ヘロディアの娘//ジェーン・ドウ
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──ヘロディアの娘//ジェーン・ドウ
私たちは寂れ切った地方都市などを移動して、2週間あまりTMCを離れていた。
しかし、その生活も終わりのようだ。
「ジェーン・ドウから連絡が来た。TMCに戻って来いだそうだ」
「ようやくですね」
「だな」
私たちにTMCの外に出るように命じていたジェーン・ドウから、ようやくTMCに戻っていいとの知らせが来たのです。
「それから、すぐに次の仕事があるという話だ。楽しみだな?」
「私は楽しみじゃないです」
どうせまたろくでもない仕事でしょうしね。
ともあれ、飼い主であるジェーン・ドウに呼び出されたら応じなければならない。私とリーパーは地方都市からTMCへと帰還する。
TMCに入れば、すぐに鮮やかで騒々しいホログラムとネオンに出迎えられた。
「少し忘れていましたが、TMCはこういう騒々しい場所でしたね」
「そうだな。騒音がBGMの街だ」
私たちは暫く静かすぎる地方都市にいたので、TMCがここまで騒々しいものだったということを再認識することになりました。
まずは私たちはリーパーの自宅に戻り、荷物を家事ボットに預け、それからジェーン・ドウが待っているセクター4/2の喫茶店に向かう。
「お帰りなさい。旅行は楽しかったですか? たまにはこのTMCの酷い喧騒から離れるのもよかったでしょう?」
「まあな」
ジェーン・ドウがそう言って私たちを出迎えるのに、リーパーは苦笑して返した。
「さて、大井内は未だにクーデターのあとの混乱が僅かながら残っていますが、我々には仕事があります」
ジェーン・ドウはそう告げる。
「クーデターのそもそもの原因である同盟派閥の誕生。それに関与した勢力について私は調査を進めていました。拘束した同盟派閥のメンバーから情報を搾り取り、間違いなく彼らがミネルヴァと接触していたことを確かめました」
「ふん? じゃあ、次はミネルヴァへの反撃か?」
「そうしたいのは山々ですが、今においてもミネルヴァは透明人間か幽霊です。彼らに殴り返そうにも、実体を捉えなければ殴れません」
そこで、とジェーン・ドウ。
「まずは彼らの正体を掴むところから始めましょう。その点において我々は興味深い情報を得ています」
ジェーン・ドウから情報が送信されてくる。
「富士先端技術研究所……?」
「そうです。高度研究都市の中心研究部である研究所にしてメガコーポ。そこにミネルヴァのそれと連動した研究が行われているとの情報があります」
「ちゃんとした研究所がオカルトを研究しているってことですか?」
私は思わずそう尋ねた。
ミネルヴァの研究はオカルトのそれであることは間違いない。
ユージン・ストーンが言っていたミネルヴァの扱うパラテックを現した言葉──『人の革で装丁された魔導書に記されたルーン文字』というもの。
私たちがTMCの地下で見たもの──魔法陣とそこから現れた悪魔の姿。
どれもまともな科学の話じゃない。オカルトであり、超常現象だ。
それをまともな研究機関であろう富士先端技術研究所という組織が研究しているというのは、やはり何か違和感を覚えるものだった。
「パラテックが厄介なのは、その異常性を表向きは現さずに扱われていることです」
私のそんな疑問にジェーン・ドウが答える。
「確かにまともな研究機関で悪魔だの魔法陣だの言えば、よくて解雇、悪ければ精神病院送りでしょう。しかし、これを『六次元空間の存在による低次元への干渉』とか『特殊な数式のパターンによって描かれる幾何学模様』と言い換えれば、あら不思議」
「ふうん。言葉遊びによって異常性を受け入れさせてるわけか」
「そうです。まるで冷戦時代のシンクタンクのようですね。核戦争と言う異常を受け入れさせるための言葉遊び。100万の死という非現実を感情ではなく、現実的な数字で受け入れさせるためのメガデスという単位のように」
「あまり好きじゃないな」
リーパーはちょっとばかり嫌悪感を示している。
「そのようなことで富士先端技術研究所では、ミネルヴァの研究を扱っている情報があり、それが事実である可能性があります。あなた方にはそれを突き止めていただきたい」
ジェーン・ドウからの仕事はそういうものだった。
「しかし、どうやって? 富士先端技術研究所にこっそり忍び込む感じですか?」
「まさにその通りです。富士先端技術研究所内に侵入し、中で行われている研究について把握する。段取りを説明しましょう」
私が尋ねるのにジェーン・ドウは説明し始める。
「あなた方には富士先端技術研究所を含めた高度研究都市内にある、我々のフロント企業である北岳研究複合体の研究者として高度研究都市に向かってもらいます」
「投資家の次は研究者か」
「今回は成り代わる必要はありません。北岳研究複合体は完全に我々の監視する会社であり、高度研究都市内でも認められたものです。いくらIDを偽造しようと、高度研究都市側にも富士先端技術研究所側にも警戒されません」
「難易度は低そうだ」
確かにこの仕事からはリーパーが好むようなひりひりとするぐらいの緊張感は感じられない。
「そうでもありませんよ。今回の仕事では絶対に死人を出さないようにしてください。富士先端技術研究所は我々と一部業務を提携しているパートナーでもあります。そのような組織と関係が悪化するのは私の望むところではありません」
「ノーキル縛りか。そいつは面白そうだな」
うへえ。誰も殺さずに研究所に忍び込んで情報を盗み出すわけですか……。
「あなた方のIDで富士先端技術研究所に入れるようにしておきます。パラテックの存在が噂されているのは、富士先端技術研究所の理論物理学部門も中にある佐久間レフ教授が責任者を務める佐久間研究室です」
「その佐久間って男の研究室にある、具体的にどんな情報がいるんだ? それとも根こそぎ記憶媒体を盗み出せばいいのか?」
「根こそぎです。これを使ってください」
ジェーン・ドウはそう言ってフラッシュメモリのよう機器をリーパーに渡す。
「これを研究室のマトリクスに差し込めば、AIが自動的に情報を全てこのメモリに収めます。そのことは記録にも残らないので、気づかれることはないでしょう」
「了解だ。さっくりと盗み出してこよう」
ジェーン・ドウの説明にリーパーが頷く。
「いいですか。くれぐれも富士先端技術研究所の職員に死者を出さないように。それだけは徹底してください。富士先端技術研究所との関係悪化は大井の大きな損失に繋がってしまいます」
「分かってる。任せておけ」
リーパーは繰り返すジェーン・ドウに向けてにやりと笑い、席を立った。
「リーパー。本当にノーキル縛りなんてやれると思います?」
「やれと言われたらやる。それだけだ」
「はあ」
これまでの私たちの仕事はいくら相手に犠牲者が出てもいいものだった。てっきりジェーン・ドウはそういう仕事ばかりをずっと斡旋してくると思っていたのですが、違ったみたいです。
「安心しろ。お前は知らないだろうが、この手の仕事をやるのは初めてじゃない。一応やり方については知識がある。まずはカンタレラと会うぞ」
「カンタレラさんとですか?」
「そうだ。この手の仕事にはハッカーの支援が不可欠だ」
リーパーはそう言ってSUVに乗り込む、セクター8/4を目指す。
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