フィルビーの憂鬱//保安要員
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──フィルビーの憂鬱//保安要員
私とリーパーはジェーン・ドウからの事前情報に従って、大井保安部の張妙鈴さんとユウト・ノイマンさんと合流するために近くにあったコーヒーチェーン店に入った。
コーヒーチェーン店はどこも同じで、合成品のコーヒーや紅茶が漂わせる臭いで満ち、仕事中のビジネスマンや学生などで賑わっていた。
良くも悪くもジェーン・ドウが指定する喫茶店とは大違いです。
「あれだな」
リーパーはすぐに問題の男女を見つけ出した。
「よう。あんたが張とノイマンか?」
ふたりはカフェの奥の方に座っており、私たちの方を睨むようにしてみた。
「……ジェーン・ドウがよこした傭兵か?」
「イエス」
生体認証も行い私たちは張妙鈴さんとユウト・ノイマンさんを確認。
ふたりは、上流階級のビジネスマンという格好で、コーヒーの入った紙カップを前にしていた。そのコーヒーに手を付けた様子はない。
「座れ。話し合うべきことがある」
中華系女性の方──張妙鈴さんがそう言い、私たちは椅子に座る。
「作戦についてはジェーン・ドウから聞かされているな?」
「ああ。相手をビビらせて巣穴に戻るところをドカン」
「まあ、そんなところだ。既に偽の捜査情報が流されている。我々は複数の地点から目標であるアンディ・イトウを見張る」
そう言って張妙鈴さんは私たちとアンディ・イトウの自宅周辺の情報を共有。
「監視そのものは宅配ドローンに見せかけた偵察ドローンが主力だ。ドローンの操作などの技術面はノイマンが担当している」
「俺は技術将校だと思ってくれ。ドンパチの専門ではなく」
ユウト・ノイマンさんはそう言って笑う。
「安心しろ。こっちはドンパチの専門だ。で、見張っている間はどこにいればいい?」
「この近くの空き物件を押さえてあり、そこが拠点になる。それからやつが移動するのに合わせて移動式の通信車両も確保している。ちょっと前の軍用指揮通信車両レベルの通信機材が整ったバンだ」
この近くにあるマンションの部屋を張妙鈴さんたちは確保しており、さらには映画にでてきそうな一見すると普通の車だけど中身はスパイ用の装備があると言う車まで!
何だかちょっとわくわくしてきてしまった。
「了解。さっきも言ったが俺たちはドンパチの専門家だ。俺たちにスパイの真似事はあまり期待してくれるな。見張るのは手伝うが、それだけだ。ドンパチになったら頼りにしてくれ」
「ジェーン・ドウからもそう言われている。だが、暫くはドンパチはない。我々と待機していてくれ」
「分かった。拠点とやらに向かおうぜ」
私たちはマトリクスからのハッキングも、ドローンの操作もできないドンパチ専門なので今は出番はないそうです。
「こっちだ。気を付けろ。我々もアンディ・イトウが単独で内通者として行動しているとは考えていない。大井内にはやつに繋がっている人間がいて、そいつらがこちらの動きを見張っている可能性もある」
「偏執病になりそうだな、ええ」
「ああ。アングルトンみたいにな」
「アングルトン?」
「有名なアメリカ中央情報局の偏執病だ」
リーパーが首を傾げて、張妙鈴さんが言う。
私もアングルトンという人物は知りませんでしたが、ARデバイスで検索したところジェームズ・アングルトンなる人物がヒットしました。
何でも二重スパイに悩まされた人だとか。
私たちはカフェを出て、セクター4/1の通りを進み、張妙鈴さんたちが準備した隠れ家に入る。
「ここからだとアンディ・イトウの家がよく見えるな……」
「だろう? それからドローンを常に周りに飛ばす。それで監視はばっちりだ」
リーパーは窓から少し先にあるアンディ・イトウの自宅を眺め、ユウト・ノイマンさんはドローンを操作するためのサイバーデッキなどが並ぶ部屋を披露した。
「油断はするな、ノイマン。監視が絶対とは限らないんだ。捜査の情報が目標に伝われば、目標は死に物狂いで逃げようとするはず。そうなると監視の絶対性は揺らぐ」
「分かっているよ、張」
張妙鈴さんは無駄話もなくプロって感じですね~。
「しかし、保安部の連中と組むのは久しぶりだ。お前らはあまり傭兵を好まないからな。今回の件も仕方なくってところだろ?」
リーパーは暇つぶしの雑談と言う具合にふたりにそう尋ねる。
「そうだな。先の騒動のせいで、保安部内も揉めている。誰が味方で、誰が敵なのかさっぱり分からないという感じだ。そして、それが分からないままにいきなり人が消えたりするってんだからな……」
「消える……?」
「東京湾にでも沈められたってところだ」
「うへえ」
ややうんざりしたようにユウト・ノイマンさんが語るのに私はげっそり。
どうやら大井の解雇はこの世からの解雇も意味するようなのです……。
「だから、完全に外部の人間の手を借りる必要があった。ミネルヴァの工作担当官の身柄さえ押さえれば、あとはそいつの資産を制圧すればいい。保安部内の裏切り者も片付けられるだろう」
張妙鈴さんはそう語った。
今回の作戦はジェーン・ドウが信頼できる人間だけを動員していると言っていましたね。私とリーパー、そして張妙鈴さんとユウト・ノイマンさんは明確にミネルヴァと関係のない信頼できる人間なのでしょう。
「ツムギ。少し話がある」
「はいはい?」
私は不意にリーパーが言うのに彼に続いて隠れ家を出る。
「あの張って女とノイマンという男に経済的な問題などがないということは、ジェーン・ドウからの資料で分かっている。以前俺たちが担当したマトリクスゴースト事件のように金銭的な理由でふたりがミネルヴァに繋がっている可能性は低い」
「南部博士の事件ですね」
リーパーが珍しく前の仕事を覚えていて口にするのに私が頷く。
南部博士は金銭的な理由でメティスに情報を流そうとしていた。
だが、今回の保安要員のふたりにはその手の金銭的なトラブルなどはない、とジェーン・ドウから渡された資料にはあったのだった。
「もっとも巧妙に隠しているだけで、実は金銭トラブルがある可能性もあるが。一応ここはジェーン・ドウを信じるとしよう」
「ふたりを疑っているんですか?」
「当たり前だろう。ジェーン・ドウが言ったことをもう忘れたのか。誰も信頼するなと言っていただろう?」
「そうでしたね…………」
妙な言葉だとは思っていましたが、まさか同じように作戦に当たる大井の保安要員を信頼するなという意味かもしれないとは。
「しかし、今回の作戦にはジェーン・ドウが信頼できる人間だけを動員したとも」
「信頼できる人間が裏切り者じゃないという保証はない。得てして裏切り者ほど普段は忠実な面をするものだ」
「うう~ん。そうかもしれませんけど…………」
ジェーン・ドウはこれまで仕事を正確に成功させてきた。彼女の人を見る目は確かだと思うのです。どうしても失敗できない危険な仕事に裏切り者が混入するようなリスクを冒すでしょうか?
「まあ、ふたりとも裏切り者などではない可能性もある。俺もこれから先のことはまだ読めていない。だから、一応用心だけはしておけ」
「了解です」
それから私とリーパーは隠れ家の中に戻る。
「ひそひそ話か?」
ユウト・ノイマンさんが戻ってきた私たちにそう不快そうに言う。
「ああ。そうだ」
リーパーはユウト・ノイマンさんの皮肉にストレートに返した。
「これからしばらくは一緒に過ごすんだ。無駄に空気を悪くするな。ストレスは判断力を鈍らせるノイズになる」
「分かっている」
張妙鈴さんがそう言い、私たちはアンディ・イトウの自宅を監視し続けた。
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