ヘロディアの娘//事故
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──ヘロディアの娘//事故
私の方に笑いかけてきた、謎の女性。
彼女はすぐに廊下の奥の方に振り返ると、そのまま立ち去っていった。
「ツムギ? 大丈夫か?」
「え、ええ。すぐにこの仕事を終わらさせましょう!」
こんな不気味な場所にいつまでもいたくありません!
「分かった。佐久間研究室はこっちだ」
リーパーがそういって向かう先は、先ほどの女性が立ち去った先……。
猛烈に嫌な予感がしてきました…………!
「本当に何も見えなかったですよね、リーパー?」
「ああ。何の話をしているのかさっぱりだ」
「そうですか……」
あの女性は一体何だったんだろう?
そういう疑問を抱きながらも私たちは佐久間研究室へ急ぐ。
しかし、この付近は異様に人がおらず、無人の廊下と部屋が延々と広がっている。それがまた気味が悪いのですよ……。
私は背筋に寒いものを感じながらもリーパーに続き、リーパーはとある部屋の前で止まった。部屋の扉には『佐久間研究室』とある。
「カンタレラ。セキュリティを確認してくれ。この部屋の扉と内部に何かしらのセキュリティはあるか?」
『ないよ、リーパー。それから今はそこに誰もいない』
「いい知らせだ」
リーパーはカンタレラさんからそう報告を受けたと同時に部屋の電子キーを“鬼喰らい”で強引に破壊し、扉を蹴り開けた。
研究室内には今では珍しい昔ながらのデスクトップ端末とサイバーデッキが置かれたデスクが5つあり、同じように置かれているホワイトボードにはよく分からない数式などが無数に書き込まれていた。
「さて、どの端末が佐久間レフのだ?」
「これっぽいですね」
私が指さすのは古いデスクトップ端末だ。一応オンラインにはなっているようだが、佐久間レフ教授は割と老人なのだろうか? 今どきお年寄り以外にデスクトップ端末を使っている人などいないでしょうから。
「オーケー。じゃあ、情報を根こそぎいただいていくとしよう」
リーパーはジェーン・ドウから渡された端末を差し込むと、AIが自動的に内部の情報を吸い上げ始めた。
「ふん。全ての情報を取得するまで、あと20分かかるそうだ」
「うへえ。早く逃げたいですよ」
「そうだな。ここまでいい感じのノーキル縛りとノーアラートに成功しているんだ。このままステージクリアと行きたいが」
そんな呑気なことをリーパーは言っている。
しかし、本当にこのまま何事もなく、私たちは仕事を終えられ──。
「!?」
まただ! あの女性が今度は研究室の扉の前にいる!
今度も私の方をじっと見ているが、リーパーは気づいていない。いつもならば敵の存在に真っ先に気づくはずの彼が気づいていないのです。
「見えているな?」
女性は不意にそう声を発した。
女性にしては低い、ハスキーな声だった。
しかも、そこの声には妙なノイズがある。質の悪いマイクを通じた声であるかのような、そんなノイズが混じっていた。
次の瞬間、その女性の姿が消えたと、そう思ったが女性は瞬間移動したかのように私の前に現れた!
「そちらの男からは酷い死臭がする。嫌な臭いだ。だが、お前からはそういう臭いはしない。お前は美味しそうだ」
女性は私の顔を覗き込んで、そう告げる。
女性の瞳をよく見れば、それは爬虫類のような縦に細い瞳孔をしており、その有様は明白に人間ではなかった。
「どうした、ツムギ? 顔が青いぞ」
リーパーはやはり女性に気づいていない。
もしや、この女性は私の脳に埋め込まれたインプラント──Ω-5インプラントに反応しているのだろうか…………?
女性は私の顔を覗き込むのを止めると、何もない壁の方を向く。
「そろそろだ。門は開き、硫黄が溢れる。お前にもその音が聞こえてきたのではないか? 亡者どもの苦しむうめき声が、泣き叫ぶ悲鳴が、垂れ流す呪詛が、そして我らが同胞たちの喝采が」
「何を言って…………」
女性が不気味に笑いながらそう言うのに私が眉を歪める。
だが、その意味はすぐに分かった。
聞こえてきたのです! うめき声が、悲鳴が、呪詛が……!
「こ、これは…………!」
地底から響いてくる地鳴りのような音。
いや、これは声だ。無数の人の声だ。
声が響いている……。背筋が凍りそうなほどぞっとする声が響いている…………。
その声とともに警報が鳴り響き、私はびくりと飛び上がる。
「警報……? カンタレラ、セキュリティの反応か?」
『違う。セキュリティは反応してない。この警報は……』
カンタレラさんが警報が鳴っている原因を調べ始める。
『事故だ。事故が起きてるって警報。しかし、一体これは何の事故が……?』
まだ原因がよく分からないが、私は猛烈に嫌な予感がしていた。
『あ! 不味い! 隔壁が封鎖されている!』
「ど、どういうことですか!?」
『セキュリティレベル4の隔壁が全て封鎖された! そこから出れない!』
「ええ!?」
カンタレラさんからの報告に私は思わず声を上げた。
「へえ。そいつはハードだな」
「ハードだな、じゃありませんよ! 逃げないといけないのに!」
「落ち着け。手はあるはずだ。パニくると余計に逃げられなくなるぞ」
「そ、それはそうですけど……」
だが、この状況でどうやって逃げればいいんです!?
「カンタレラ。事故の内容は?」
『正確なことは分からないけど、今から無人警備システムを利用して確認してみる』
リーパーの求めにカンタレラさんが応じて、無人警備システムのカメラが事故現場の様子を捉え始める。
『…………嘘。何これ…………?』
「どうした?」
『これを見て。これが粒子加速器のある場所で起きている事故』
カンタレラさんはそう言って無人警備システムの映像を私たちと共有。
そこには────。
「ほう。化け物が見えるような気がするが、俺の見間違いではないよな?」
リーパーが楽しげに笑いながら私とカンタレラさんに問いかける。
確かにそこには化け物が映っていたのだ。
それは宙に浮かぶ眼球のようなグロテスクな化け物や、巨大な角の生えた恐ろしい巨人、あるいはゾンビのようにおぞましい姿に変化した人間など、この世のものとは思えないものばかりです…………!
それがカメラのある研究室の中心部に発生した赤い空間から次々に湧き出ています!
「まさかこれってTMCの地下で起きたような…………」
「つまりこれは悪魔どもか」
私が息を飲んで告げるのにリーパーは口角を歪めて笑う。
『今、富士先端技術研究所の保安部が動いているけど、どうする? 混乱に乗じて脱出ってのは難しそうだよ。何せ、化け物が湧き出てきてるんだから』
「おいおい。俺が化け物に背を向けて逃げると思ったのか?」
『他にどうするつもり……って、まさか…………』
「化け物をぶち殺し、そこにある門を閉じて、それから脱出だ」
リーパーはこともなげにそう言ってのけたのだった。
「マジで言ってます?」
「マジで言ってるぞ。他にどういう手段がある? ここを放置して逃げても、あの化け物どもが溢れたらあとで困るぞ」
「それはそうですが、何も私たちがやらなくても……」
「こういう楽しいことを他人任せにしたくない」
「はあ…………」
リーパーは化け物退治に向かう気満々だ。
「分かりました。行きましょう。化け物を倒し、門を閉じて、それから逃走です」
「決まりだな」
私はそこで何もない壁の方を見ていた女性の方に視線を向ける。
女性は何も言わず、興味深そうにこちらの方を見つめていた。口元には僅かな笑みを浮かべており、私たちに爬虫類の瞳を向けている。
彼女は何者なのだろう? 彼女もまたあの化け物のような存在なのだろうか……?
「ほら、行くぞ、ツムギ」
「はいはい」
今はそれを考えている余裕はない。
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