第33話 夜・実績解除:光の狩人
部屋に戻り、シャワーで汗と埃を洗い流した。じゃばじゃば。
「あー気持ちいい!」
ゴスロリドレスを脱げた解放感がすごかった。めっちゃすごい。体が軽くなった気がする。
「やっと脱げた……!重すぎた……!」
LAUNDRYボックスに放り込んだ。ぽいっ。
「洗濯よろしくお願いします……」
髪を洗った。ごしごし。そして今日もシャンプーが目に入った。
「痛っ!毎日恒例!なんで毎日入るの!」
もう驚かない。水で流した。じゃばじゃば。しみる。
「ルーティン……悲しいルーティン……」
シャワーから出て、タオルで髪を拭いた。ごしごし。
「さっぱり!」
夕食は親子丼。タッチパネルから注文した。
「やった!親子丼!」
ウィーン。出てきた親子丼は、めっちゃ美味しそうだった。湯気が立ってる。卵がふわふわ。
卵の匂い。甘じょっぱい匂い。温かい匂い。
でも、この部屋は相変わらず冷たい。
「ふわふわの卵……」
一口食べた。
「美味しい!」
卵がふわふわ。鶏肉が甘じょっぱい。ご飯との相性が抜群。
「ふわふわの卵と、甘じょっぱい鶏肉……最高の組み合わせ……」
お母さんが作ってくれる親子丼を思い出した。日曜日の定番メニュー。
「お母さんの親子丼……」
いつも日曜日のお昼に作ってくれた。私の好物だから。卵の火加減が絶妙だった。
「なんだか、泣きそう……」
優しい味に少しだけホームシックになった。胸がじーんとする。
「お母さん、元気かな……心配してるかな……」
涙が出そうになった。ぐっと堪える。泣いたらダメ。
「ダメダメ、泣いちゃダメ。今は食べる。食べて元気出す」
最後まで食べて、口を拭いた。
「ごちそうさまでした」
ボトル子に話しかけた。
「ねえボトル子、親子丼美味しかった」
ボトル子は笑ってる。いつも黙ってる。でも、聞いてくれる。
「そうだよね。ご飯って大事だよね」
PCの前に座った。ゲーミングチェアが体を包み込む。
部屋の換気扇が、低く回ってる。ヴーーーン。
「よし、今日のデータ処理するよ!」
今日の撮影枚数は1800枚。JPEGの時より少ないけど、データ量は倍以上だった。ファイルサイズが全然違う。
「RAWって、こんなに重いんだ……ファイルサイズやばい……」
PCにRAWデータを取り込み、専用の現像ソフトを起動した。
「えーっと、RAW現像ソフト……」
アイコンをクリックした。ぽちっ。
ソフトが起動した。ウィーン。PCのファンが回る音。ブゥゥゥン。
画面には、たくさんのスライダーが並んでいた。見たことないインターフェース。
「うわ、難しそう……なにこれ……」
露出、コントラスト、ハイライト、シャドウ……。専門用語ばかり。
「露出?コントラスト?ハイライト?シャドウ?」
聞いたことあるけど、使ったことない。写真部じゃないし。
「とりあえず、触ってみよう……触って覚える……」
最初の写真を開いた。ぽちっ。画面いっぱいに写真が表示される。
51号棟の窓から光が差し込む写真。
「あ、やっぱり白く飛んでる……」
窓の外が真っ白。何も見えない。完全に白飛び。
「これを、直せるのかな……本当に……?」
半信半疑で、ハイライトのスライダーに手を伸ばした。マウスを握る。
「これかな……下げてみる……」
慎重に左に動かした。ぐーっと。恐る恐る。
「……!」
白く飛んでしまっていた窓の外の海が、くっきりと浮かび上がってきた。まるで魔法みたいに。
「すごい……!」
感動した。めっちゃ感動した。こんなことができるなんて。
「隠れてた海が見える……!魔法みたい……!」
次は、シャドウのスライダーを試した。今度は上げる。
右に動かした。ぐーっと。
「おお……!」
黒く潰れていた廊下の影の奥に、壁のディテールが見えてきた。質感まで見える。
「すごい……!光を、操ってるみたい……!私、魔法使いになった……!」
夢中になって、スライダーを動かした。あっちこっち触る。
露出を上げたり下げたり。コントラストを調整したり。色温度をいじったり。
一枚一枚、写真が劇的に変わっていく。まるで別の写真みたいに。
「これは……魔法みたい……本当に魔法みたい……」
私は夢中になって、一枚一枚、写真と向き合った。時間を忘れて。世界がPCの画面だけになった。
画面の光が、私の横顔を照らす。
集中する瞳。
光を操る者。
「ただ明るくするだけじゃない……」
この51号棟の、堅牢で、少し寂しい空気感を、どう表現するか。どう伝えるか。
「どうやって伝えよう……どうすれば……」
それは、まるで絵を描くような作業だった。写真を撮るというより、絵を描く。
「絵を描くみたい……写真じゃなくて、絵……」
2時間、ずっと画面と向き合っていた。目が疲れた。でも楽しい。
「疲れた……でも楽しい……めっちゃ楽しい……」
椅子でぐるぐる回った。くるくる。
「目が回る……」
でも、満足。めっちゃ満足。こんなに集中したの、久しぶり。
現像を終えた写真を使って、記憶の紡績を開始した。いつもの工程。
Align Images、Create Model、Simplify、Unwrap、Texture。
「いつもの工程……」
でも、今日は違う。何かが違う。期待が膨らむ。
処理が終わって、画面に現れた時間の化石を見て、私は思わず息を呑んだ。
「……すごい」
光と影が、完璧に再現されていた。まるでそこにあるみたいに。
「完璧……」
窓から差し込む光の筋、廊下が落とす深い影。そのコントラストが、建物に命を吹き込んでいるようだった。生きてるみたい。
「生きてる……建物が、生きてる……」
マウスでぐるぐる回した。くるくる。どの角度から見ても完璧。
「この光……この影……全部、再現されてる……」
全部。何もかも。
「……やった」
拳を握りしめた。ぐっと。力が入る。
「私、やった!」
その時、PCからピロリン♪と効果音が鳴った。聞き慣れない音。
「ん?なに?」
画面を見た。
『実績解除:光の狩人』
『あなたは写真の本質、光を捉える技術を習得しました』
『報酬:限定アイテム「高性能PLフィルター」を支給します』
「え?報酬?アイテムもらえるの?」
机の引き出しが、カチャリと音を立てて開いた。自動で。
「おお!」
中には、レンズの前に取り付ける、黒い円盤状のフィルターが入っていた。
「これ……」
手に取ってみた。ひんやりしてる。ガラスとプラスチックの中間みたいな感触。
「PLフィルター……」
光の反射を抑える、プロ用の機材だ。写真部の先輩が使ってたやつ。
「プロ用……!私、プロ用の機材もらっちゃった……!」
嬉しい。めっちゃ嬉しい。認められた気がする。
「……見てるだけじゃなくて、ちゃんとご褒美もくれるんだ。やった!」
ボトル子に見せた。
「ねえボトル子、見て!PLフィルターもらった!」
ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。
「すごいでしょ?プロ用だよ!プロ用!」
26番さんにも報告したくなった。
「26番さん、見てる?私、また一つ、新しい武器を手に入れたよ」
夜のネットタイム。1日30分の貴重な時間。
「よし、今日は何調べよう……」
私は「軍艦島 51号棟」で検索した。もっと知りたい。
「51号棟について、もっと知りたい」
検索結果をクリックした。ぽちっ。
この棟は、1961年に建てられた最後の防潮棟だった。
「1961年……閉山の13年前……島の最後の時代に建てられた建物……」
それまでの防潮棟とは違い、初めて居室の窓を海側に設置したという。大きな挑戦だったはず。
「挑戦的……すごい挑戦……」
小さな窓と室内ベランダの2重構造で、波から守っていた。
「細かい配慮……すごい……当時の技術者、天才……」
半地下階には商店街があり、日給社宅と空中廊下で繋がっていた。
「空中廊下……」
「人と人を繋ぐ……」
私が今日渡った、あの廊下。怖かった。
「風が強くて怖かったけど……毎日渡ってた人たちがいたんだ……すごい……」
そして、この棟は「島を潮害から守った壁のような建物」と呼ばれていたらしい。
「壁……」
「そうだ、壁だった……でも……」
海に立ち向かう壁。人を守る壁。でもそれだけじゃない。
「でも、同時に家でもあった……」
40世帯が暮らした、温かい家。笑い声があった家。
「壁であり、家であり、橋でもあった……全部……」
そう思うと、昼間見た巨大な建物が、少しだけ優しく見えた。
「優しい……」
【残り日数:19日】
画面の数字を見た。赤い数字。冷たい数字。
「あと19日……」
技術は、想いを形にするための道具なんだ。今日、それを実感した。
「技術と想い……両方、大事。どっちも」
ボトル子に話しかけた。
「ねえボトル子、今日は特に成長した気がする」
ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。変わらない笑顔。
「そうだよね、頑張ったよね。ありがとう」
おやすみ、26番さん。
「おやすみ、ボトル子」
今夜も、一人じゃなかった。
静寂が、部屋を包む。




