マトリクスゴースト//真相
本日2回目の更新です。
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──マトリクスゴースト//真相
リーパーは“鬼喰らい”に帯びた血を振るい、SUVから引きずり下ろしたチャンドラー博士を前にした。
「殺しちゃだめですよ」
「分かってる。ジェーン・ドウに連絡したが、こちらでも聞けることは聞いておこう」
私が警告するのにリーパーは肩を竦めてそう返した。
「そうですね。これ以上どっきりが仕込まれていたら困ります」
殺人容疑の次は企業亡命未遂と慌ただしいチャンドラー博士だ。まだ何かを隠していて、それが進行中かもしれない。
「チャンドラー博士。南部博士を殺したのはあなたですか?」
「ち、違う! 殺してなんかいない!」
テレパシーで心を読んだが、嘘はついていない。
「リーパー。どうやら南部博士を殺したのは別人のようです」
「どういうことだ? なら、この企業亡命について説明させろ」
「どうして企業亡命を? アトランティスに亡命するつもりでしたよね?」
リーパーが指示し、私が尋ねる。
「え、ええ。だって私にやってもいない殺人の容疑がかけられたんだぞ!? 本当に悪いのはメティスに情報を売ろうとした南部なのに!」
「何ですって?」
嘘はついていない。チャンドラー博士は事実を言っている。
「落ち着いて説明しろ。まず南部を殺した人間を知ってるのか?」
「…………あいつは自殺したんだよ。私が殺したように偽装して……!」
「自殺?」
「そう。数日前にあいつがメティスに情報を売ろうとしていることに気づいた。保安部が察知する前みたいだったから、そのことで研究成果を寄越すように脅迫しようと思って、そのことを告げたんだ」
そうしたらとチャンドラー博士が続ける。
「あいつは研究成果を渡すから自室に来てくれと言い、私はそこに行った。そうしたらあいつはもう死んでた! 死んでたんだよ! だが、状況からみれば私が殺したように見えただろうし、私はメティスへの漏洩の件を保安部に黙っていた。それで…………」
「殺人容疑と機密保持違反から逃れるために、アトランティスに亡命を、と」
「…………ああ。そうだ…………」
がっくりと肩を落とし死人のような生気のない目でチャンドラー博士はそう言った。
「なるほどな。ツムギ、すぐにアンリミテッド・メモリー社に向かうぞ。これでやつの狙いが完全に分かった」
「ええ。全て南部博士の自作自演でした。南部博士は自分が容疑者候補から外れ、チャンドラー博士に大井の保安部が注意が向けている隙にメティスに情報を売るつもりでしょう。急がないと!」
私たちは護衛の使っていたSUVを奪い、それでセクター3/3のアンリミテッド・メモリー社を目指す。
TMCのセクターを駆けのぼり、私たちはアンリミテッド・メモリー社に到着。
私とリーパーはまだ有効なビジターIDを使って、社屋内に入り、7階にいるシモン・マエダに会いに向かった。
「おや? そんなに慌ててどうされましたか? ああ、マトリクスゴーストの作成の件で気が変わられましたか?」
シモンさんがそう言うのにリーパーが“鬼喰らい”を抜いた。
「ひいっ!?」
「すぐに南部正人のマトリクスゴーストをスタンドアローンの端末に移せ。やつには産業スパイの容疑がかかっている」
「わ、分かりました! 転送作業を停止させます!」
「転送作業だと?」
「え、ええ。南部正人様のご要望でマトリクスゴーストを南アフリカのサーバーに移す手続きが始まっていたのですが……」
リーパーが訝しむのに、シモンさんはそう答える。
「南アフリカではマトリクスゴーストの権利が認められている。それが狙いですよ。自殺はどうやら慌てて思いついたことのようですね」
「死ぬ気はなかったわけか」
TMCでは遺言の執行ぐらいしか権利のないマトリクスゴーストだが、南アフリカでは生前と同様の権利が認められている。
恐らくはアンリミテッド・メモリー社を選んだのも、彼らの親会社が南アフリカにあるからだったのだろう。
「……南部正人様のマトリクスゴーストをスタンドアローン端末に移しました。一応お聞きしますが、これからどうされるのですか…………?」
「話すことはできますか?」
「可能ですが……」
「では、お願いします。少しだけ」
私たちは再び3Dホログラムシアターに向かった。
3Dホログラムシアターでは既に南部博士のマトリクスゴーストが再生されていた。
『どうやら私が思っていたより、君たちの方が素早かったか……』
「ええ。ですが、理由を聞かせてください。自殺までして、どうしてメティスに情報を売ろうとしたのですか? 金銭的なトラブルはないと仰っていましたよね?」
『そうだよ。トラブルであるとすれば私が貧しかったことだ』
「…………アーコロジーで何不自由なく暮らしていらっしゃったのでは?」
私のような路上生活を経験した人間ならともかく、南部博士は研究者として生活は安定していたはずだ。
『娘がいるんだ。今は南アフリカにね。先天性ナノマシンアレルギーで治療には莫大な金が必要だった。そんなおりにメティスから打診があった』
「……それは情報を渡せば治療すると……」
『ああ。だから、私はメティスに情報を渡さなければいけなかった。だが、これでその約束はパーになったよ』
自嘲するように南部博士は力なく笑った。
『それで? 私をどうするんだ?』
「それを決めるのは俺たちじゃない」
そこで3Dホログラムシアターにある人物が現れた。
「ご苦労様でした。あとは引き継ぎます」
ジェーン・ドウだ。
「ああ。あとは任せた。帰るぞ、ツムギ」
「はいはい」
私たちは南部博士のことをジェーン・ドウに委ね、アンリミテッド・メモリー社を去った。アンリミテッド・メモリー社の前には大井統合安全保障のパワード・リフト機が止まっており、同社のコントラクターが展開している。
「何だか後味が悪い事件でしたね……」
「そうか? 悪党は捕まり、事実は暴かれた。ハッピーエンドだと思うが」
「南部博士の娘さんは結局治療は受けられないじゃないですか」
南部博士は確かに悪いことをした。だが、それは娘さんを守るためだったのだ。
「ふん。そんなに気にするのか?」
「ええ。私たちがちょっと遅れていれば、避けられたのですから。少しの間、引きずると思います……」
「それはよくないな」
リーパーはそう言っていた。
* * * *
翌日のこと、ジェーン・ドウから呼び出しがあった。
場所はいつものセクター4/2の喫茶店だ。
「仕事の方、ご苦労様でした」
ジェーン・ドウはまずそう切り出す。
「南部正人のマトリクスゴーストは現在我々の管理下に置かれました。現在、保安部が彼からどのようにしてメティスから接触を受け、どのように情報を渡すつもりだったのかを聞き取っているところです」
「エブリン・チャンドラーは?」
「彼女には機密保持契約違反として懲戒処分が下されました」
「そうか」
リーパーはあまり興味なさそうにジェーン・ドウの話を聞いていた。
「それと、です。不思議なことですが南部正人の娘であり、南アフリカの病院に入院してる南部結衣さんの口座に莫大な資金が匿名で寄付されたそうです。彼女の先天性ナノマシンアレルギーを治療できるほどの金額です」
「え?」
「彼女はそれで無事に遺伝子治療を受け、今では元気にしているそうです。まさかメティスではないかと疑いましたが、どうなのでしょうね、リーパー?」
私が驚くのにジェーン・ドウは僅かに目を細めてリーパーを見た。
「世の中、親切な人間もいるんだな」
リーパーはそう言って僅かに口角を上げて笑って見せた。
「そのようですね。世の中捨てたものでもないとでもいいますか。それとも単なる金持ちの道楽でしょうかね」
それ以上は追及しないとジェーン・ドウは言い、私たちに報酬を支払うと退席した。
「リーパー。まさかあなたが…………?」
「さあ。俺は知らないぞ。だが、親切な人間がいて助かったな。お前がくだらないことを引きずって、殺されたりしたら困る」
「全く、あなたという人は……」
リーパーは相変わらずだが、彼がただの殺人鬼ではないということだけは、だんだんと私にも分かってきた。
彼も人間だ。私と同様に。
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今日の更新はこれで終了です(/・ω・)/




