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第22話 朝・メイド服と生活の痕跡

八日目の朝、目覚めた瞬間、何か違和感があった。


「ん……?」


体が軽い。心が軽い。なんだろう、この感じ。


でも、肩は相変わらず重い。首も凝ってる。八日間の疲労が、層になって積み重なってる。


「……あ、そっか」


昨夜のライブのおかげだ。カワイイフェスティバルの余韻が、まだ心の中で優しく響いてる。


「気持ちいい朝……」


大きく伸びをする。ポキポキと関節が鳴る。体がほぐれていく感じ。


「おはよう、ボトル子!今日もいい天気だよ!」


机の上のミネラルウォーターのボトルに話しかける。ボトル子は今日も黙って私を見守ってる。相変わらずの相棒。変わらない笑顔。


「今日は何が待ってるかな……どきどき」


LAUNDRYボックスの前に立つ。ここ数日、衣装のチョイスがだんだんマシになってきた気がする。昨日は優等生ルックで、まあまあ良かった。今日は……?


紙袋を開けた瞬間、私の手が止まった。


「……は?」


目の前にあるのは、ひらひらの白いエプロン。黒いワンピース。ふわふわのヘッドドレス。


どう見ても、メイド服だった。


「いやいやいやいや!無理でしょ!絶対無理!」


思わず、袋を放り投げそうになる。必死に堪える。冷静に、冷静に。


「衣装担当さん!?昨日の優等生ルックはどこへやったの!?あれ良かったじゃん!なんで今日メイド服なの!?」


独り言が虚しく部屋に響く。誰も答えない。当たり前だけど。


「もしかして……昨夜のライブ、見られてた?『こいつ、頭おかしくなった』って思われた?だからメイド服?」


監視カメラ。赤いランプ。


考えるのやめよう。余計怖くなる。


ボトル子に見せる。


「ねえボトル子、これ見て!メイド服だよ!メイド服!廃墟でメイド服!意味分かんない!」


ボトル子は黙って笑ってる。いつもの笑顔。変わらない笑顔。


「笑ってる場合じゃないって!私、これ着なきゃいけないんだよ!?」


でも、他に服はない。選択肢はゼロ。


「……はぁ」


深い、深いため息。肺の空気を全部吐き出すような。


「観念するしかないか……」


私は震える手でメイド服を手に取り、観念してそのフリフリの衣装に身を包んだ。


ワンピースを着て、エプロンをつけて、ヘッドドレスを被る。鏡を見る。


「……完全に場違いなコスプレイヤーじゃん」


白いエプロンのフリルが、やたら目立つ。黒いワンピースの裾が床すれすれ。


「これで廃墟探索とか……無理ゲーでしょ」


でも文句言っててもお腹は空く。タッチパネルで朝食を注文。今日はおにぎりにしよう。


「メイド服でおにぎり……シュールすぎて笑えない」


ウィーン、という音と共にトレーが出てくる。鮭おにぎりと梅干しおにぎり。ほっとする日本の味。温かい匂い。炊きたてのご飯の匂い。


でも、また完璧なタイミングだ。私が起きたタイミングで、ちょうど温かい。いつも。毎日。


まるで、私の生活リズムを全部知ってるみたい。


「いただきます」


一口かじる。美味しい。おにぎりってなんでこんなに安心する味なんだろう。


「でも、美味しいからいっか!メイド服でも米は米!」


もぐもぐ食べながら、PCで今日のスケジュールを確認する。


【Day8:住宅エリア2(中央部・日給社宅)】


「また住宅……しかも日給社宅?」


メイド服で住宅街を歩くとか、何の罰ゲームだろう。いや、罰ゲームそのものか。


『軍艦島解説資料』を開いて、日給社宅の項目を探す。


「なになに……16号棟から20号棟までの5棟が並列……9階建て……建設当時は国内最高層の建物……」


写真を見る。細長い建物が何棟も連なってて、まるで巨大な壁みたい。その間を渡り廊下が繋いでる。


「複雑な構造だな……迷路みたい」


資料を読み進める。


『鉄筋コンクリート造の外観と長屋的内観の融合』


「鉄筋なのに長屋?どういうこと?」


興味が湧いてくる。30号棟よりも、もっと生活の匂いが濃そうな場所。


『1階には商店が入り、島で一番賑わうエリアを形成していた』


「厚生食堂……宝来亭……書店……へえ」


人々の暮らしが見えてくる気がする。笑い声、会話、日常の音。


おにぎりの最後の一個を食べて、口を拭く。


「よし、行こう!メイド姿だけど!」


日焼け止めを塗る。虫除けスプレーもシュッシュッ。もう習慣。八日間で、完全に習慣になった。


「完璧!……見た目以外は」


カメラとドローンを準備。今日も『SONY α7R V』は重い。でも、もう慣れた。この重さにも、慣れた。


ボトル子に手を振る。


「行ってきます、ボトル子!メイド姿で記憶の狩猟してきます!恥ずかしすぎるけど!」


ボトル子は黙ってる。いつも黙ってる。


「そうだよね、変だよね。でも行くしかない」


部屋を出る。


階段を下りる時、スカートの裾を踏みそうになる。


「わっ!危ない!」


慌ててスカートを持ち上げる。


「このスカート、長すぎ!セーラー服の時と同じミスしてる!私、学習能力ないの!?」


一歩一歩、慎重に階段を下りる。もう転べない。メイド服で転んで怪我したら、説明できない。


外に出る。


「うわっ、暑っ!」


真夏の太陽が容赦なく照りつける。黒いワンピース、めちゃくちゃ熱を吸収する。エプロンも暑い。


「なんでこんな暑い日にメイド服なのよ!?色も黒だし!熱中症で倒れるって!」


でも文句言っててもしょうがない。


「ひらひらのスカートの裾が汚れないように……」


スカートの裾を持ち上げながら、島の中心部へと向かった。足元見えづらい。歩きづらい。


「これ、絶対一日で疲れるやつ……」


日給社宅が見えてきた。まるで巨大な壁のようにそびえ立ってる。


「でかい……圧倒的……」


その壁には、無数の窓が口を開けている。黒い窓、黒い窓、黒い窓。


「この一つ一つに、かつて家族の暮らしがあったんだ……」


窓を数えてみようとする。


「1、2、3、4……あ、もう無理。多すぎて数えられない!何百個あるの?」


建物の前に立つ。見上げる。首が痛くなるくらい高い。


「お邪魔します……」


メイド服姿で、ぺこりと丁寧にお辞儀をしてから、建物の中に入った。


「……なんか、メイドっぽくお辞儀しちゃった。キャラに引っ張られてる?」


中は、30号棟よりもさらに生活感があった。


「すごい……生活の跡がリアル……」


壁には子供の落書きが残ってる。クレヨンで描かれたような、稚拙だけど一生懸命な絵。


「『ぼくのうち』……可愛い字。何歳くらいの子が書いたんだろう」


触れようとして、やめる。消えちゃいそうで怖い。


部屋の中を覗く。ちゃぶ台や布団がそのままになってる場所もあった。


「ここで、ご飯食べてたんだ……家族で囲んで……」


「ここで、寝てたんだ……お父さん、お母さん、子供……」


ある部屋を覗く。畳が残ってる。でも、腐って床が抜けてる。


「危ない……入れない。近づいちゃダメ」


別の部屋。何か柱に傷がある。


「あ、これ……」


近づいて見る。小さな刻み目が、何本も並んでる。


「これ、身長測った跡?」


触れてみる。ざらざらした木の感触。冷たい感触。


「大きくなってく子供を、ここで測ってたんだ……『今年はこんなに伸びたね』って」


胸がキュッとなる。温かくて、切ない。


壁に手を触れた瞬間、また来た。あの感覚。お祖母ちゃんから受け継いだ厄介な体質。共感覚的記憶。


視界の端に、子供たちの甲高い笑い声が、無数の黄色い光の粒となって弾けるのが視えた。


「……楽しそう」


鬼ごっこ、かくれんぼ、縄跳び。子供たちの声、お母さんの声、お父さんの声。温かいオレンジ色の光が、この場所を包んでる。


「ここは、家だったんだ……誰かの大切な家」


窓辺に近づく。何か置いてある。


「あ、これ……」


窓辺に置かれたままの、小さな子供の靴。


「誰の靴だろう……」


赤い靴。小さい。幼稚園くらいの子の靴だ。よく見ると、少し擦れてる。たくさん歩いた証拠。


「持っていくの忘れちゃったのかな……それとも、もう履けなくなって、置いていったのかな……」


触ろうとして、手を止める。


「これも、その子の大切な思い出だもんね。勝手に触っちゃダメだよね」


カメラで撮影する。いろんな角度から。


「ちゃんと記録する。あなたの存在を、ちゃんと残すからね」


廊下を歩く。メイド服のスカートが床を擦る音がする。ガサガサ、ガサガサ。


静寂の中、その音だけが響く。


「うるさい……音が響く……」


でも、この生活感が、なんだか愛おしい。落書きも、靴も、畳の跡も。


「ここで、みんな生きてたんだ。笑って、泣いて、怒って、喜んで」


そして、ここで、みんな去っていった。

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