表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/91

第20話 昼・金属の反響と鎮魂歌

部屋に戻ったら、もう汗だく。でも、汗が冷たい。冷や汗。


「疲れた……精神的に疲れすぎた……」


白いナース服が汗でべったり。背中にも張り付いてる。


「気持ち悪い……このナース服、汗吸いすぎ……」


脱ぎたいけど、他に着る服がない。


「着替えたい……でも洗濯出したらもう服ないし……このまま着るしかない」


ナースキャップを外す。髪が汗でぺたっとしてる。


「うわ、髪もべたべた……気持ち悪い……」


でも、今は食事が先。


ボトル子に話しかける。


「ボトル子、病院怖かった……本当に怖かった。あんな場所、東京じゃ絶対行かない」


ボトル子は黙ってる。でも、聞いてくれてる。いつも聞いてくれる。


「そうだよね、でも頑張らなきゃだよね。午後も行かなきゃ。このナース服で」


タッチパネルで昼食を注文。今日はうどんにしよう。


「怖い場所に行った後は、温かいものが一番。うどんで心を温める」


熱々のうどんが出てくる。湯気がもくもく。出汁の香りが、部屋に広がる。


温かい匂い。


でも、この部屋は相変わらず冷たい。無機質で、冷たい。


「いい匂い……出汁の香りが癒される……かつお節の香り……」


一口すする。


「あっつ!熱っ!舌焼けた!」


舌を火傷しそうになる。痛い。


「熱すぎ!待てばよかった!焦りすぎた!」


フーフー冷ましながら、ゆっくり食べる。


「うどんの優しい出汁が、冷えた心にじんわり染み渡る……」


温かいスープが体を温めてくれる。さっきまで冷えてた体が、少しずつ温まってくる。


「美味しい……ほっとする……」


でも、頭の中はさっき見た光景でいっぱい。手術室の無影灯。薬瓶が散乱した調剤室。レントゲン室の古い機械。


「午後、あそこにもう一回入るのか……手術室に……このナース服で……」


箸を持つ手が止まる。食欲がなくなる。


「正直、気が重い……めっちゃ重い……」


でも、やらなきゃ。逃げられない。脱出するためには、全部撮影しなきゃいけない。


最後の一口を食べ終わって、口を拭く。


「よし、行こう。もう後がない」


ナースキャップをもう一度被る。鏡を見る。


「……ナース。私、ナース。病院に行くナース」


なんか、変な気持ち。でも、少しだけ、覚悟ができた気がする。


「この服を着て、あそこで働いてた人たちの気持ちを、少しでも……」


カメラを持って、もう一度病院へ。


階段を下りながら、自分に言い聞かせる。


「大丈夫。怖くない。ファインダー越しに見れば、少し距離が取れる。四角い世界の中だけの過去」


白いナース服が、階段を下るたびに揺れる。


病院の前に立つ。


「……やっぱり怖い。何回来ても怖い」


でも、カメラを構える。


「よし、入るぞ。もう逃げない。ナース服で、堂々と」


ファインダーを覗く。四角い世界。そこに切り取られた現実。


「これなら……少しだけ、大丈夫。客観視できる」


受付から撮り始める。もう午前中に見た場所だから、少しだけ慣れた。恐怖心が少しだけ減ってる。


廊下を進む。診察室も撮影。白いナース服の裾が、歩くたびに揺れる。


「内科、外科……レントゲン室……」


一つ一つ、丁寧に。重複率を意識して。


足音だけが、響く。


そして、手術室。扉の前で立ち止まる。


「……入らなきゃ。もう逃げられない」


深呼吸。何度も、何度も。


「大丈夫。ただの部屋。もう誰もいない。何も起きない」


恐る恐る中に入る。足音が響く。白いナース服が、冷たい空気に触れる。


無影灯が天井から吊るされてる。ステンレスの手術台。医療器具が散乱。


「……撮ろう。それしかない」


カメラを構える。ファインダーを覗く。


でも、すぐに問題に気づく。


「あれ?写真が真っ白?なんで?」


モニターを確認する。ステンレスの手術台や医療器具が、光を反射して白く飛んでる。


「ちゃんと撮れてない。これじゃダメだ」


何枚か撮り直すけど、同じ。全部真っ白。


「金属の反射……そっか、ステンレスだから……」


そういえば、制作進捗の項目に「金属反射除去」って書いてあった。


「どうすればいいんだろう……フラッシュ?設定?」


フラッシュを使わずに、いろんな角度から試す。


窓からの光だけで撮ってみる。


「まだ白い……反射してる……」


自分の体で影を作ってみる。手術台の上に影を作る。白いナース服が、光を遮る。


「あ、ちょっとマシになった?影で反射が抑えられてる?白い服が役に立ってる?」


壁に光を反射させてみる。間接照明みたいに。


「これもいいかも!柔らかい光になった!」


試行錯誤を繰り返す。角度を変えて、光の当て方を変えて。


一枚、また一枚とシャッターを切っていく。


カシャ、カシャ、カシャ。


シャッター音だけが、静まり返った手術室に響く。


「静かだな……」


その音が、まるで鎮魂歌みたいに聞こえた。追悼の音楽。過去への祈り。


カシャ、カシャ、カシャ。


ここで、たくさんの人が手術を受けた。助かった人も、助からなかった人も。看護師さんたちも、必死で働いた。


「痛かっただろうな……怖かっただろうな……」


自分の白いナース服を見下ろす。


「この服を着て……ここで働いてた人たちも……」


急に涙が出そうになる。目がじんわり熱くなる。


「ダメダメ、泣いちゃダメ。今は撮影に集中。後で泣こう」


目を拭いて、撮影を続ける。


手術台の足元、無影灯の下、医療器具の一つ一つ。


「全部記録する。あなたたちの存在を、ちゃんと残す」


気づいたら1時間も経ってた。夢中になってた。白いナース服は、汗でさらにべったり。


「疲れた……もう限界……集中力が切れた……」


手術室を出ようとした時、床に落ちてる何かに気づいた。


「これ……レントゲン写真?」


拾い上げて、窓の光にかざす。


人間の胸の骨が写ってる。肋骨がはっきり見える。そして肺の部分に、白い影。もやもやした白い影。


「これが……塵肺……」


資料で見た。石炭の粉を吸い込んで、肺が真っ白になる病気。治らない病気。


写真に触れた瞬間、冷たいノイズが指先から流れ込んでくる。共感覚的記憶。


冷たい。重い。苦しい。


「うわっ!」


思わず手を離しそうになる。でも、堪える。


持ち主の苦しさ。咳が止まらない日々。息ができない恐怖。痰に血が混じる。夜も眠れない。看護師さんたちの心配そうな顔。


全部、流れ込んでくる。


「苦しかったんだ……ずっと……毎日……」


涙が出てくる。止まらない。


「ごめんなさい……勝手に触って……ごめんなさい……」


レントゲン写真を元の場所へそっと戻す。丁寧に。


そして、手を合わせた。白いナース服の袖が、両手に沿って垂れる。


「安らかに……」


静かに祈る。目を閉じて、心を込めて。


しばらくそのまま、頭を下げてた。時間の感覚がなくなる。


静寂。


長い静寂。


「……よし」


顔を上げて、深呼吸。涙を拭く。


「ありがとうございました。記録させていただきました。ちゃんと残します」


病院を出る。


外の空気が、こんなに美味しいなんて。


「はぁ……終わった……やりきった……」


太陽の光が眩しい。暑い。でもこの暑さが嬉しい。生きてる証拠。


白いナース服が、陽の光で輝く。汗でびっしょりだけど。


「生きてるって、こういうことなんだな」


部屋への帰り道、階段を上りながら考える。


「病院は、命の砦だったんだ」


助けられた命も、助けられなかった命も、全部ここにあった。生と死が隣り合わせだった。看護師さんたちも、必死で戦ってた。


そして今、私が生きてここにいる。


「ありがたいことなんだな。当たり前じゃないんだ」


部屋に戻って、ボトル子に報告。


「ただいま、ボトル子!手術室、撮れたよ!怖かったけど頑張った!」


ボトル子は黙ってる。でも、そこにいてくれる。変わらず、そこにいてくれる。


「白いナース服、汗でびっしょり。シャワー浴びる」


白いナース服を脱いで、LAUNDRYボックスに放り込む。


「あー、やっと脱げた!気持ち悪かった!」


でも、鏡に映った自分を見る。


「……でも、似合ってたかも。ナース服」


少しだけ、誇らしい気持ちになった。


シャワーを浴びる。


「あー気持ちいい!最高!」


冷たい水が体を洗い流す。病院の空気も、恐怖も、全部流れていく。


「病院の空気、全部流れてけー!ナース服の汗も流れてけー!」


ゴシゴシ洗う。髪も体も、念入りに。シャンプーを泡立てる。


「さっぱり……生き返る……」


でも、髪を洗ってたら、案の定シャンプーが目に入る。


「痛っ!もう!毎日これ!学習しろって自分!」


水で流す。もう慣れた。毎日のルーティン。


シャワーから出て、タオルで髪を拭く。


鏡を見る。疲れてるけど、目は生きてる。


「私、頑張ってる。えらい。ナース服も着こなした」


小さくガッツポーズ。握りこぶしを作る。


一週間。


もう、一週間。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ