TMCから愛を込めて//セクター4/2
……………………
──TMCから愛を込めて//セクター4/2
「リーパー。買い出しですか?」
前回の仕事が終わってから数日。
リーパーが出かけようとしているのを見て、私はそう尋ねる。
「ああ。宅配ドローンに任せてもよかったんだが、ここのところ暇だしな」
「それもそうですね」
このペントハウスの暮らしは快適で、また買い物も何もかも家事ボットがやってくれるので外に出る必要などないのだが、暇なのはどうしようもない。
「私も一緒にいいですか?」
「いいぞ。ほしいものがあれば言えよ」
「ええ」
私もリーパーについていき、買い物に行くことに。
今どきの買い物はほとんどネット通販で済む話なので、小売店は生存戦略のために様々な方法を凝らした。
高級志向を極めてサービスを拡充する方向。
あるいは低価格を極めてとにかく安売りする方向。
またはネット通販では規制されている品を売る方向。
いろいろな方向性の小売店が生まれたが、リーパーが利用するのは高級店だ。
セクター3/2のお洒落なショッピングモール。
ブランド店がいくつも入っており、接客を行うのもハイエンドモデルの接客ボットか訓練された人間である。
おかれている品はプライベートブランドの高級品ばかりで、合成品のインスタントコーヒーでも500新円もしたりする。
「で、リーパーは何を買いに来たんです?」
「プロテインとサプリ。合成品の食い物にはろくな栄養がないからな」
「ですね」
合成品は元を辿ればそのほとんどが陸で養殖されたオキアミと工場生産された大豆である。そのため栄養素には大きな偏りが生じている。
私もリーパーも足りない栄養素はサプリで補っていた。
「お前は何か買うものはあるのか?」
「そうですね。ケーキを買って帰りませんか?」
「ケーキ?」
リーパーは私の言葉に怪訝そうに首を傾げた。
「たまには甘いものが食べたいじゃないですか。ここにはケーキ屋さんも入ってますし、買って帰りましょう?」
「別にいいが」
「リーパーもベイクドチーズケーキは好きでしたよね。買って帰りましょう」
「ああ。あれか。あれは美味いな」
リーパーは相変わらずケーキの名前を憶えていません。
「で、お前はどんなケーキが好きなんだ?」
「私ですか? 悩みますね……」
レアチーズケーキも好きですし、モンブランも好きですし、チョコレートケーキも嫌いじゃないです。変化球だとアップルパイとか。
セクター13/6で路上生活していたときは甘いものなんて食べられなかったので、どんな甘いものでも恋しかったりします。
「イチゴのショートケーキにします」
「美味いのか、それ?」
「まあ、定番メニューではありますね」
「そうなのか……」
まさかイチゴのショートケーキの存在を知らないわけではないですよね……?
「なら、あとでケーキ屋に寄っていこう。まずはプロテインとサプリだ」
「了解」
私たちは薬局でプロテインとサプリを買い、それからショッピングモール内にある高級ブランドの菓子店に入った。
「いろいろありますね」
「買うものは決まってるんだろ?」
「ウィンドウショッピングもいいではないですか」
菓子店には美味しそうなお菓子がずらり。
これらのほとんどが工業的な化学合成で作られた合成品であったとしても、美味しそうなのは変わりない。
「リーパーは他のお菓子には挑戦しないんです?」
「そこまで甘いものが好きなわけじゃないしな。お勧めでもあるのか?」
「う~ん。お勧めと言われると困りますね」
「別に無理して勧めてくれなくていい。なんとかケーキで十分だ」
「ベイクドチーズケーキ、ですね」
私たちはそれから私のショートケーキとリーパーのベイクドチーズケーキを注文し、それを持って自宅に戻った。
そして、早速家事ボットにお茶を入れさせて、私たちはケーキを楽しむことに。
「リーパーっていつからベイクドチーズケーキが好きなんです?」
「別にこれと言った切っ掛けがあるわけじゃない。ジェーン・ドウにおごってもらったときに美味かったから覚えていた。それだけだ」
「ジェーン・ドウとの付き合いは長いんですか?」
「それなりにな」
リーパーはあまり自分の過去を語ろうとしない。
彼にはどういう過去があって、今のリーパーがあるのだろう……?
「ん」
ケーキを早々に食べ終えたところでリーパーが反応。
ARデバイスへの着信だ。
「ああ。ジェーン・ドウか。仕事か?」
どうやらジェーン・ドウからの着信のようである。
「了解だ。すぐに向かう」
リーパーはそう言って通信を切った。
「ジェーン・ドウから呼び出しだ。新しい仕事らしい」
「すぐに食べ終わりますので待ってください」
私はイチゴのショートケーキをさっさと食べる。
イチゴのショートケーキは甘みがやや人工的で、べっとりとした感じであったが、それでも美味しくいただけた。
それから私たちはいつものようにセクター4/2の喫茶店に向かった。
「いきなりの呼び出しですみません。ですが、仕事があります」
ジェーン・ドウはそう言って私たちを出迎えた。
「仕事の内容は?」
「我々はとある競合事業者との間にトラブルを抱えています。実に面倒なトラブルです。そこで、あなた方にはそのトラブルの解決を手伝ってもらいます」
ジェーン・ドウはそう言って仕事について語り始めた。
「切っ掛けになったのは、あの南部正人の件です。覚えていますね?」
「誰だ?」
「はあ。自分の死を偽装して、メティスに情報漏洩を計った男ですよ」
「ああ。マトリクスゴーストの」
「そうです。あの件を調査して、どうやらメティスが我々に対して積極的な諜報活動に出ているらしいということが分かりました。シンプルに言えば、メティスのウジ虫野郎ども──失礼、産業スパイがあちこちに潜り込もうとしています」
ジェーン・ドウはそのようにまず説明する。
「我々はこのメティスの諜報活動に対して、根底から打撃を与えるべく防諜作戦を展開中です。あなた方に依頼する仕事はこの防諜作戦に関係します」
「防諜作戦……」
何だかスパイものの映画みたいですね。
「ここでスパイの仕組みについて教えておきましょう。スパイには大まかに3種類の人間が存在します」
ジェーン・ドウはそう言って3本の指を立てる。
「ひとつはエージェント、または資産と呼ばれる末端の人間。長期にわたって潜入させるものや、相手側の人間を金で寝返らせるなどして得られるものです。実際に情報を盗み出すのが、この人間の役割です」
ふむふむ。まずはエージェント、そして資産。
「それからアナリスト。集めた情報の分析を行う人間です。情報が情報になるには、必ず情報の分類と分析が必要であり、派手な活躍はありませんが重要です」
次はアナリスト、と。
確か亡命しようとするソ連の原子力潜水艦を盗みに行く小説の主人公が、このアナリストではなかったでしたっけ?
アナリストにしてはかなりド派手な活躍でしたけど。
「さて、最後が工作担当官です。スパイの元締めと言っていいでしょう。エージェントをスカウトして、忍び込ませ、情報を盗む指示を出す人間が、この工作担当官です」
そして、最後にジェーン・ドウは工作担当官を説明。
「我々が狙うのは雨後の筍のように生えてくるエージェントではなく、その元締めです。メティスの工作担当官を始末します」
ここで私たちの狙うべきものが指示される。
「そいつについては把握できてるのか? 探せとは言わないよな? その手の人間はかなり高度な偽装をしているはずだが」
「ええ。あなた方にスパイの真似事は期待していません。メティスの工作担当官については既にこちらで調査を行いました」
リーパーが渋い表情で指摘するのにジェーン・ドウから情報が送られてくる。
「ユージン・ストーン。表向きはメティス・メディカル極東支社の広報職員です。しかし、実際にはメティスの情報部に所属する工作担当官と判明しています」
送られてきた情報にあるのは、あまり目立った格好ではないユダヤ系の中年男性の画像が添付されていた。本当にどこにでもいそうな感じの、そんな目立たない雰囲気の人物である。
彼がスパイの元締めである工作担当官だと言われても、そんな感じはしないというのが私の感想でした。
「で、殺してくればいいのか?」
「私も殺害に一票を入れたのですが、保安部は生け捕りにして情報を搾り取りたいようなのです。ですので、拉致してきてください」
「拉致か……」
リーパーはそう呟いてやりがいを感じたのか、小さく笑った。
「しかしながら、いろいろと難しい作戦になります。何せ、ユージン・ストーンはメティス・メディカル極東支社から今のところ一歩も外に出ていません。彼は完全に隔離されたTMCにおけるメティスの牙城に立て籠もっているのです」
「それは面倒ですね。……まさか、そのメティス極東支社に殴り込めと…………?」
「そんなことをすれば我々はテロリストも同然です。別の方法を考えています」
「別の方法と言うと?」
「ひとつ質問しておきましょう」
ここでジェーン・ドウが尋ねてくる。
「エレガントなドレスに着飾るのはお好きですか?」
……………………