VIPサービス//ジェーン・ドウ
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──VIPサービス//ジェーン・ドウ
ジェーン・ドウからの呼び出しがあったのは、私たちがニュクス17殺害の仕事から数日が経過した日であった。
「ジェーン・ドウがセクター4/2の喫茶店に来いと言っている。行くぞ」
「りょーかいです」
リーパーとともに地下駐車場まで下り、以前のようにSUVでTMCセクター4/2の喫茶店に向かった。
ジェーン・ドウが指定したのは同じ喫茶店だった。ここが彼女のお気に入りか。
「リーパー、ツムギさん。仕事です」
ジェーン・ドウは挨拶も早々にそう持ち出した。
「あなた方にはとある人物を護衛してもらいます。今回の仕事の内容はそれだけとシンプルです」
確かにシンプルだ。
「世の中、親がしっかりした資産と愛情を持ち、適切な教育を受けさせてやれば、子供が道を踏み外すことなどない。そう信じている親は大勢います。ある種の性善説にも似た考え方で────実に愚かな考えです」
ジェーン・ドウはどこか呆れたような、あるいは馬鹿にしたような口調でそう語る。
「子育てとは非線形方程式であるとどうして理解できないのでしょうか。そう、子供を育てるというのカオス理論にも似ています。そこに絶対はないのですよ」
どうやら今回の仕事の中身が見えてきたようだ。
「カオス理論を名作の中で披露した学者のセリフを借りれば『生き物は道を見つけ出す。そして悪童も道を見つけ出す。非行への道を』と。今回の仕事の中身が見えてきましたか?」
「全然」
リーパーは何を言っているんだという顔でジェーン・ドウを見ていた。
「はあ。そうですね。あなたにこんな雑談をした私が愚かでした」
そうですよ。リーパーは戦闘時にはIQ180くらいになりますが、普段はIQ60くらいですから。彼に難しい話をしてはいけません。
「大井の重役。護衛対象はその娘です。一応栄えある帝都大学文学部の学生ですが、頭の中身は男とドラッグだけです。ただ重役が言うにはその男とドラッグ関係でトラブルが起きているらしく、落ち着くまで護衛を、と」
「俺に回す仕事にしては随分と生ぬるいな。学生のトラブルレベルとは。他の傭兵に任せたらどうだ?」
確かにリーパーが引き受ける仕事にしては随分と平和的だ。
「重役があなたの噂を耳にしたそうで。『金に糸目は付けないから最高の傭兵に娘を守らせてくれ』と。これも有名税だと思ってください」
「はあ。しょうもない話だな」
「ただし、報酬は言うだけあっていいですよ。大した脅威もない護衛の仕事をやるだけで50万新円です」
「了解だ。引き受けよう。拒否権はないんだろう?」
「もちろんありません」
リーパーがからかうように笑って言い、ジェーン・ドウは極めて真面目な顔をしてそう返事をした。
「仕事は今日から開始です。向こうには既にあなた方が護衛につくことを知らせてあります。まずはクライアントと会って、どのような警備になるかを確かめておいてください」
ジェーン・ドウはそれから護衛対象の情報を私たちに渡した。
「五十嵐メイジー。帝都大学文学部社会学科2年、と」
「住所はセクター4/3か、ここから近いな」
私が情報を確認するのにリーパーがそういった。
「それでは仕事が失敗したなどという話を聞かずに済むことを祈っています。面倒なクライアントとは言え、大井の関係者ですからね」
ジェーン・ドウはそう席から立ち上がって個室を去った。
「では、早速向かいますか」
「そうだな」
リーパーは明らかに気乗りしていない様子だったが、一応仕事をやる気はあるらしく喫茶店を出ると車でメイジーさんの自宅へと向かった。
「やる気なさそうですね、リーパー」
見るからにやる気はございませんというリーパーを見て私がそういう。
「やる気が出る要素があるか? 今さら難易度が低すぎて盛り上がらない仕事だ。大学生のトラブルに殺し甲斐のある敵が出てくるとはとても思えん」
「たまには平和な仕事もいいではないですか。人を斬るばかりの仕事が全てではないですよ」
「俺にはそれが全てだ」
この仕事でリーパーのやる気を引き出すのは無理そうです。
ここは私がどうにかしなければいけないでしょう。
「そろそろだな」
「おお。あれですね。リーパーの自宅にも劣らない高級マンションじゃないですか」
セクター4/3にある超高層マンションがクライアントのメイジーさん宅だ。
大学生で独り暮らしとジェーン・ドウからの情報にはあったのですが、随分とリッチな独り暮らしをしておられるようで。
「段取りを決めておきましょう。まずクライアントがどういうトラブルを抱えているかの把握。それからそのトラブルの望ましい解決方法。そして、期日までの護衛の計画を立てる」
「適当に傍にいて危ないやつを斬り伏せればいいだろ」
「ダメです。今回の仕事はその斬り伏せた相手がどこかの特権階級の子息だったりする可能性があるんですよ。何せ、そういう特権階級を相手にした仕事ですからね」
「ますますつまらないな…………」
いつもの攻撃できる対象を全て攻撃してクリアという仕事ではない。
相手は特権階級のご令嬢であり、彼女の周りのトラブルになっている人間というのも同種の階層に所属する人間かもしれないのだから。
「最悪、私がどうにかしますので、リーパーは睨みだけきかせいてください」
「そうする」
もうこの仕事でリーパーのやる気を期待するのは無理そうです。
リーパーはSUVをマンションの前に止め、私たちはエントランスに入る。ここにも警備ボットが配備さており、近づいた私たちをセンサーがスキャンしてくる。
「五十嵐メイジーさんに用事なのですが。アポはあります」
「お待ちください」
警備ボットは暫く通信をしているのか沈黙し、それからエントランスの扉が開いた。
「お通りください」
「どうも」
警備ボットに通されて、私たちはマンションの中に入り、メイジーさんの部屋に向かう。ジェーン・ドウの情報では部屋は20階にあるそうだ。
エレベーターであっという間に遥かに高い20階に到着した。
ここからの眺めは結構なものだ。
「この部屋ですね」
「さて、どんなくだらないトラブルがあるやら」
私が部屋のブザーを鳴らすと扉が開き、高級モデルの家事ボットが出迎えた。
「お待ちしておりました、お客様。こちらへどうぞ」
家事ボットに案内され、私たちは部屋の中に。
「ああ。あなたたちがパパが頼んだ私の護衛ってやつ?」
部屋にいたのは紫と黒の髪をミディアムボブにして、バンドでもやってそうなゴス系のファッションをした若い女性。そんな女性が爪とぎで爪を手入れしながらのまま、私たちを迎えた。
ARデバイスの生体認証が確認したが、この人が間違いなくクライアントの五十嵐メイジーさんだ。
耳にはピアスばちばちで、お洒落と言えばお洒落。
「へえ。凄いイケメンが来たと思ったけど、子連れなの?」
一目見ただけでメイジーさんはリーパーが気に入ったようだ。軽口を叩きながらも、リーパーに熱い視線を送っている。
こいつの中身が殺ししか楽しみがない快楽殺人者だと知らない人は気楽なことだ。
「仕事の相棒だ。俺の子じゃないぞ」
「そうです。彼は別に私の父ではありません」
こんなのと親子であってたまるものですか。
「まあいいけど。イケメンが護衛してくれるなんてパパも気を使ってくれるじゃん」
ふうっと爪に息を拭掛けながらメイジーさんはそういう。
「それなのですが、一体どういうトラブルがあって傭兵の護衛が必要なんですか? 普通のトラブルでは傭兵を雇ったりしないでしょう?」
「それそれ! マジでヤバいの! マジでね!」
「正確にお願いします…………」
テレパシーで記憶を見てもいいのですが、口で聞いた方が正確でしょう。
「あたしの元カレがさ。あ、元カレって言っても別れたのは3日前でね。そいつが大学内でオールドドラッグの売人してたんだけど、仕入れ先のチャイニーズ・マフィアとトラブったくさいの。それで別れたんだけど」
天下の帝都大学もこの時代においては構内にドラッグの売人がいて、学生が組織犯罪と繋がっているらしい。
「でさ。そいつが関係している人間はもしかしたら報復があるかも~って言うから、あたしも用心して、パパに頼んであんたらを雇ったってわけ」
「その元カレの人はどうしたんです?」
「今シンガポールに逃げてる。ほとぼりが冷めたら帰ってくるってさ」
シンガポールはこの荒んだ2050年代において安定している数少ない国家です。国全体がある種の経済特区みたいになっているそうだ。
「じゃあ、チャイニーズ・マフィアに襲われるかもしれないんですね?」
「そーいうこと。ってなわけで、護衛よろしく~!」
割と深刻な事態だろうに、メイジーさんは酷く呑気そうだった。
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