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私の坩堝  作者: 芳田
9/20

垂れ流し9

25歳あたりの私。

筆がノっているのか、文章以上に精神状態が良いのか、謎の短編も書いている。

分かり合えぬと言い合いをしながら、ずいぶん遠くへきたものだ。喧嘩するために何度助け合ったか、数えてもキリがない。でもね、僕はその時間が本当に、心の底から憎らしく、心の底から愛おしかった。君の思想は、終ぞ、僕には理解できなかったけれど、また僕の思想を君は理解しなかったけれど。僕はそれでいいと思っている。それがいいと信じている。同じ人間が二人いたところで発展はしない。世界に同じものは二つとない。重ね合わせなどありえない。・・・・・・というと、君はまたすごい勢いで反論してくるだろうから、今日ばかりは論を譲ろう。ともかく、だ。同じものはよほどでないとないけれど、世界が同一のもので溢れかえり支配していたのなら、そこに発展はない。世界は罪を以って発展する。ここは一致していたところかな。ああ、前に進むには、蹴つまずいた石が必要であり、はたまた、違うものたちの反発、融合が不可欠である。



―――美しい朝を見た。

 大事な人を失い、大事な人の手を取り、大事な世界を取り戻した日の、突き抜ける青空。嬉しそうに目を輝かせる大切なものを見て、ようやく終わったと、安堵した。

 はずだった。しかし脅威の残滓は世界の何処かで燻っていて、私は私に変わる誰かのつなぎとして、それを消して回って。大丈夫、もうすぐ終わる、もうすぐ私よりもっとすごい人が来て、もっと華麗に世界を救ってくれると信じて駆け回っていた。



性別ゆえの、月に一度の地獄。世界全てが嫌いで、私全てを許せない。ホルモンの分泌内容で変わるような感情は、果たして感情と呼べるのか。それは人間らしさではなく獣らしさなのではないか。そんなことを思いながら悶々と過ごす休日。私らしくありたい。私らしさって何。明日を思えないことか、今日を大事にする気持ちがわからないことか、過去を顧みないことか。全部どうでもいいと言いながら、些細な障害に心を壊す弱い人間のことか。辛くなってきた。

明るい話をしよう。晴れた日が好きだ。風が冷たいとなお良い。太陽で火照った頬を撫ぜる暖まりきらない空気が心地よい。布団の中が好きだ。自分だけの空間、自分だけの温もり、自分だけの微睡み。あとはみんな嫌い。好きなものもあるけれど、うん、きっと基本的には嫌いだ。私を脅かすから。

私だけを大事にしてほしい。私だけを愛してほしい。そんなことあるわけないのに。夢の中ですら、私はそれを望めない。愛してほしいなら愛さなければ。守ってほしければ守らなければ。捧げなければ返ってこない。捧げたって返ってこない。そんな祈りならいらない、必要ない。人は一人では生きられないけれど、友人はいなくても生きていられる。社会とは他人の集合体であって、友人や家族との微温湯をささない。スマートフォンをいじって、SNSなんかやっちゃって、他人の面白い呟きを誰に当てるでもなくリツイートして、寂しさを紛らわせている。寂しいだけで人は死なない。絶望したって、やっぱり死なない。何も無くなったら死ぬのだ。何も出来なくなったら死ぬのだ。残されたのがこの命たった一つで、それ以外何もかもがどうでも良くなってしまったら、その命を投げ出して終わりにする。全部どうでもいいから、困る誰かのことなんて考えてない。私はまだそこらへんが気になるから生きている。なんの話だったっけ。私の話? 聞き飽きたでしょう。君も私も。いつだって同じ問答に行き着いて、答えがわからなくなって終わり。何もなし得なかったね。何も得られなかったね。世界に残したものを私の跡と呼ぶのなら、そんなものはどこにもない。せめては儚い電子データの垂れ流し。1~11は3台前のスマートフォンに置き去りにされてる。そんなもの。印刷すりゃあもう少し残るのかしら。残したいと、少しだけ思う。誰にも見られない、見せられないけれど、確かな私の正直な気持ち。世界で一番、私が素直でいられるところ。誇示したいわけではない、許されたいわけでもない。理解すら必要ない。そういう私がいたのだなと、ただ思ってほしい。わがままだね。



心が疲れていると、創作物とかを鑑賞するエネルギーすら無くなるけれど、最近はちょっと回復してきた気がする。



夢を!



愛するなんて傲慢なこと、私にはできなかった! 彼の愛に罪悪感しか感じていなかった!

自分も愛せないのに他人に愛されていいわけない。でも彼と引き離されることには確かな苦痛が伴った。

だから恋することにした。会えなくなった、私を愛してくれたあの彼に。慈しみはない、思いやりはない、希望しかない。ただ彼を求め、彼だけに焦がれる片恋。生きるための心の支えとして必要なのは今も愛していると言う優しさではなく、必ずもう一目会いたいと言う渇望だ。故に、恋。

愚かだと笑えばいい。だが私は必死だ。現実は毎夜この想いを打ち砕かんと迫り来るけれど、恋を愛することでなんとか耐え抜いている。

私はここからだ。もう一度彼の元に戻れたなら、今度こそ、きっと、私は私を愛せるはずだから。



何気ない日常を愛して、大事にしていこうね。そう笑うあなたを私は知らない。美しい理想はユメであり、叶わぬからこそ尊い。

ああ、違う、違う。そういう話をしたかったんじゃない。愛とか夢とかそういう壮大な話じゃなくて、身の丈にあった、等身大の話をしたい。虚栄を身にまとってばかりで、現実に心砕くばかりだからね。

楽しさと苦しさはトータルで半々になる。苦しさが深くても反動でとても幸福になることはない。トータルとは人生という規模感の話だ。だから何気ない日常という小さな幸福を噛み締めて抱きしめていきたいね。

ところで。

免許の点数が残り一点だと言う不安はただでさえ出不精の私を尚更引きこもらせる。世間は思ったより優しくない、という人生経験。私の不注意は今に始まったことではないから。心の中では後から何だってんだと息巻く私と、でも悪いのは九割お前だぞとあきれる私がやいのやいのと胸を刺す。わかった、わかった。大人しく生きよう。やがて春が来ればもうすこし落ち着ける。

出不精、と言ったか。あれは嘘だ。とある筋肉男のセリフを真似てみたけれど、実際私が出不精であるかはすこし疑問がある。半年で県内全市町村を回った女だ。それが外出を面倒くさがるとはどう言うことだ。私が考えるに、これは突発的な過行動であり、反動というか普段はもう少し落ち着いている。と、思いたい。

人との会話のテンポが悪い。うまい返しが思い浮かばない。単純に会話が続かない。これは、なぜだろうか。社会とは同族の群れではなく他人との希薄な関係を言うのだから、当然、嗜む文化圏は各人々で相異なる。そんな中で僅かな共通項を捉えて会話を進めるなんて、それこそ針穴に糸を通すような難業であるといえよう。できないこともないが、突破口はあまりに狭い。だから大概は言葉の意図がうまく通じず、互いに曖昧に濁しながら会話を切る。



君の手の匙さえあつい熱帯夜



諦めたくない。この手から何一つ取りこぼさず生き抜きたい。みんなで笑ってゴールテープを切りたい。大事なものを大事なものだって胸を張りたい。愛してる人に愛してるって伝えたい。罪も流さず身体に刻みつけたい。全部が私だから、全部が証明だから。



まあお前がいうみんなはお前の一方的な括りで、実際『みんな』はお前のことをなんとも思っちゃいないだろうね!



辛いって……。



夏陽差す山の向こうで乾く雲



エッセイ、というやつが苦手だった。なんでもない日常をなんでもないように語りながら、どこか特別な空気を纏わせる一塊の文。読むのは好きだ。世界が広がる。けれども、自分で書けるとはこれっぽっちも思わなかった。私は文章を書くけれど、それは内心の整理のための捌け口であって、誰かに伝えたい想いや日々では無かった。

日々を生きていくうちに起こる出来事のほとんどは生き恥で、残りは擦り切れていくばかりの幸せ。スパイスとしての尊大で矮小な絶望が、劇的なんだと言い聞かせている。

それはそうと、久しぶりに海を越えた。遠出というのは嫌いではないけれど、乗り物が苦手で、体が耐えきれなくなる。身軽で居たいと思いつつ、あれもこれもという優柔不断が鞄を重くした。ちょうど一年前にも行ったので、そんなに懐かしさも感慨もなかったが、隣に人がいるのは、少しホッとした。基本的に一人が好きだけれど、こんな時ぐらい誰かといたっていいだろう。道中の出来事は別段書き記したりはしない。ただ、計画というのは不完全燃焼を避けるためにあるのだと、心から思った。

家に帰ると泥のように眠った。宿の布団も嫌いではないけれど、少し傾いた壊れかけのベッドも離れがたいのだ。しかし、休みに行ったと思っていたが疲れ切っているのは、少し、面白い。



刹那に消え行く君のダンスと笑み、一つだって取りこぼしたくないのに。



君の温もりだけを求めてひた走る。それしかない、それしかわからない。私を定めるもの、私の運命。もう一度出会えた時、私はようやく君の形を得て、私を許せる。



賽の河原の石を積んでいるよう、とは、いつ崩れるともわからない不安定さ



「彼はただ、夢を見ていたかっただけなのだ。」

けれど、夢を見るだけで人は生きられず、発生している現実の責任は、浮かび上がる気持ちを留まらせる。それをも飲み込む覚悟を持って、初めて人は夢を、語ることが許される。



スタイルを取る、という人生哲学。思っていないことを思っているように、やっていないことをやっているように。誤魔化しではなく、誠心誠意の姿勢を取る。



微かな希望と幸福を肯定する勇気と傲慢さ



猫の日ショック

2222年2月22日22時22分22秒を迎えたいと願った2022年2月22日の人間たちは、その願いのあまりに実現した奇跡によってその肉体を不死のものとし、猫に奉仕し続けるという約束をもとに不老となった。人間の隷従化、いわゆる猫奴隷化である。だが、猫派ではない人間は未だ定命の者であり続けている。

また、生き物苦手板の住民は2032年5月6日に勃発したネコヒト戦争により絶滅した。苦手板住民はペンチや針金、ホウ酸団子などで応戦。しかし、猫奴隷が投入した大型ネコ科大隊による人界蹂躙、マンチカンキティによる懐柔作戦に叶わず、多くの住民は命を落としていった。一部の住民は猫奴隷として生きてゆく道を選んだ。遂に猫を迫害する者はこの地球からは消え失せたのだ。

これを境にこの世のありとあらゆる争いは消え、猫が幸せに生きるために文明が進化していく。しかし、猫奴隷たちは猫吸いですら拭えない不安を抱いていた。

――――来るべき時(ネコマゲドン)に何が起こるのか。

これに関して、学説は大まかに「歓喜説」、「終末説」、「日常説」の3つに分かれる。


猫との接し方の派閥

・猫至上主義……猫こそ至高、猫こそ神。猫のために全てを捧げる。まさしく猫奴隷。

・猫友和主義……猫と共存し、共に生きてゆく道を探る求道者。猫パートナー。

・猫愛玩主義……猫という愛らしい生き物を守護し、その生を消費する者。ネコモンペ。



この世に欲しいものが多すぎる。全部欲しい。欲しいということは私は持っていないということ。持っていないとは他の誰かが持っていること。ならば奪わなくては。この世の全てを私のものとして、私のもの同士で社会を築いて欲しい。私の指先一つで壊れる世界であれ。私の慈愛で救われる世界であれ。私はそれを眺め、消費する。命ある限り。



夢を見ていた。明けることのない夢を。



人は生きるために眠るのではなく、眠るために生きているかもしれないと、風の噂で聞いた。真理だ。心の底から思った。上質な眠りは健康な心身と確かな疲労から作り出される。寝ている間は誰もが夢を見ていて、あらゆるものが回復してゆく。

夢を見ていたかった。微睡こそ幸福。現実と夢の境目、波打ち際でフラフラとしている少女が幸福の形。

夢ならなんでもいい。飴細工のような甘ったるい夢でも、悍ましい怪物の夢でも、とにかく、いずれ覚めてしまった現実で、喪失感と安心感に包まれたい。それが何よりの生きる糧なのだ。



彼の手首を掴んで、引き留めて。結局何が言いたかったのだろう。喉元まで出掛かっているけれど、この心情をどうあがいても言語化できず、ただ口をはくはくとさせてしまった。どうして、行かないで、待って、止まって、振り向いて、教えて、伝えさせて、生きて、死なないで、ここにいて。

「さようなら」

違う! 緩まるな、私の手、どうしてそんな悲しそうな笑みを浮かべさせるの、私が言いたいことはそんなのじゃない!

それでも私の手から彼がいなくなるのは止められず、そのままいなくなった。玄関扉が閉まるのが妙に遅く感じて、駆け出せば間に合うような気がした。けれども足に力は入らず、ただ、へたれこむしかなかった。



行くなと縋り、言わずに噤む。



暴力とは短慮であり粗野でありナンセンスと言わざるを得ない。だがとても残念なことに、圧倒的な力は全てを解決する。結局暴力が一番!



今だって鉄パイプ持ってこの壁をぶち破ってくれるような人間を待ってる。



観たことある景色と無い景色、想像と妄想がごった返しでフラッシュバック。切なげに振り向く君を僕は観たことがないし、投げられた言葉のナイフはボールだったかもしれない。何もわかったもんじゃない。消えていく記憶は研ぎ澄まされていく筵。なんで君が好きだったのかもわからないんだ、笑ってよね。一人で勝手に息ができなくなっている。この世に空気は有り余っているけれど、好き勝手できるわけでもない。そういう意味では、僕たちは不自由なのだろう。設けられた柵の中で清く正しく生きていることは自由と言えるのか? 野生を野放図に生きることは人間的か? 知らないよ!



世界は実にシンプルな構造をしていて、我々は食い食われる日々に彩りを添えているに過ぎない。その彩りが混ざりすぎて汚泥のように足に縋るのだ。社会は人間を勘違いさせた。権威など存在しない。弱肉強食とは文字通りの意味ではない。



「だけど、最近は悪くないんだ」

ぶっきらぼうに、君は言う。重なるあの日の面影。



誰かのために言葉を吐いたことはなかった。全ては私のための自己表現であり、自己満足であり、自己否定であり、自傷であり、救いであった。



内省としての駄文、書き殴り、チラシの裏



光が強いほど、近く強くなる影帽子



誰に宛てるわけでもない手紙だ。あるいは過去の自分から今の自分への。輝かしくも無様な届かない日々を記録する確かな感情整理。見るたび恥ずかしくなって、読むたびあの頃には戻れないと嘆いて、考えるたび同じ結論には至らない。



信じていること。今日はいつか終わるということ。肩の荷を下ろすとは誰かに背負わせているということ。祈りとは願いだということ。



人の夢に果てはなく、人の欲に飽きはない。



幸福とは無知であることだ。足らぬを知らねば望めるはずもなく。



遠い未来を思って今を蔑ろにするほど愚かではない。後悔は先に立つのだ。



何回読み返しても私の言葉は内向きだ。誰のためでもない、私のための言葉だから。世界が狭いのだ。インプットがないので出力されるものもありはしない。膨らませる空間がない。



今まさに作り出される歴史の中に生きている。生き証人なのだ。自覚せよ、自覚せよ。君がこの世に生きる人間だというならば、全ては他人事では済まされない。



春が来れば落ち着くと宣った過去の私、こんにちは! こりもせず車を走らせる日々だよ。痛みは時間と反比例して目減りしていく。後悔はその場限りで、心はやおら立ち上がる。残念だったな! 躁鬱的感情がどうにもならん私を許してくれ。だってこんなに空が青かった。しょうがないでしょ?



あんたが、本心からそう思っているというのが厄介なんだよ。善きことを尊び、悪きことを許さない。実に健全、真っ当なことこのうえない! 現実は決してそうではないのに。それでも君は前向きだ。僕らみたいな日陰者はそれがたまらなく許せなくて、居た堪れないほど悔しくなる。わたしたちの人生では切り捨てられてしまった人の善性を突きつけられて、自分の惨めさに死にたくなる。だから君が嫌いだ。もちろん、君に何ら落ち度はないよ、気にするな。こんな救いきれん澱みなぞ君には似合わんから、さっさと僕の前から消えてくれ。



大嫌いだったこの土地を、町を、少しだけ愛せるようになったのは、きっと彼のおかげなんだ。



嘘つかないで。



愛の渇望。

失恋とは呪縛からの解放。泣き喚け。君にはそれが必要なのだ。

何もかもを捨て去って過ごした幾夜を忘れないで。それが君の辿り着く最期の救いになるはずだから。



ハンモックに体を預け、キシキシという少し危機感を覚える音を無視しながら揺れている。この微睡が今実現しえる最高の環境だ。他人の温もりはいらない。愛を囁く隣人はいらない。心揺さぶる激情はいらない。怠惰を。日々に平凡を。今日も世界は勝手に回る。なんとまあ、ありがたいことだろうか。我々の誰もがいなくても補える存在であり、故に社会的動物。



それでも、それでも、時たま恐ろしい夜は来て、絶望は臓腑に冷たさを与える。そう言う時だけはお前を抱きしめていたい。(都合のいい人だと君はげんなりするけれど、捨て置かないでいてくれる)



「未来! わからない未来のために全部踏み潰すとでも言うのか? 愛した人がいたはずだ、変わらない今があった。なにを望む、なにを急ぐ!」

「貴方のそれは停滞であって人間の生き方ではない。我々はより良いものを望む、より素晴らしい国家を望む。愚かなのは我々ではなく、現状を理解しない、成長を恐れる貴方なのだ」

彼は強く舌打ちをした。誰も見たことがないほどの激情と、同じほどの遣る瀬無さがあった。彼は既に知っている。未来に、我らの望む『より良い国家』など存在しないことを。今行うすべての行動に費やされる時間、物資、命、それらはすべて只管に無駄なのだと。けれど、彼はそれを話すことはできない。変化を恐れるゆえに。蝶の羽ばたきの恐ろしさを知るゆえに。自分の愚かさと臆病さに勝てないからこそ人間足り得ないことに彼自身が一番気づいているのだ。



救ってくれ。私全部を受け止めて、許してくれ。生きていていいと言ってくれ。私は私が許せない。私だけでは生きられない。嘘でもいいから私を認めて。私を愛して。



後悔とそぞろ歩く。お前を手放せやしないのだ。いずれ終わる命、後悔することが目に見えた生き方をするお前を、俺だけは肯定していよう。救わず、共に落ちよう。



助けてくれって言ってこの手をとってくれる人間はこの世にいないんだ。自分を救うのは自分だけ。結局全ては気持ちの持ちようとどうしようない現実。諦めて!



我が愛、非業につき。




「アンタ、本当に俺のことが好きなんだな」

「ずっとそう言ってるだろ阿呆め」



吊り上がる口の端を隠せぬほどの歓喜だった。どれだけやっても壊れない人間。臓腑を貫きうる剣。初めて感じる類の悦び。そうか、わたしは今、闘争を、愉しんでいる。相手に傷をつけるのが楽しい、相手に腕を斬り飛ばされるのが楽しい。楽しい、楽しい、楽しい! 今まで考えていた倫理なんてすぐに蒸発して、生死の狭間の本能だけで剣を振るう。こんなところで知らない自分に出会うとは思わなんだ。一息に切り捨ててしまえば良いのだけれど、とどめの一撃を渋る自分がいる。あぁ、あわよくば、その無数の剣でこの身を刺し穿たれたい。そんなことを願いながら、剣を交わし続ける。


一撃ごとに彼のギアが上がっていくのを感じる。なんだかんだ付き合いは長い方だと思っていたけれど、これは確実に見たことがない姿だ。自分を人でなしと卑下した彼はいない。化け物であると自嘲した彼もいない。闘争の獣、あるいは死を熱望するモノ。全力を出し切り、果てたいナニカ。それに応えるために、こちらも全力を尽くす。常人ならば即死に値する攻撃を紙一重に交わしてはこちらも必殺の一撃を入れる。入った端から身体組成が行われることに、少し心が折れそうにはなるが。しかし、俺がすべきは彼を殺すことではなく、彼をここで止めることだ。頂上で運命が決するまで、心の底から楽しそうな彼と、死の輪舞曲を踊り続ける。心にそう誓いながらも、自分の口角も上がっていることに、俺はまだ気づいていない。



この街では不死さえありふれている。命の価値が瑣末だ。だからこそ、呼吸がしやすい。わたしは平凡だ。わたしは凡庸だ。わたしは無力だ。その事実に安心する。だからこそ足掻こうと思える。生きたい、という忘れていた人並みの渇望を大事に抱きしめて、今日も街へ繰り出す。

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