フィルビーの憂鬱//静から動へ
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──フィルビーの憂鬱//静から動へ
私たちは仕事の開始から4日経っても依然としてアンディ・イトウの自宅を監視している。
「情報はちゃんとやつに伝わっているのかね……」
リーパーは退屈そうにそう呟く。
「伝わっているはずだ。情報は意図的に漏洩させられている。やつだけではなく、疑わしき全員が情報を受け取ったはずだ」
「じゃあ、やつがその情報を信じてないってことか」
「そうかもしれないな。さらなる揺さぶりが必要になるかもしれん」
リーパーの推測に張妙鈴さんがそう言う。
こういう会話ぐらいしか生じず、何も起きずにこれまで数日経っているので、流石の私も退屈してきました。
「張妙鈴さんはどういう経緯で大井の保安部に?」
思い切って私から雑談を振ってみることに。
「別にドラマチックな話はない。私は第三次世界大戦のあとで大陸から逃げてきた中国人のひとりで、同胞たちのコネのおかげで運よく大学に入れた人間だった。それで大学で心理学を学んでいたら、大井にスカウトされた」
「優秀な学生さんだったんですね」
「大井が私の学業成績を見て採用を決めたのかは分からない。私は最初に言ったように同胞たちにコネがあった。多くの中国人はあの戦争のあとで吹き荒れた政治的・経済的混乱もあった各地に離散しており、日本にも私以外の亡命者がいた」
「そういう同胞とのコネを期待されたということですか?」
「ああ。チャイニーズ・マフィアなんかとのな」
張妙鈴さんはそれ以上は自分について語らなかった。
「ユウト・ノイマンさんはどうして?」
「俺はちょっと話せないな。元いた職場を知られるわけにはいかないんだ。機密性の高い場所だったし、そこから大井に移籍した経緯も極秘になっている」
「諜報機関か何かから?」
「何も言えない」
ユウト・ノイマンさんは全然自分のことを語らなかった。
「お喋りも結構だが、そろそろ次の行動に移るべきなんじゃないか?」
と、ここでリーパーが退屈そうにそう発言。
「そうだな。そろそろ次の情報がリークされているはずだ。お前たち傭兵を動員したという情報が。確認してみよう」
張妙鈴さんはそう言ってワイヤレスサイバーデッキからメッセージを確認する。
「ジェーン・ドウから指示が来た。次の段階に移るぞ」
「待ってたぜ」
張妙鈴さんの言葉にリーパーがにやり。
「ブギーマンを演じてくるとしよう。やつを死ぬほどビビらせてやろうぜ」
「それで本当に死んだら困りますからほどほどほに」
楽しそうなリーパーに私は一応そう釘を刺しておく。
「こういう仕事もたまにはありだよな。プレイヤーが好きにやっていいっていう自由度の高さってやつが感じられる。自由度の高いゲームはやはりいい」
「実際のところ、どれほど驚かせるつもりなんですか?」
「それなり以上にだ」
リーパーはそう言いながらアンディ・イトウの自宅を目指す。
アンディ・イトウの自宅である高層マンションのセキュリティはばっちりであり、武装した警備ボットが並び、リモートタレットなどの無人警備システムが稼働している。
「カンタレラに確認していたが、このマンションの無人警備システムは独立している。流石に大騒ぎになれば大井統合安全保障が飛んでくるが、ほどほどの騒ぎならば、このマンションが契約している民間軍事会社が来るにとどまる」
「で、どうするんですか?」
「暴れるんだよ」
私が首を傾げるのにリーパーはそう言い、“鬼喰らい”の柄を握った。
「ショータイム」
次の瞬間、リーパーは警備ボットに斬りかかり、斬り倒した!
「えええ!? 無茶苦茶ですよ、リーパー!」
「安心しろ。ジェーン・ドウが許可した行動だ。犯罪歴にはならん」
リーパーはそう言ってガンガンと次々に警備ボットやリモートタレットを斬り伏せ、エントランスのシャッターをこじ開けて内部に侵入。
私もあちこちから現れるリモートタレットを撃破し、リーパーを援護。
「アンディ・イトウの自宅は19階だ。自宅のドアをノックしたら退散しよう」
「もう滅茶苦茶ですよ!」
リーパーのやることはこれまでも滅茶苦茶でしたが、今日は一段と酷いです!
彼は警備ボットを蹴散らしたのちに19階までエレベーターで駆け上がり、それから19階にあるアンディ・イトウの部屋を目指した。
私もそれに続き、リーパーが不意に立ち止まる。
「ここだ。さて、ノックしていこう」
リーパーはそう言うと、意外にもただドアをノックしたに留めた。しかし、監視カメラはリーパーと私の姿を捉えている。
「任務完了。退散だ、ツムギ」
「派手にやった割には静かに終わらせるんですね?」
「ああ。これはただの警告だからな」
「なら、ベッドの中に馬の首でも放り込めばよかったかもです」
「どうして馬が出てくるんだ?」
リーパーはかの有名な映画の脅迫方法をご存じないようでした。
「分からないなら結構です。退散しましょう」
私たちはそそくさとアンディ・イトウのマンションから逃げ去る。
それから騒動が伝わったのかマンションを警備している民間軍事会社や大井統合安全保障などがやってきましたが、アンディ・イトウの姿は未だ見えず。
「さて、これでやつが動かなかったら、どうするつもりだ?」
「動くまで揺さぶる」
隠れ家に戻ってきたリーパーが尋ねるのに張妙鈴さんがそう言う。
「プランBに移るってのはどうだ? やつを拉致して尋問する。こっちには尋問のエキスパートがいる」
そう言ってリーパーは私の方を見た。
まあ、確かに私ならば嘘と本当が読めますが、まるで拷問の達人みたいに言わないでほしいですね!
「プランBは最後の手段だ。我々は何としても工作担当官を押さえる必要があるからな」
「ふん」
張妙鈴さんはあくまでそう主張し、リーパーは興味を失ったように隠れ家の椅子に座って腕をむくと居眠りを始めた。
私に信頼するな、警戒しろと言っておきながら本人は居眠りとは…………。
未来が見える彼がこうしているということは、危険はないのかもですが。
「張妙鈴さん。目標が動いたら教えてください」
「ああ。ノイマンが監視を続けているから、何かあればすぐに」
私は居眠りはせず、張妙鈴さんとユウト・ノイマンさんの仕事ぶりを監視した。
それから3、4時間が過ぎたときだ。
「そろそろか」
不意にリーパーが目を覚ました。
「おい、傭兵。目標が動いたぞ。これから追跡する」
「ああ。始めるとしよう」
まさにそのときユウト・ノイマンさんが言い、リーパーは口角を歪めて不気味に笑い、彼らに続いて隠れ家の外に出る。
「やつは車に乗ってマンションを出た。現在ドローンが追跡中で、やつはセクター13/6に向かっている。間違いなく巣穴に戻るつもりだぞ。チャンスだ」
「ええ。これで作戦通りですね」
ユウト・ノイマンさんが言い、私は作戦通りに進んでいることに安堵。
「油断はするな。ここにいる戦闘要員は傭兵どもだけだ」
「そうだな。俺も張も戦闘訓練は受けていない」
張妙鈴さんもユウト・ノイマンさんも小さな拳銃で武装しているだけだ。
もし、以前のように巣穴で企業亡命を助ける民間軍事会社などがいれば、私とリーパーで排除する必要があるというわけです。やれやれ。
「もっとスマートに捕まえることはできなかったのでしょうか?」
「作戦を立てたのはジェーン・ドウだ。私たちじゃない」
「ううむ」
ジェーン・ドウはただの企業のフィクサーかと最初は思っていましたが、彼女自らが防諜作戦の立案を行う辺り、大井内でもそれなりの地位にいる人物なのかもです。
「クソ。ジャミングだ。ドローンが妨害されている」
「やつの現在地はどこだ?」
「セクター13/7に入った。ゴミ処理場だ」
「そこまで行け。急げ」
ユウト・ノイマンさんの報告にリーパーが命じる。
「飛ばすぞ」
運転手の張妙鈴さんはそう言い、バンを加速させる────。
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