悪女たるもの、令嬢は殺してしまいましょう
「リア姉さま、助けてあげましょうか?」
茶会はしんと静まりかえり、あまったるい声だけが庭園のバラの香りと溶けあっていく。
淡いブルーの瞳をした可愛い弟は、どうやらずぶ濡れの姉ーーリア•ローランに手を差し伸べているらしかった。
しかし、その手にはのらない。
いや、のれないと言うべきか。
「ありがとう、ジェレミー」
かわいい弟(のフリをした邪悪)に微笑んでから、私に赤ワインをかけた令嬢にツカツカと歩み寄る。
「あらら、わざとじゃないのよ」
クスクスと笑っていた彼女の横には、テーブルと美しい緑色のワインボトルがあった。
しっかりとボトルを握りしめて、黄色のリボンをつけた小さなおつむに振り下ろす。
「っきゃあッッッ!」
つんざくような悲鳴が聞こえて、ドレスは見事に赤く染まった。もちろんワインだけじゃなくて、本物の血もあれには混じっているだろう。
「それじゃあジェレミー 、頼めるかしら?」
周囲の視線が嘲笑から恐怖へと変わっていくのを感じながら、私はにっこりと笑う。
「可哀想な姉を助けると思ってーーこの無礼な女を殺してちょうだい」
一月前とはまるで別人だわ、とどこかの貴族が小さく息を漏らした。
気狂いにも程がある、とまた他の貴族が呟いた。
もちろん正しい指摘だ。
私は弟に殺されないために、悪女として人生をやり直しているのだから。
(弟に殺された悪役令嬢は、次こそ本物の悪女を目指して楽しく過ごします)
「リア、またお前は面倒ごとを起こしたのか!?」
「起こしたらなにか問題でも?」
「き、貴様!私を馬鹿にしているのか!?」
父ーーオリット•ローランのこめかみに青筋が浮かぶのをぼんやり眺めながら、「そうかもしれません」と答えてみる。
「だってお父さまは婿養子で、ローラン家の血を本当に継ぐものではないでしょう?私とは立場が違うわ」
ガタッと大きな音がしたかと思えば、太い腕が目の前にあった。かと思えば背中に強い衝撃がきて、突き飛ばされたことを知る。
バタバタと本が落ちていく音と一緒に、父は唾を飛ばしながら叫んだ。
「生意気を言うな、この穢れた血が!」
「ご用件はそれで終わりですか」
それなら失礼します、と後ろを向けばまだ父は何か言っているらしかった。まぁいいかと無視をして、書斎のドアから廊下へと出る。
廊下の窓ガラスからきらきらと日光が差し込んでいて、夏の訪れを感じさせる。わずらわしいことばかりの邸宅だが、こういうところは意外と好きだ。
「姉さま」
金色の髪が揺れて、あぁこの子も太陽によく似た色をしているなと思った。一度目の人生では、そんな子が自分の弟になることをひどく喜んだものだ。
ーーそれが全て裏切られるとも知らずに。
「どうしたの、ジェレミー 」
「お父さまにお姉さまが怒られるんじゃないかって、心配になってしまって」
十五歳にしては高い身長は、二つ上である私をも簡単に超えている。きっとこれからもっと、色んな意味でこの子は力をつけていくのだろう。
そして私を、簡単に殺すのだ。
「それで迎えに来てくれたのね」
「はい!」
満面の笑みを見せる血の繋がらない弟に、私はもう一つ質問した。
「ところで、私がさっきお願いした”処理”はどうなった?」
「滞りなく、終わりましたよ」
令嬢は不幸な事故にあったのです、と表情を変えずに言うその子は、やはり普通の子どもとは思えない。だから私はそれすら上回る芝居がかった声で、楽しげに笑った。
「それはとっても、愉快なことね!」
青いサファイアに似た瞳がちかりと光る。
まるで探偵が犯人を見定めるように、瞳孔はずっと開いている。
私は気づかないフリをする。
気づかないフリをしたまま、ただただ気狂いの令嬢として、極悪の花道を走り抜けて、その最後にはーー
悪女として貯めたお金で逃げ延びて、一人で気楽に生活できる場所を見つけるのだ。