ヘロディアの娘//仕事は終わり
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──ヘロディアの娘//仕事は終わり
私とリーパーは無事に富士先端技術研究所から脱出した。
エントランスでは大井系列の救急サービスに所属するパワード・リフト機や救急車が止まっており、研究所内から負傷者が運びだされていた。
私たちはその混乱に乗じて抜け出した。
「ジェーン・ドウから連絡だ。セクター4/2のいつもの喫茶店で待っている、と」
「結果的に大騒動になりましたけど、怒られないでしょうか……?」
「さあ? だが、確かに悪魔以外は殺してないぞ」
「それもそうですね」
ノーキル縛りもあいまいになってしまいましたが、私たちが大井の傭兵として富士先端技術研究所の人間を殺したりはしていない。
殺したのはあくまで化け物たちだけだ。
ただ一応怒られるかもしれないということは留意しつつ、私たちはセクター4/2にあるいつもの喫茶店へと戻ってきた。
喫茶店ではジェーン・ドウがいつも通りの仏頂面で待っていた。
「随分な騒ぎになっていましたが、仕事の結果はどうでしたか?」
「これがお土産だ」
リーパーはそう言って佐久間研究室の情報を吸い上げた端末を机の上に。
「ご苦労様です」
特に無駄話などもなく、ジェーン・ドウは端末を受け取った。
「……さて、富士先端技術研究所で起きただろうことを考えるに、この端末の中身に興味があるのでは?」
「それは、まあ。というより、あそこで何が起きたかもう知っているんですか?」
「ええ。断片的に入ってきた情報を整理し、何が起きたかを把握しています」
ジェーン・ドウはさらりとそう言ってのけた。
「研究所内で地獄門が開いていた。そして、そこから悪魔どもが溢れ始めていた。そうなのでしょう?」
「本当に知っているんですね……」
はったりなどではなく、ジェーン・ドウは富士先端技術研究所で地獄に繋がった門が開かれ、悪魔たちが現れていたことを知っていたのだ。
「前にも言いましたが、我々は悪魔について宗教的な存在である以上のことを知っています。何故ならば連中は侵略者でもあるからです」
「侵略者だと?」
「ええ。あなた方は地獄門が拡大していくのを見たはずです。あれは最初は門に過ぎないのですが、十分に大きくなれば地獄そのものを形成するものです。巨大すぎる門は、門ではないということ」
「ふうん。で、悪魔どもにはこの地球を征服して何か利益があるのか?」
「侵略者の考える利益など、得てしてくだらないものです。まして、多元宇宙を征服してきた連中にとって宇宙の片隅でこそこそと生き延びているだけの人類など虫けらも同様。虫を面白半分に踏みつぶすのに大層な理由は必要ないでしょう?」
「はん。そうかもな。だが、それならば今回の件では連中は虫けらと侮った俺たちにぶち殺されたわけだが」
「そうですね。あなたはやはり特別なのでしょう」
リーパーが意地悪げに笑って言うのをジェーン・ドウは適当に流していた。
「あの、そのとき私にだけ別の悪魔が見えていたと言ったら信じてくれます?」
「別の悪魔?」
私の言葉にジェーン・ドウは怪訝そうにした。
「そう言えば、ずっと何か見えると言っていたな。一体、何が見えていたんだ?」
「女の人です。真っ黒なドレスを纏ったプラチナブロンドの髪と赤い瞳の。その女性はサロメと名乗り、自分のことを悪魔だと……」
「サロメ?」
リーパーは私が告げた内容に眉を歪めた。
どういうわけかサロメは私にしか見えず、リーパーはその存在を全く察知できていなかった。その理由をジェーン・ドウならば知っているのではないだろうか?
「なるほど。悪魔の中にも様々な存在がいることを私たちは把握しています。醜い不細工な巨人ばかりが悪魔ではないのだと」
ジェーン・ドウが語る。
「あなたの脳みそに入っているΩ-5のようなパラテックを供給しているのも悪魔だという話があるぐらいです。それに地獄門がパラテックの産物ならば、連中とパラテックの親和性は無視できないほどに高い」
「つまり、やはりあれは私のΩ-5インプラントに……」
「でしょうね。現時点では推測に過ぎませんが。一応聞きますが、悪魔に願っては見ませんでしたか? Ω-5インプラントを除去してくれるならば、生贄を捧げるとか」
「あいにく交渉は決裂しました」
「そうですか。いいことです。悪魔と取引していい結果になったことはありません」
確かに悪魔と取引する話はどれもいいエンディングではない気がします。
あのときやはりリーパーを犠牲にするような選択をしなかったのは正解でしょう。
「しかし、その悪魔は確かにサロメと名乗っていたのですね?」
「え、ええ。悪魔にも名前があるんですね」
「……ふむ……」
ジェーン・ドウは私の答えに暫く考え込んでいた。
「今はそれでいいでしょう。仕事は完了として報酬を支払っておきます」
「それなんだが、動員したハッカーが佐久間レフが何を研究していたかを知りたがっている。俺たちが持ち帰った情報の一部を共有する気はないか?」
「はあ。知りたがりのハッカーは早死にすると教えておいてあげてはどうですか?」
「本人も自覚はしているさ」
ため息交じりにジェーン・ドウが言い、リーパーは首をすくめた。
「では、一部の情報を与えておきましょう。知りたがりのハッカーが早死にしない程度の情報ですが」
ジェーン・ドウはそう言って私たちのARデバイスに情報を送ってきた。
「これは…………。あの粒子加速器があった実験室の映像ですね……?」
「ええ。彼らが何を実験していたかを示す映像です。渡せるのはそれだけですよ」
粒子加速器という実験機器が置かれた場所で、地獄門が開き続ける原因にもなったクレーンも見えるアングルの映像だ。
映像を再生していくと、クレーンが金属の柱を吊るし始めた。
何の金属なのかは分からない。色は白みがかった金色でその見た目通りに金なのか、それとも鉄なのか、またはそのふたつとも異なる金属なのか。
その金属の柱が吊り上げられると、機械音が響き────。
「赤い空間が……!」
粒子加速器に赤い空間が生じ始め、それが僅かな火花を散らして小さく広がる。
その赤い区間に向けてクレーンが謎の金属をゆっくりと降ろし始めた。
「あ!」
金属が赤い空間の中に吸い込まれて行き、それからすぐにクレーンがワイヤーを巻き取って金属の柱が引き上げられたが、そこには──。
「あの像に似た、不気味なものに……!」
そう、地獄門に降ろされたのちに引き上げられた金属の柱は、不気味な形状のそれに変化していたのです!
「あれは最初からああいう形だったのではなく、地獄門の影響を受けて……」
「そのようですね。では、私からこれ以上与えるものはありません」
さようならというようにジェーン・ドウは私たちに手を振り、リーパーが先に席を立ち、私も続いた。
「カンタレラさんはこの情報で満足してくれるでしょうか? 今回切り抜けられたのは彼女の機転でもありますし、それなりにお礼はしたいのですが」
「大丈夫だろう。あとは俺たちの土産話を聞かせれば満足するはずだ」
「確かに土産話ですね。それも地獄の土産話です」
リーパーと私はこの目で地獄門と悪魔たちを見てきたのだ。それが何よりのオカルト情報にはなるだろう。
「だが、どうにも妙な感じだ」
「何がですか?」
妙なことが多すぎて、リーパーが言っているのが、そのことなのか分からない。
「ジェーン・ドウは知りすぎているくらい、悪魔について語った。今回の件も富士先端技術研究所からの正式発表前にあらかたのことを把握しているようだった。それが奇妙には思わないか?」
「それは……確かに…………」
ジェーン・ドウは多くを知っていた。悪魔について、地獄について。
まるでずっとこのことを知っていたかのように、だ。
「あいつはどこまで知っているんだろうな?」
リーパーはそう疑問を抱いていたのだった。
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