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Episode.5/まだ




 翌朝の事だった。朝食を食べ終えたあと、フィンは何も言わずに森の奥へと姿を消した。

 しばらく、一緒に暮らしてきたリアナには、言葉はなくとも気配で分かった。


 ──彼はきっとあの場所に行ったのだ、と。


 リアナもそっと、その後を追った。


 朝露に濡れた枝を掻き分け、やがて視界に現れたのは、土に半ば埋もれるようにして横たわる戦闘機。フィンはその傍らにしゃがみ込み、大きく亀裂の入った装甲を静かに見つめていた。

 その背中は、何かに祈るような──或いは贖罪を願うような姿にも思えた。


「やっぱり、ここに来てたんだ」


 リアナの声にフィンは驚いた様子もなく、振り返ることもせず「ああ」と鷹揚に頷いた。


「……ここに来るの、きっと初めてじゃないよね」

「うん。……でも、ここまで近づいたのは初めてだよ」


 リアナは彼の横まで行って腰を下ろす。ぬかるんだ地面にスカートの裾が着かないよう気を付けながら、錆びた戦闘機の胴体をじっと見つめた。

 ……相変わらず圧倒的な存在感がある。それに、無機質なところがどこか恐ろしい。

 獣に感じるような恐さじゃなく、得体の知れない物に触れたときのような感覚だ。


「これ、直せるの?」


 ふと聞いたリアナの質問に、フィンはじっくりと考えた末、ゆっくり頷いた。


「…………。ああ、多分ね。足りない部品は多いし、冷却系統が完全に壊れてるけど……それでも別の部分からパーツを賄えば、いけると思う。……何となく、分かるんだ」


 そう言いながら、フィンの手はエンジン部分の泥を丁寧に拭っていた。

 その仕草はまるで、大切な愛犬を撫でる飼い主のように優しかった。


「……そうなんだ」

「うん。……これが直ればきっと、僕は何か、大事な『答え』を見つけられる気がするんだ」


 リアナは黙って、フィンの言葉の意味を考える。

 その『答え』が何を示しているのか、今はまだ分からない。


 けれど、彼がそれを求めて手を動かすなら、自分もその側に居たいと思った。


「その……フィンは、毎日修理するんだよね。じゃあ私──お弁当、作ってくるね?」


 ぽつりと告げると、フィンはようやくこちらを見て、柔らかく笑った。


「うん、ありがとう。リアナの作るお弁当、美味しいからさ。それなら頑張れそうだ」


 その笑顔に、また胸が熱くなる。

 自分でも驚くほど自然に、リアナもまた微笑みを返していた。


 フィンが一心に機体に向き合うその背中を、リアナはしばらくじっと見つめていた。

 その姿は、まるで過去と向き合うために戦っているように見えた。


 ──その傍にいられるなら。私は、後悔しない。

 たとえ、彼が遠くに行くことになっても。




     ◇




 それからというもの、フィンは毎朝、戦闘機の元へと向かい、夕暮れまで戻ってこなかった。

 リアナは昼食のお弁当を持って、毎日決まった時間に彼の元へ向かった。


 笑顔はあった。言葉もたくさん交わした。

 けれど、日が経つにつれ、リアナはどこか取り残されていくような感覚を抱えていた。

 決心が揺らいだわけじゃない。ほんの小さな綻びだった。


 だけれど、ふとした沈黙や、視線のすれ違いに、言い様のない焦燥が確かに存在していた。


 ──ある日。

 いつものようにお弁当を届けたリアナは、その背中越しに問い掛けた。


「……どうして、そんなに一生懸命、直そうとするの?」


 フィンはふっと手を止め、戦闘機の腹部下からゆっくりと這い出てくる。

 顔と手は泥に塗れていたが、その真っ黒な瞳だけはまっすぐに透き通っていた。


「そうだね。失った自分を取り戻すためか、或いは──祖国に帰還するため、かな。……いや、正確には、『戻らなきゃいけない気がしてる』んだ」


「……それって──婚約者に、会うため?」


 その問いに、フィンの瞳の奥が確かに揺れた。

 やがて、彼は静かに頷いた。


「あの指輪を見てから、ずっと考えてたんだ。……僕が帰るべき場所は、きっと『そこ』なんじゃないかって」


「……でも。記憶は戻ってないんでしょ?」


 どこか縋るようにリアナは訊ねた。

 フィンは一度小さく頷いて、しかし直後には首を横に振った。


「それでも──想いは、残ってる気がするんだ」


 小さく息を飲んだ。彼にこの声が聞こえてなければいいと、そう思った。

 ──ああ、やっぱりだ。フィンはもう、『私だけ』を見ているわけじゃない。


 そんな現実が、リアナの喉奥に鉛のような感触を残した。


「……お弁当、ここに置いておくね?」


 できるかぎり元気な口調を取り繕って告げ、リアナはそっとその場を離れた。


 走るでもなく、ゆっくりと歩いて帰路を辿った。

 胸の奥で荒れる波に逆らうように。心配したフィンが追いかけてこないように。


 ──風に揺れる枝葉の音が、いつになく冷たく感じられた。




 十数日が過ぎた。その日の空はやけに高く澄んでいた。

 午後の陽が、斜めに森を照らしている。


 戦闘機の脇に立って汗を拭うフィンに、リアナは冷たい水の入った水筒を手渡した。


「ありがとう。……リアナがいてくれなかったら、僕は何も取り戻せなかった」


 フィンの言葉に嘘はなかった。

 けれど、その「ありがとう」の響きが、なぜだか遠くに感じられた。


 整備途中の機体を仰ぎ見ながら、フィンは口を開く。


「……陸路では、祖国との関所は突破できない。きっと封鎖されているから」

「…………」

「でも、こいつで空から行けば、入れるかもしれない。高空を飛べば監視の目も薄いだろうし」


 リアナの心。胸の奥を、ひやりと冷たいものが貫いた。

 それは、避けられない──遂に訪れてしまった『別れ』の輪郭だった。


「……本当に、帰っちゃうんだね」

「ああ。きっとそこに『僕』がある。例え、婚約者が……もう、生きていなくとも」


 リアナは微笑みを返せなかった。

 頷くことすらできなかった。


 ただ、心の奥底で小さな声がこだました。


 ──飛べなければいいのに。

 ──あの空を飛ぶ機械が、ずっと壊れたままなら……。


「──リアナ?」


 名を呼ばれ、はっと我に返る。


 フィンと目が合った。

 いつもと変わらない優しい瞳に、無性に胸が締め付けられる。


「……ごめんなさい。ちょっと考え事、してて」

「そっか。……無理はしないで」


 そう言うフィンの声もまた、どこか遠くを見ていた。

 リアナはただ頷くだけだった。


 ……声を出してしまえば、今にも泣き出してしまいそうだったから。


 足元の柔らかな土を踏みしめながら、リアナは一歩、後退る。

 そして笑顔を作って。手を振って、その場を去る。


 ──空を飛んでしまえば、きっと彼はもう戻ってこない。

 そんなこと、知ってる。分かってる。


 でも、どうか。どうか──まだ。飛ばないで。





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