足が見えすぎる。
「恥ずかしい……誰もいないけど恥ずかしい……」
監視カメラの赤いランプ。じっとこっちを見てる。
「見てるよね……絶対見てるよね……」
顔が赤くなる。耳まで熱い。
「もう、やめて……視線感じる……」
でも、歩き続ける。文句言っても仕方ない。
外に出る。今日も暑い。太陽が容赦ない。
「チャイナドレス、涼しいかと思ったけど……」
意外と暑い。布地が体に張り付く。
貯水タンクへの道を歩く。
赤いドレス。
灰色の廃墟。
青い空。
コントラストが、鮮やかだ。
「高台……また階段登るのか……」
案の定、長い階段。しかも急。
「うう……でも、地獄段よりはマシだよね!マシ!マシだから!」
一段、また一段。息が上がる。十二日間の疲労が、足に来てる。
「はぁ、はぁ……運動不足……」
チャイナドレスのスリットが、歩くたびにパカパカする。
「気になる……登りにくい……誰が作ったのこの服!」
片手でスリットを押さえながら登る。もう片方の手でカメラを支えて。
「重い……腕痛い……」
10分くらい登って、ようやく貯水タンクの麓に到着。
「着いた……やっと着いた……」
息を整えて、見上げる。その大きさに圧倒される。
「でかっ!高すぎ!首が痛くなる!」
巨大な四角いコンクリートの建物。これが貯水タンク。想像してたのと違う。もっと丸い形を想像してた。
「四角いんだ……すごく無骨な感じ」
コンクリートの壁には、無数のひび割れが走ってる。そこから植物がたくましく根を伸ばしている。
「植物、強いなあ……コンクリート突き破ってる」
近づいて触ってみる。ざらざらの感触。熱い。太陽に焼かれてる。
共感覚的記憶が来る。プラチナ色の、か細くも確かな光。生命力だ。水の記憶。5,000人の命を支えた水の記憶。
この建物が、島の一番高いところにある理由。水を重力で下に流すため。高いところから低いところへ。
「なるほど……だから一番高い場所なんだ。水圧を利用するために」
タンクの壁に手を触れる。
「冷たい……じゃなくて、熱い。でも中は冷たかったはず。ここに、水が溜められてたんだ……」
この島の人たちにとって、水はどれほど貴重だったんだろう。蛇口をひねれば水が出る。そんな当たり前が、ここにはなかった。
「水券と引き換えに水をもらう……お風呂の水で洗濯する……」
私の生活、どれだけ贅沢だったんだろう。
撮影開始。地上からのカメラで撮影。
「でも、これじゃ全体が撮れない……高すぎる」
巨大な四角い建物を、どうやって歪みなく撮影するか。地上からだけじゃ、上の方が全然撮れない。
「地上からだけじゃ、絶対に無理だ……ドローンしかないか」
今日も、アイツの出番みたいだ。相棒、頼むよ。
「よし、午後はドローンで撮影しよう!今は地上から撮れるだけ撮る!」
地上からの撮影を続ける。壁のひび割れ、植物、コンクリートの質感。錆びた配管。一つ一つ、丁寧に。
「この亀裂も、この植物も、全部記録する」
1時間ほど撮影して、汗だく。
「暑い……水飲みたい……」
水筒の水を飲む。ごくごく。
「美味しい……水って美味しい。当たり前に飲めることが、どれだけ幸せか」
この島の人たちは、この水をどんな気持ちで飲んでたんだろう。
部屋に戻る準備。チャイナドレスが汗でべったり。
「気持ち悪い……早くシャワー浴びたい」
階段を下りる時、またスリットがパカパカ。
「気になる……でも、誰も見てない。監視カメラは見てるけど……」
顔が赤くなる。また。
部屋に戻って、ボトル子に報告。
「ただいま、ボトル子!貯水タンク、すごかったよ!めっちゃ高いところにあった!午後はドローンで撮影する。空から見ないと、全体が撮れないんだ」
ボトル子は黙ってる。でも、聞いてくれる。いつも聞いてくれる。
今日も、頑張る。水のありがたさを噛みしめながら。




