第23話 昼・フリルとカップ麺
ロケハンを終えて部屋に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
「疲れた……肉体的にも精神的にも……」
メイド服のスカートの裾が埃で真っ黒になってる。
「裾、真っ黒……やっぱりこうなるよね」
白いエプロンにも、壁の汚れがついてる。
「うわ、最悪……真っ白だったのに……」
でもしょうがない。廃墟探索だもん。
ボトル子に報告。
「ただいま、ボトル子!日給社宅、すごかったよ!生活の跡がいっぱい残ってた!」
ボトル子は黙って笑ってる。いつもの笑顔。変わらない笑顔。
「子供の靴とか、落書きとか、身長測った跡とか……切なくなっちゃった」
タッチパネルで昼食を選ぶ。今日は醤油ラーメンにしよう。
「お腹すいた!ラーメン食べる!」
ウィーンとパネルが開いて、熱々のラーメンがトレーに乗って出てくる。湯気がもくもく。醤油の香りが、部屋に広がる。
温かい匂い。でも、この部屋は相変わらず冷たい。無機質で、冷たい。
「いい匂い!醤油ラーメン!チャーシューも乗ってる!」
机に置いて、ゲーミングチェアに座る。
その瞬間、気づいた。
「……あ」
自分の胸元を見下ろす。白いエプロンの胸元には、大きなフリル。ひらひらの、真っ白な、フリル。
「これ、絶対汁が飛ぶやつじゃん……!ラーメンの天敵!」
フリルを見つめる。真っ白。まだ何も汚れてない部分。
「汚したら終わりだ……このエプロン、今日一日着なきゃいけないのに……」
どうしよう。エプロン外す?でも、それもなんか違う気がする。
「仕方ない……姿勢で回避するしかない!」
私は、エプロンを汚さないように、人生で一番、猫背になってラーメンをすすった。
「うぐぐ……姿勢きつい……腰痛くなりそう……」
フリルをかばいながら麺をすする。箸を持つ手を慎重に。
「これ、絶対変な姿勢……筋肉痛になる……」
一口すする。麺が口に入る。
「んー!美味しい……けど、食べにくい!全然楽しくない!」
スープが飛ばないように、慎重に、慎重に。口を小さく開けて、麺を少しずつ。
「メイド服にラーメンの汁は致命的……名言だわこれ」
格言集に載りそうなセリフを呟きながら、なんとか食べ進める。背中が痛い。首も痛い。
でも、途中で箸が滑る。
「あっ!」
麺が落ちる。時間が止まる。スローモーション。
ポチャン。
ギリギリで器の中に着水。
「危なかった……床に落ちるとこだった……心臓止まるかと思った……」
心臓バクバク。手汗びっしょり。
「気をつけないと……集中、集中……」
最後の一口まで、ずっと猫背。ずっと緊張。
「終わった……疲れた……ラーメン一杯食べただけなのに……」
たかが昼食なのに、ミッションを一つクリアしたような達成感があった。
「背中痛い……肩痛い……首痛い……」
伸びをする。背骨がゴキッと鳴る。
「痛っ!鳴った!音でかい!」
ボトル子に報告。
「ねえボトル子、ラーメン食べるだけでこんなに疲れるなんて……普通じゃないよね」
ボトル子は黙ってる。いつも黙ってる。でも、聞いてくれる。
「そうだよね、メイド服が悪いよね。私は悪くない」
少し休憩してから、午後の撮影に出かける。今度は建物の「生活」を切り取ることに集中しよう。
メイド服のスカートの裾を持ち上げながら、再び日給社宅の各部屋を回る。
「重い……このスカート……でも筋トレになる……かも」
畳が腐って床が抜け落ちた部屋。危険。
「危ない……近づけない……遠くから撮ろう」
望遠で撮影。
壁に残る、家族の身長を刻んだ柱の傷。
「これ、朝も見た……でももっとちゃんと撮りたい」
カメラで何枚も撮る。
「いろんな角度から……光の当たり方で見え方が変わる……」
窓辺に置かれたままの、小さな子供の赤い靴。
「また会ったね……」
しゃがんで、目線を合わせて撮影。スカートが邪魔。
「可愛いな……大切に履いてたんだろうな」
一つ一つの場所に、カメラを向ける。丁寧に。愛おしむように。
撮影の途中、1階に下りてみることにした。
「1階……確か、商店が入ってたって資料に書いてあった」
階段を慎重に下りる。スカートの裾を持ち上げながら。
「厚生食堂……どこにあるかな……」
薄暗い廊下を進む。壁には、かすれた文字が残ってる。
「『厚生……』あった!ここだ!」
厚生食堂の跡。入口のガラスは割れて、ドアは半分外れてる。
「お邪魔します……」
中に入る。カウンター席の残骸。テーブルが倒れてる。
「ここで、島の人たちがご飯食べてたんだ……」
目を閉じると、また共感覚的記憶が視える。賑やかな声、笑い声、食器の音。オレンジ色の温かい光。
「『今日の刺身定食、美味いな』」
「『おかわり!』」
「『ビール、もう一杯!』」
そんな声が聞こえる気がする。
カウンターの奥を覗く。厨房の跡。
「調理場……お鍋とかあったのかな……」
足元に何か光るものが見えた。
「ん?」
しゃがんで見る。瓦礫に半分埋もれてる。
「これ……」
そっと掘り起こす。埃を払う。
出てきたのは、二つの丼ぶりだった。
一つは蓋付きで、赤と白の色。蓋の中央には小さな文字。
「『厚生食堂』……」
店の名前が書いてある。
「ここのお店の丼ぶりだ……」
もう一つは、白い丼ぶり。縁に龍の絵が描かれてる。
「龍……かっこいい……」
さらに掘り起こすと、二つのビールジョッキも出てきた。
「ビールジョッキも……」
手に取る。ずっしりと重い。底を見ると、厚さが違う。
「手作り……?一つ一つ、厚さが違う……」
片方は底が厚くて、もう片方は少し薄い。
「職人さんが、手作りで作ったのかな……一つ一つ、丁寧に……」
ジョッキを光にかざす。気泡が入ってる。不均一な形。でも、それが温かい。
「このジョッキで、誰かが乾杯してたんだ……」
「『お疲れさん!』」
「『今日も一日、よく働いた!』」
そんな声が聞こえる気がする。
丼ぶりとジョッキを並べる。四つ。
「誰が使ってたんだろう……」
「家族連れ?友達同士?仕事仲間?」
手を触れる。冷たい陶器。でも、かつては温かい料理を盛り付けられて、温かい手で持たれていた。
「……持って帰ろう」
そう決めた。
「置いていったら、いつか朽ちちゃう。瓦礫に埋もれて、忘れられちゃう」
「私が、大切にする。ちゃんと飾って、忘れないようにする」
丼ぶりとジョッキを、そっとカメラバッグの中に入れる。タオルで包んで、割れないように。
「大丈夫……ちゃんと持って帰るからね……」
厚生食堂を出る前に、もう一度振り返る。
「ありがとう……大切にします」
ぺこり、と頭を下げて、店を出た。
カメラバッグが少し重くなった。でも、いい重さ。大切なものを運んでる重さ。
そのまま探索を続ける。ある部屋の押し入れの奥に、何か見つけた。
「ん?あれ……」
埃だらけの、四角い何か。
「これ……アルバム?」
古びたアルバム。茶色く変色してる。
「触っていいのかな……でも、気になる……」
そっと引っ張り出す。重い。
「重い……中に写真がいっぱい入ってるのかな」
両手で持って、窓辺の明るい場所へ移動する。光の中で見たい。
「開けてみよう……」
そっと表紙を開く。ページがパラパラと。
そこには、この島で暮らす家族の、たくさんの笑顔があった。
「わぁ……すごい……」
白黒写真。でも、笑顔がはっきり分かる。みんな、本当に楽しそう。
運動会の写真。子供たちが走ってる。
「かけっこしてる……一生懸命な顔……」
海水浴の写真。海で泳いでる子供たち。
「海で泳いでる!楽しそう!水しぶきまで写ってる!」
お祭りの写真。浴衣を着た人たちが並んでる。
「屋台だ!盆踊り?提灯がいっぱい……」
写真の中の人たちは、みんな幸せそうだ。
「いい笑顔……本当に、心から楽しんでる顔」
ページをめくるたびに、いろんな表情が現れる。
「入学式……卒業式……ランドセル背負ってる……」
「誰かの誕生日……ケーキがある……」
「家族写真……お父さん、お母さん、子供三人……」
その白黒写真を見ているうちに、お祖母ちゃんの記憶が蘇ってきた。
『ユイ、これを見てごらん』
お祖母ちゃんの優しい声が聞こえる気がする。
そう言って、お祖母ちゃんが見せてくれたのも、色褪せた白黒写真だった。
「私も、お祖母ちゃんに見せてもらった……こういう写真……」
写真の中の、私の知らない人たちのことを、お祖母ちゃんはまるで自分の家族のように、愛おしそうに語ってくれた。
『この人はね、毎朝必ず庭に水をやってたの。花が好きでね』
『この子はね、いつも笑顔で、みんなを元気にしてくれたの。天使みたいな子だった』
一枚一枚の写真に、物語があった。人生があった。
『消えていっちゃう記憶を、どうにか繋ぎ止めたいって、あの時思ったんだ』
「だから……」
涙が溢れそうになる。目がじんわり熱くなる。
「だから、お祖母ちゃんはあんなにたくさん、昔の話をしてくれたんだ……」
記憶を繋ぎ止めるために。忘れられてしまわないように。誰かの人生を、誰かの笑顔を、消さないために。
「私も、同じことしてるんだ……今、ここで」
アルバムを抱きしめる。大切に、大切に。
「ありがとう、お祖母ちゃん……教えてくれて、ありがとう」
しばらく、そのまま座り込んでた。時間の感覚がなくなる。ただ、写真を見つめて、過去と対話してた。
静寂。
長い静寂。
「……」
やがて、私はそのアルバムを元の場所に戻した。
「ごめんね、勝手に見て……でも、ありがとう」
押し入れの奥に、そっと戻す。あった場所に。
これは、私が持って行っていいものじゃない。この部屋の、この家族の、大切な記憶だ。
「でも……」
でも、この記憶は、写真に撮って、記録しなくちゃいけない。それが、今の私にできる、唯一のことだから。
「ちゃんと記録する。あなたたちの笑顔を、ちゃんと残す」
カメラを構える。手が少し震える。
アルバムの表紙を撮影。中の写真も、ページごとに撮影。
「これで、残せる。デジタルの中で、永遠に」
他の部屋も回る。一つ一つ、丁寧に。
台所の跡。かまどが残ってる。
「お母さんが、ここで料理してたんだ……夕ご飯作ってたんだ……」
火を起こした跡。煤けた壁。
「火を起こして……ご飯炊いて……」
洗濯物を干してたであろうベランダ。物干し竿の金具が残ってる。
「ここで洗濯物が揺れてたんだ……風に吹かれて……」
一つ一つの場所に、生活があった。
「当たり前の毎日が、ここにあった。特別じゃない、でもかけがえのない毎日」
気づいたら、3時間も経ってた。
「もうこんな時間……夢中になってた……」
撮影枚数を確認。
「4120枚……また記録更新だ。でも、全部必要な写真」
充実感で胸がいっぱい。疲れたけど、いい疲れ。
「いい写真、撮れた。自信ある」
部屋に戻る途中、メイド服のスカートの裾を踏む。
「わっ!また!」
転びそうになる。なんとか踏みとどまる。カメラを守る。
「危ない!気をつけないと!カメラ壊したら終わりだ!」
部屋に戻って、ボトル子に報告。
「ただいま、ボトル子!アルバム見つけたよ!家族の写真がいっぱいあった!」
ボトル子は黙ってる。でも、聞いてくれてる。いつも聞いてくれる。
「みんな幸せそうだった。笑顔がいっぱいだった」
今日も、一人じゃなかった。ボトル子がいる。アルバムの中の家族もいる。




