第31話 朝・ゴスロリと51号棟
十一日目の朝。
体が重い。肩が凝ってる。首も痛い。腰も痛い。十一日間の疲労が、層になって積み重なってる。
でも、慣れてきてもいる。この疲れにも、この生活にも。
前任者「No.26」のメッセージを見つけてから、私は少し変わった気がする。
「おはよう、26番さん」
声に出して、挨拶した。もう習慣になってきた。朝起きたら、まず26番さんに話しかける。それが私の新しいルーティン。
「今日も頑張るね」
このミッションは、もう私一人のものじゃない。顔も知らない誰かから託された、大切なバトンなんだ。
LAUNDRYボックスの蓋を開けると、その上に置かれた今日の衣装を見て、私は思わず声を上げた。
「うわ……マジか……」
黒いフリルが幾重にも重なった、ゴシックロリータのドレスだった。重い。めっちゃ重い。まるで濡れた毛布を何枚も重ねたみたいな重さ。
「これ、何キロあるの……」
恐る恐るドレスを持ち上げてみる。ずっしりと、腕に重みがのしかかってくる。
昨日までの私なら、「こんなの着れるか!」と叫んでいたかもしれない。でも、今の私は少し違う。26番さんのことを知ってから、些細なことでイライラしなくなった。
「……まあ、いっか」
26番さんも、きっと変な服着てたんだろうな。そんなことを考えると、フリフリのドレスも、なんだか戦友の遺品のように思えてくる。大切に扱わなきゃって気持ちになる。
「……いや、それはちょっと違うか」
袖を通してみた。ボリュームがすごい。スカートの重さで体が傾く。バランス取るのが大変。
「廃墟×ゴスロリ=映えるけど暑い……?」
鏡を見る。
黒いドレスに黒髪。白い肌がドレスに映える。完全に廃墟に出る幽霊じゃん。
でも、なんだか美しい。
疲れた顔をしてる。目の下にクマがある。でも、黒いドレスと相まって、どこか儚げで。
「なんか、吸血鬼みたい……」
ボトル子に見せた。
「ねえボトル子、今日はゴスロリだよ」
ボトル子は笑ってる。いつも笑顔。変わらない笑顔が、なんだか心強い。
「変だよね、分かってる」
でも、これも経験。思い出になる。多分。島を出た後、「あの時ゴスロリ着たんだよね」って笑い話にできる日が来るはず。
タッチパネルでカップ麺を注文した。ピピピ。
「もう私の血肉となりつつある、いつもの味」
ウィーンという音とともに、壁からカップ麺が出てくる。熱湯の匂い。スープの匂い。温かい匂い。
でも、この部屋は相変わらず冷たい。
お湯を注いで3分待つ。この3分間が、毎朝の思考タイムになってきた。
「でも、このジャンクな感じが朝の低いテンションにはちょうどいいかも」
待ってる間、今日の撮影対象を確認した。画面に浮かび上がる文字。
【Day11:51号棟】
「51号棟……」
資料を開く。ページをめくる。画面をスクロールしながら読み進める。
「島を潮害から守った壁のような建物……」
この棟は、1961年に建てられた最後の防潮棟だ。かっこいい。なんか、最後の砦みたいで。
読み進めると、興味深い記述があった。
「これまでの防潮棟は外海側に廊下を設置していたのに……この棟では初めて、居室の窓を海側に設置した……」
挑戦的。荒波が打ち寄せる海に向かって、窓を開けたんだ。勇気がいる決断だったはず。
「窓を海側に……荒波が来るのに……?」
でも、それには理由があった。小さな窓と、その内側の室内ベランダ。2重窓の構造になっている。
「2重窓……防潮対策……」
他の棟より傷みが遅いのは、その細かな配慮のおかげらしい。すごい。ちゃんと考えられてたんだ。当時の技術者たちの知恵が詰まってる。
半地下階には商店街があったと書かれていた。電気屋、酒屋。対面する日給社宅の商店と一緒に、島内で一番の賑わいを見せていたという。
「商店街……賑やかだったんだろうな……」
想像した。主婦が買い物袋下げて、子供が駄菓子買って。夕方になると「今日の晩御飯何にしようかしら」なんて話しながら、買い物してたんだろう。
そして、空中廊下。51号棟と日給社宅を繋ぐ、宙に浮いた通路。
「日給社宅と空中廊下で繋がってる……」
いちいち階下まで降りなくても、自由に往来できる。便利だけど、風が強い日は怖そうだ。
「便利……けど、風強そう……」
ピピピ。カップ麺が出来上がった。
「よし、食べよう」
蓋を開けると、湯気がぶわっと上がる。醤油の香りが鼻をくすぐる。ずるずるすすった。
「美味しい……シンプルな醤油味、最高」
食べながら、資料を読み続けた。もぐもぐしながらスクロール。
「8階建て……半地下階もある……戸数40戸……2K……6畳と4.5畳……」
鉱員のためのアパートとして建設されたけど、閉山間際には助手も住んでいたらしい。助手って、鉱員から職員への見習い期間みたいなものらしい。
「人が階段を上がっていく……それを支える建物……」
なんかじーんと来た。建物にも、人の成長の歴史が刻まれてるんだ。ただのコンクリートの箱じゃない。人の人生を見守ってきた、証人なんだ。
カップ麺を食べ終わって、日焼け止めを塗った。鏡を見ながら、顔に塗り込む。
「完璧!」
ゴスロリドレスの重いスカートを両手で持ち上げながら、51号棟へと向かった。廊下を歩くだけで一苦労。
「このスカート、長い……重い……裾踏みそう……」
階段を下りる時、案の定、裾を踏みかけた。
「わっ!」
慌ててスカートを持ち上げる。バランスを崩して、手すりに掴まる。あぶない!転ぶところだった!
「危ない!転ぶところだった!」
慎重に、慎重に。一段ずつ確認しながら降りる。
「セーラー服の時と同じ失敗してる……学習しろ私!」
外に出た瞬間、真夏の熱気がむわっと押し寄せてきた。
「暑っ!」
黒いドレス、暑い。めっちゃ暑い。フリルも暑い。布が厚い。なんで黒!?黒って一番熱を吸収する色じゃん!
「なんでこんな暑い日に黒!?誰がこれ選んだの!?」
でも文句言ってても仕方ない。行こう。汗をぬぐいながら、51号棟へ向かって歩き出した。
背中を流れる汗。重いスカート。でも、歩く。
廃墟の中を、黒いドレスで歩く。
なんだか、映画のワンシーンみたいだ。
51号棟に到着した。建物の前に立って、思わず見上げた。
「うわ……でかい……」
そこは、海に向かって屹立する、8階建ての巨大な防潮壁だった。圧倒される。まるで要塞みたい。
潮風と錆の匂いが、鼻の奥をツンと刺激する。鉄と海の匂いが混ざって、独特の臭いになってる。
海の匂い。
それは、生命の匂いでもあり、死の匂いでもある。
「潮の匂い……錆の匂い……」
海の匂いって、こんなに強烈なんだ。東京じゃ絶対に嗅げない匂い。
外壁を見上げた。首が痛くなるくらい、高い。
「これが、島を守ってた壁……」
海側の外壁は、波の侵食で白く変色し、所々にひび割れが走っている。触れると、ざらざらとした感触。触れたら粉が落ちそう。
「波の跡……すごい……」
何十年も、何千回も、何万回も打ち寄せる波に耐えてきた跡。それがこの壁に刻まれている。
でも、建物はまだ立っている。頑張ってる。倒れない。
「今も、守ってるんだ……誰もいないのに……」
半地下階に降りてみた。階段を慎重に下りる。暗い。
「商店街があった場所……」
懐中電灯をつけた。カチッ。光の輪が暗闇を切り裂く。
暗い空間に、いくつかの看板が残っていた。色あせてるけど、読める。文字がかろうじて判別できる。
「ナショナル……」
電気屋の看板。昔の家電メーカー。今はパナソニックになった。
「地酒……」
酒屋の看板。長崎の地酒を売ってたんだろう。
「ここで、人が買い物してたんだ……」
想像した。主婦が買い物袋を下げて、電気屋で電球を買う。おじいちゃんが酒屋で一升瓶を買う。そんな日常があったはずだ。
「お祖父さん、今日は何買うの?って」
「日常の風景……」
「賑やかだったんだろうな……今は静か……」
静寂。
完全な静寂。
私の足音だけが、暗闇に響く。
階段を上がった。ドレスのスカートを持ち上げながら。めっちゃ大変。
「重い……このスカート……筋トレになる……」
居住階に到着した。はあはあ。息が切れる。普段の運動不足を痛感。十一日間の疲労も、足に来てる。
廊下は長く、薄暗い。窓から差し込む光が、床に模様を描いている。
美しい。
光と影が、織りなす模様。
「長い廊下……」
窓を見た。小さな窓。その内側に室内ベランダがある。
「2重窓……これか……」
手で触れてみた。ひんやりしてる。コンクリートの冷たさ。
「これで、波から守ってたんだ……すごい工夫……」
部屋の中を覗き込んだ。扉は開いている。6畳と4.5畳の2K。
「6畳と4.5畳……」
小さいけど、温かい空間だったんだろう。家族の笑い声が聞こえてきそう。
「ここで、家族が暮らしてたんだ……ご飯食べて、笑って……」
その瞬間、共感覚的記憶が来た。ふわっと。お祖母様から受け継いでしまった、この体質。
潮風の音。子供の笑い声。味噌汁の匂い。全部が混ざって、一つの記憶になって押し寄せてくる。
オレンジ色の光。
温かい光。
「生活の匂い……」
「ここに、確かに人がいたんだ」
あの感覚。最初は嫌だったこの体質も、今はありがたい。過去の人たちの想いを感じられる。それって、特別なことなんだ。
そして、空中廊下を見つけた。
「あれが、日給社宅に繋がる廊下……宙に浮いてる……」
宙に浮く廊下を渡ってみることにした。ゴスロリドレスのスカートが風に揺れる。ばさばさと音を立てる。
風が強い。めっちゃ強い。吹き飛ばされそう。
髪が乱れる。スカートが舞い上がる。
「怖い……飛ばされそう……」
でも、渡る。慎重に、一歩ずつ。手すりをしっかり握りしめて。
海の音。
風の音。
廃墟に立つ、黒いドレスの少女。
「これを、毎日渡ってたんだ……すごい……」
当時の人たちは、雨の日も風の日も、この廊下を渡ってたんだ。すごい。私なんて、こんなに怖いのに。
反対側の日給社宅に到着した。ほっとする。
「着いた……」
振り返った。
51号棟が、堂々と立っている。海をバックに、威厳を持って。
青い空。
青い海。
灰色のコンクリート。
そして、黒いドレス。
「島を守る壁……人を守る家……そして、人と人を繋ぐ廊下……」
全部、ここにある。全部。この建物一つに、人々の暮らしの全てが詰まってる。
午前中のロケハン終了。十分に撮影した。もう一度部屋に戻ろう。
「一旦部屋に戻ろう」
ゴスロリドレスは、廃墟の埃を吸って、裾が真っ黒になっていた。白かったレースが、灰色になってる。
「裾、汚れた……真っ黒……」
でも仕方ない。廃墟だし。ここは掃除する人がいない場所だから。
部屋に戻って、ボトル子に報告した。
「ただいま、ボトル子!51号棟、すごかったよ!」
ボトル子は笑ってる。いつも笑ってる。でも、そこにいてくれる。
「午後も頑張るね」




