第19話 朝・命の砦と白衣の天使
七日目の朝。気づいたら、もう一週間が経ってた。
「もう一週間……早いような、長いような……」
伸びをする。体が軽い。でも、一週間の疲れが確実に溜まってる感じもする。肩が重い。首が痛い。腰も痛い。筋肉痛が、層になって積み重なってる。
でも、慣れてきてもいる。この痛みにも、この生活にも。
「頑張ってるな、私」
LAUNDRYボックスの上の紙袋を開けて、思わず固まった。
「……は?」
中から出てきたのは、真っ白なナース服。
ワンピースタイプの白衣に、白いナースキャップ。そして、白いストッキング。
「嘘でしょ……ナース服!?マジで!?」
顔が一気に熱くなる。メイド服の次はナース服かよ!
「無理無理無理!これ無理!恥ずかしすぎる!」
でも、よく見ると、コスプレっぽい安っぽいやつじゃない。しっかりした生地の、本格的な医療用白衣。
「あ、これ……本物っぽい……」
袖を通してみる。肌触りの良い生地。清潔感のある真っ白さ。パリッとした感触。
「うわ……似合う……かも……?」
鏡を見る。白いナース服を着た私。
「……めっちゃナースじゃん。コスプレ感ないし、本物感ある」
でも、恥ずかしい。めっちゃ恥ずかしい。
「これで外出るの!?誰も見てないとはいえ、恥ずかしすぎる!」
ナースキャップも被ってみる。
「……完璧なナースじゃん。ハロウィンかよ」
でも、待てよ。今日の撮影場所は……
PCで確認する。
【Day7:病院跡(端島病院)】
「……あ」
病院に、ナース服で行く。
なるほど。そういうことか。
「確かに……病院にナース服で行くなら……テーマ的には合ってる……?」
でも、それはそれとして恥ずかしい。
「いや、恥ずかしいもんは恥ずかしい!誰も見てなくても恥ずかしい!」
ボトル子に話しかける。
「ねえボトル子、見て。ナース服だよ。恥ずかしいよね?変だよね?」
ボトル子は黙って笑ってる。いつもの笑顔。変わらない笑顔。
「笑わないで……マジで恥ずかしいんだって……」
でも、着るしかない。他に服ないし。
「はぁ……分かったよ……着るよ……でも誰にも見せたくない……」
白いストッキングも履く。
「ストッキング履くの久しぶり……制服以外で履くの初めてかも」
全身を鏡で確認。
「うん、完璧なナース。清楚。真面目。優等生。……私じゃない」
でもこの一週間で、私も少し変わった気がする。一日目は何も知らなかった私が、今はカメラもドローンも使いこなせる。フォトグラメトリの処理も、もう迷わずできる。
「あれ……ちょっと痩せた?日焼けもしてる……」
頬を触る。輪郭がシャープになってる気がする。毎日の階段の上り下りと、炎天下の撮影で、確実に一週間前とは違う顔になってる。
頬骨が、少し出てきた。目の下に、クマがある。
でも、目は、生きてる。
「これが『島暮らし』の成果……?白いナース服が似合うようになってきた……?」
「そうだよね、頑張った。自分を褒めてあげたい」
タッチパネルで朝食を選ぶ。今日はクロワッサンとフルーツヨーグルトのセット。
「お、ヨーグルト付き!ちょっとした贅沢気分!」
ウィーンとパネルが開いて、トレーが出てくる。焼きたてのクロワッサンの香りがたまらない。バターの香ばしい匂いが、部屋に広がる。
温かい匂い。幸せな匂い。
でも、また完璧なタイミングだ。私が起きた瞬間に、ちょうど焼きたて。いつも。毎日。
メニューも、また増えてる。ヨーグルト付き。フルーツ入り。
まるで、私の体調を知ってるみたい。
クロワッサンをかじりながら、ヨーグルトをスプーンですくう。
「サクサク!バターの香りがすごい!」
一口食べる。口の中でバターがじゅわっと溶ける。
「美味しい!これぞクロワッサン!」
ヨーグルトもすくう。
「フルーツの酸味が美味しい!イチゴとブルーベリー!ヨーグルトの酸味とフルーツの甘酸っぱさのハーモニー!」
甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。これだけで元気出る。朝からテンション上がる。
「東京でカフェ行ってた頃を思い出す……ミカとよく行ってたな……」
食べながら、PCで今日のスケジュールを改めて確認する。
【Day7:病院跡(端島病院)】
「病院……」
スプーンを持つ手が止まる。クロワッサンが喉を通らなくなる。
廃墟の中でも、特に怖いと有名な場所。ネットで廃墟探索の記事読んだ時、「病院跡は近づくな」「霊的な何かがある」って書いてあった。
「怖いな……正直、めっちゃ怖い……」
でも逃げられない。脱出条件の一部だもん。
資料を開く。『端島病院』。正式名称は『高島礦業所端島礦病院』。
「社立の総合病院……4階建て……」
読み進める。1階には診察室、治療室、手術室、レントゲン室、調剤室。2階には分娩室。3階には病室。
「塵肺……炭鉱特有の病気……」
「石炭の粉を吸い込んで、肺が……白くなる……」
写真を見る。レントゲン室がいくつもある。肺の検査のため。真っ白になった肺の写真も資料に載ってる。
白い肺。もやもやした白い影。もう、治らない。
「働くって、命がけだったんだ……普通に仕事してるだけで、こんな病気になるなんて……」
事故による怪我の外科処置。分娩室もあった。
「ここで、命が失われて……でも新しい命も生まれて……」
生と死が隣り合わせの場所。
クロワッサンの最後の一口を飲み込む。喉が詰まる感じ。
「よし、行こう。怖いけど、行くしかない」
怖いなんて言ってられない。この島の光も影も、全部記録するのが私の仕事。
「前のNo.26さんも、ここに来たのかな……」
No.26のこと思い出す。No.26さんも、この病院と向き合ったんだろうか。どんな気持ちで撮影したんだろう。
同じように、怖かったんだろうか。
日焼け止めを塗る。虫除けスプレーもシュッシュッ。もう完全にルーティン。
「完璧!準備OK!……ナース服だけど」
鏡をもう一度見る。白いナース服。
「病院に行くのに、ナース服……確かに、テーマ的には合ってる……けど……」
顔が赤くなる。
「恥ずかしい!やっぱり恥ずかしい!」
カメラとドローンを準備。重いけど、もう慣れた。一週間で、この重さにも慣れた。
「よし、行くぞ。気合い入れて。ナース服で」
ボトル子に手を振る。
「行ってきます、ボトル子!怖いけど頑張るからね!変な服だけど!」
部屋を出る前に、もう一度深呼吸。
「大丈夫。怖くない……怖くない……ただの建物……」
自分に言い聞かせる。でも心臓バクバク。
階段を下りながら、心臓の音が聞こえる。ドクドクドク。白いナース服が、階段を下るたびに揺れる。
「落ち着け私。ただの建物。ただの廃墟。お化けなんていない」
外に出る。今日も暑い。
「暑い……白いナース服、日光を反射してくれるかな……」
でも、すぐに汗が出てくる。白い服が肌に張り付く。
「やっぱり暑い……白でも暑い……」
病院は、島の中心部、海に近い場所にあった。
遠くから見ても、雰囲気が違う。他の建物とは何かが違う。
空気が、違う。
「……重い空気」
近づくにつれて、胸がギュッとなる。息苦しい。呼吸が浅くなる。
白壁は黒ずんで、窓は暗い口を開けてる。
「まるで、こっちを見てるみたい……」
入り口のガラスドアは粉々に割れてる。中からカビ臭い、淀んだ空気が流れ出してくる。
「うっ……臭い……なにこれ……」
口を手で覆う。カビと、何か腐ったような匂いが混じってる。死の匂い。
足を踏み入れる前に、自分の服装を見下ろす。白いナース服。
「私……ナース服で病院に入るんだ……なんか、変な感じ……」
でも、同時に思う。
「ここで働いてた看護師さんたちも、こういう白い服を着てたんだよね……」
そう思うと、少しだけ、この服に意味がある気がした。
「敬意を込めて……行きます」
足を踏み入れた瞬間、ぞわり、と肌が粟立った。
「寒っ!なにこれ!外は暑いのに!」
暑いはずなのに、体が冷える。一気に体温が下がった気がする。白いナース服が、急に冷たく感じる。まるで氷の服を着てるみたい。
温度差。
外の暑さと、中の冷たさ。
生と死の境界線。
視界の端に、冷たい青黒い光が見える。共感覚的記憶。悲しみ、苦痛、そして、わずかな希望。いろんな感情が混じり合ってる。
もやもやした光。重い光。沈んでいく光。
「お邪魔します……」
小さな声で呟いて、一歩、足を踏み入れる。靴底が床に触れる音が、やたら大きく響く。
受付カウンター。散らばったカルテ。錆びた車椅子。
「時間が……止まってる」
ここでだけ、時間がぷっつりと断絶してる感じ。1974年から、この場所だけ動いてない。
床を踏むと、ミシッと音がする。
「怖っ!」
慌てて足を引く。
「床、抜けない?大丈夫?崩れない?」
慎重に、慎重に歩く。体重をかけすぎないように。白いナース服の裾が、ふわりと揺れる。
受付カウンターに近づく。カルテが散乱してる。文字が見える。手書きの文字。誰かの名前。誰かの症状。
「これ、誰かの記録……患者さんの記録……」
手を伸ばしかけて、やめる。
「触っちゃダメな気がする。プライバシーだし」
これは、誰かの人生だ。
錆びた車椅子。タイヤが外れて、横倒しになってる。
「誰が乗ってたんだろう……どこへ行こうとしてたんだろう……看護師さんが押してたのかな……」
廊下を進む。両側に診察室。ドアにプレートが残ってる。
「内科、外科、レントゲン室……」
一つ一つの扉に、役割があった。一つ一つの部屋に、物語があった。
ある部屋を覗く。診察台が残ってる。革張りのベッド。ボロボロ。
「ここで診察してたんだ……『どうされましたか?』って……看護師さんが、患者さんを案内して……」
手術室の前に立つ。扉が半開き。中が見える。
暗い。
冷たい。
「……怖い。めっちゃ怖い」
でも、見なきゃいけない。記録しなきゃいけない。
恐る恐る中を覗く。
「……無影灯」
天井から吊るされた大きな照明。今は錆びて、動かない。
ステンレスの手術台。冷たそう。医療器具が散乱してる。メス、ハサミ、何かの器具。
「ここで、手術が……命を救う手術が……看護師さんたちも、必死で……」
自分の白いナース服を見下ろす。
「この服を着て……ここで働いてた人たちがいたんだ……」
想像したくないけど、想像してしまう。血、痛み、恐怖。でも、そこには希望もあった。助けようとする人たちの必死の姿。白い服を着た人たちの、必死の姿。
急に、吐き気がする。
「ダメ……気持ち悪い……」
慌てて外に出る。廊下に出て、深呼吸。
「はぁ、はぁ……」
壁に手をついて、深呼吸。何度も、何度も。白いナース服が、汗でべったり。
「大丈夫……大丈夫……落ち着け……」
心を落ち着ける。深呼吸。落ち着け。
白いナース服の襟元を引っ張る。息苦しい。
「私、何しに来たんだっけ……そうだ、記録だ。フォトグラメトリだ」
カメラを構える。ファインダー越しに見ると、少しだけ距離が取れる。四角い世界。そこに閉じ込められた過去。
「よし、撮影開始。怖がってる場合じゃない」
受付カウンターから撮り始める。散らばったカルテ、錆びた車椅子。
「重複率80%……慎重に……丁寧に……」
一枚、また一枚。カシャ、カシャ。
シャッター音だけが、静寂を切り裂く。
廊下も撮影。両側の診察室。
でも、どうしても手術室だけは、中に入る勇気が出ない。
「今日は……外だけ……午前中はロケハンだけ」
自分に言い訳する。
「本格撮影は午後から。うん、それで行こう」
病院を出て、外の空気を吸う。
「生き返る……外の空気って、こんなに美味しかったんだ……」
太陽の光が眩しい。暑いけど、この暑さが嬉しい。生きてる感じがする。
白いナース服が、太陽の光でまぶしく輝く。
「このナース服……汗でびっしょり……」
「午後、また来なきゃいけないのか……気が重すぎる……」
でも、やるしかない。逃げられない。
「よし、一旦部屋に戻ろう。昼ごはん食べて、気合い入れ直す」
階段を上りながら、自分に言い聞かせる。
「大丈夫。怖くない。ただの建物。ただの過去。もう誰もいない」
でも、心臓は、まだバクバクしてる。
部屋に戻って、ボトル子に報告。
「ただいま、ボトル子!病院、めっちゃ怖かった!マジで怖かった!」
ボトル子は黙ってる。でも、そこにいてくれる。
「午後も頑張らなきゃ……手術室、入らなきゃ……」




