第25話 朝・賑わいの跡とパーカー
九日目の朝、LAUNDRYボックスを恐る恐る開ける。昨日はメイド服だったから、今日はいったい何が出てくるんだろう。
「お、普通!」
思わず声が出た。ごく普通の、紺色のパーカーとデニムのジーンズ。まっさらなスニーカーまで入ってる。
「やった!普通が一番!マジで嬉しい!」
メイド服の翌日だからか、その普通さが眩しくてありがたくて、涙が出そうだ。変な服を着せられることがどれだけストレスだったか、今になって実感する。
「昨日のメイド服、なんだったんだろう……まさか趣味じゃないよね……?」
監視カメラ。赤いランプ。
考えるのやめよう。余計怖くなる。袖を通してみる。動きやすい。軽い。何より、人前に出ても恥ずかしくない。
でも、肩は相変わらず重い。首も凝ってる。九日間の疲労が、層になって積み重なってる。
「最高!これなら頑張れる!」
鏡で全身をチェック。うん、いい感じ。普通の女子高生に戻った。ミカと原宿歩いてても違和感ゼロ。でも、ここは無人島の廃墟なんだけどね……。
「ねえボトル子、今日は普通だよ!やっと普通!」
机の上のミネラルウォーターのボトルに話しかける。いつの間にか、「ボトル子」って名前をつけて、毎日話しかけるのが習慣になってた。人間、一人でいるとこうなるのか。でも別にいいや、ボトル子は私の話を黙って聞いてくれる良き相棒だもん。
変わらない笑顔。いつも同じ場所。
それが、安心する。
タッチパネルで朝食を選ぶ。今日はパンケーキセットが出てる。
「やった!パンケーキ!JKの朝食って感じ!」
ウィーンとパネルが開いて、ふわふわのパンケーキが3枚重なったプレートが出てくる。上にはバターとメープルシロップがたっぷり。湯気が立ち上って、甘い香りが部屋中に広がる。
温かい匂い。甘い匂い。幸せな匂い。
でも、この部屋は相変わらず冷たい。
「ふわっふわ!いい匂い!これ映えるやつじゃん!」
スマホで撮りたい衝動に駆られる。でも圏外だった。そっか。写真撮っても誰にも見せられないんだ。
「……寂しいけど、まあいいや。独り占めってことで」
フォークで一口分を切り取る。バターがとろりと溶けて、メープルシロップと混ざり合ってる。
「いただきます!」
口に入れた瞬間、ふわふわの食感と甘さが口いっぱいに広がる。
「んー!ふわふわ!甘い!美味しい!幸せ……」
思わず目を閉じる。メープルシロップの優しい甘さが、疲れた心を癒してくれる。
「東京にいた頃は、こういうの普通に食べてたのに……」
今は特別に感じる。カフェでミカと「これ映えるね」って写真撮りながら食べてたパンケーキ。当たり前だったことが、今はこんなに特別に思える。
でも、また完璧なタイミングだ。私が起きたタイミングで、ちょうど焼きたて。湯気が立ち上ってる。いつも。毎日。
まるで、私の生活リズムを全部知ってるみたい。
もぐもぐ食べながら、PCで今日のスケジュールを確認する。
【Day9:市場跡(端島銀座)】
「市場……端島銀座?」
銀座って、あの東京の?軍艦島に銀座があったの?なんか想像つかない。
『軍艦島解説資料』を開いて、端島銀座の項目を探す。
「なになに……48号棟、21号棟、22号棟、日給社宅、51号棟に囲まれた地域は『端島銀座』と呼ばれ、島内で唯一の商店街……」
へえ、商店街か。画面をスクロールすると、白黒の古い写真が出てきた。
「うわ、すごい人……」
狭い通路の両脇に露店がひしめき合って、大勢の人でごった返してる。まるで年末のアメ横みたい。みんな笑顔で、活気がすごい。威勢のいい声が聞こえてきそう。
「こんなに賑やかだったんだ……今の寂しさとのギャップがエグい」
資料を読み進める。野菜は高浜から、肉や魚は長崎港から運ばれてきたらしい。
『晴天時は道の両側に所狭しと露店が並び、また雨の日は日給社宅の大廊下が市場に早変わりした』
「雨の日は廊下が市場に……!?それすごくない?」
想像すると面白い。廊下に露店が並んで、お母さんたちが買い物してる光景。狭い島だからこその工夫だったんだろうな。
パンケーキの最後の一口を食べて、口を拭く。
「よし、行こう!」
日焼け止めを塗って、虫除けスプレーもシュッシュッ。もう慣れたもん。九日間で、完全にルーティン化した。鏡でもう一度チェック。パーカーにジーンズ。完璧。
カメラとドローンを準備して、ボトル子に手を振る。
「行ってきます、ボトル子!今日も記憶の狩猟、頑張るからね!」
ボトル子は黙って私を見守ってる。いつも通り。変わらない笑顔。
「うん、いってらっしゃい。気をつけてね」
自分で返事してるのが虚しいけど、まあいいや。
階段を下りる。今日は普通の服だから歩きやすい!足取りが軽い!
「メイド服と全然違う!動きやすさって大事!」
外に出ると、今日も容赦ない太陽が照りつけてる。でもパーカーだから大丈夫。
「ちょっと暑いけど、メイド服よりマシ!あれはマジで地獄だった!」
市場跡への道を歩く。島の中心部。建物と建物の間の細い道を抜けていく。
「ここが……端島銀座」
建物の壁と壁に挟まれた、細長い通路が現れた。幅は3メートルくらい?両手を広げたら壁に届きそうなくらい狭い。
「うわ、狭い……こんな場所に露店が並んでたの?」
今はもう、露店の姿はどこにもない。地面にはガレキが散乱してて、壁は崩れかけて、何もかもが荒廃してる。
静寂。
完全な静寂。
「寂しいな……さっき見た写真の賑わいが嘘みたい」
でも、よく見ると、壁には店の名前が書かれた看板の跡がうっすら残ってる。商品を並べていたであろう棚の金具も、錆びながらもまだそこにある。
「あ、これ看板の跡?」
近づいて触れてみる。ざらざらしたコンクリートの表面。かすかに文字が読める。
「『魚……』魚屋さん?」
少し歩いて、別の壁を見る。
「『八百……』八百屋さんかな?」
「『肉……』お肉屋さん?」
棚の金具を指で触る。冷たくて、ざらざらして、錆びてる。
「ここに、商品が並んでたんだ……」
目を閉じて想像する。野菜、魚、肉。色とりどりの商品が並んでて、お母さんたちが「これください」「まけて」って声をかけてる。
「毎日、ここでたくさんの『こんにちは』と『ありがとう』が交わされてたんだ」
「いらっしゃい!」
「これ、新鮮だよ!」
「今日は特売!」
そんな声が聞こえてきそう。風が通路を吹き抜けて、ヒュウウウと音を立てる。
「……この音が、かつての喧騒のこだまみたい」
しばらく立ち尽くして、風の音に耳を澄ませる。賑やかだったんだろうな。笑い声で溢れてたんだろうな。
「私、見てみたかったな。この賑わいを」
深呼吸して、カメラを構える。
「よし、今日の撮影ルート考えよう」
通路を端から端まで歩いてみる。足音だけが虚しく響く。
静寂の中、その音だけが響く。
「狭いな……でも、50歩くらいはある」
「この50歩の間に、10軒以上のお店があったんだ。密度高すぎでしょ」
すれ違うの大変だったろうな。人と人がぶつかりながら、でもそれが楽しくて、みんな笑ってたのかもしれない。
地面を見る。コンクリート。所々欠けてる。
「ここを、毎日たくさんの人が歩いてたんだ」
足跡が残ってるような気がする。何千人、何万人の足跡。積み重なった時間。
壁に手を触れると、また来た。あの感覚。お祖母ちゃんから受け継いだ、共感覚的記憶。
視界の端に、温かいオレンジ色の光が浮かぶ。人の温もりの色。そして、青白い光。新鮮な魚の色。緑色の光もある。野菜の色だ。
「……温かい」
みんなの笑顔、買い物の楽しさ、日常のささやかな幸せ。そういう記憶が、この場所に染み込んでる。
「たくさんの人の体温が、ここに残ってる気がする」
胸がキュッとなる。切ないけど、温かい。
「よし、撮影開始!」
通路の入り口から、まずは全景を撮る。
「まずは全体を押さえて……」
カシャ。
一歩進んで、また撮る。
「重複率80%……もう忘れない……1日目の失敗は繰り返さない!」
壁の看板跡も丁寧に撮る。
「これも大事な記憶だもん」
棚の金具も。
「ここに商品が並んでた証拠」
地面も。
「たくさんの足跡が通った場所」
一つ一つ、愛おしむように撮影していく。さっきまでただの廃墟だったのに、今は違う。ここには確かに、人々の生活があった。
気づいたら2時間も経ってた。
「お腹すいた……喉も渇いた……」
水筒持ってくればよかった。でもあと少しだけ頑張ろう。
「一旦部屋に戻って、午後はドローンで上から撮影しよう」
部屋への帰り道、階段を上りながら考える。
「市場跡、寂しかった……でも、昔は賑やかだったんだ」
「その賑わいを、どうやって記録しよう……」
「形だけじゃなくて、雰囲気も残したい」
難しい。でも、やってみたい。私なりのやり方で。




