交渉人
ユウトは北の監視塔に着くと、監視塔に多足虫を繋いだ。
腹が減ったのか、多足虫が周囲にある草や虫、動物のフンなどを掻き込むように口に入れていく様を見て、ただでさえ嫌いな多足虫がより嫌いになった。
北の監視塔からは山を降って行った先がルコール地方だ。
ユウトは監視塔から突き出た棒が落とす影を見て、そろそろ約束の二つが経過するころだと考えた。
「遅くなりました」
サクラの声に振り返ると、多足虫に乗った女性が見えた。
城で着せた服とも、出会った時に着ていた亜麻色の服でもない。
紺色のパンツと上着で、その上からチェインメイルとスネ当てがついている。
ユウトは動けるが、戦える格好ではない。
サクラも監視塔に多足虫を繋ぎ、降りてきた。
「戦いになるのか?」
「わかりません、大丈夫とは思いますが、相手はゴブリンなので……」
サクラはユウトのことを察した。
「まさか、ユウト様。防具持ってきていないのでしょうか?」
「防具を持ち出すと、怪しまれるからな」
「……では、途中で防具を手に入れましょう」
どこかの街を想像したのか、サクラはこれから向かう北の方角を見てそう言った。
「ああ、すまない」
二人は多足虫に乗って、ルコール地方へと向かっていた。
北に近づくに従って、大きな通りを使っての移動を避けるようにし、裏道を選んで進んだ。
途中の街で二人は、身分を隠し別々の宿屋に泊まった。
朝、街で防具を手に入れ、ユウトもチェインメイルを身につけた。
さらに北へと向かう二人。
多足虫で移動しながら、サクラは訊ねた。
「ユウト様の剣の腕はどれくらいですか?」
腰につけている剣を、隠すかのように手で押さえる。
ユウトはサクラから視線を逸らした。
「王子に剣の腕を期待しないでくれ」
「王子ならいくらでも腕の立つ人に教えを請えるのでは?」
「……」
本人の力量や努力にもよるだろう、ユウトはそう答えようとしてやめた。
ルコール地方に入ると、二人は獣道を使い始めた。
全ての道が監視されているとは思えないが、裏道だろうとゴブリンと接触する可能性があるからだった。
森から林、林から山、直線的に通した道とは違い、どうしても周り道になってしまう。
時に速度を下げ、慎重に進んだ。
二人が小さな沼の近くにある小屋に着いた時は、完全に日が落ちていた。
多足虫の綱を適当な木に縛りつけると、荷物を持って小屋に向かった。
ランタンの光に映る小屋は木製で、ゴブリンではなく人が作ったものとわかる形をしていた。
二人は扉を開けると中に入った。
ユウトが持ってきた油を差し、部屋の灯りを点そうとすると、サクラが言った。
「待って」
サクラは奥の部屋を指さした。
扉は開いていて、奥は暗かった。
その奥にゴブリンがいるなら、今の言葉は聞かれているはずだ。
「ニングット!?」
サクラの呼びかけに、奥から声が返ってくる。
「すまない、待ちくたびれて寝てしまっていたよ……」
初めて聞くゴブリンの声。ユウトには、その妙な発声、聞いたことのない音の響き方、不思議な訛り、何から何まで気味が悪く感じた。
「ほら、こっちに来てくれ」
ユウトが奥の部屋に進もうとすると、サクラが引き留め首を横に振る。
と、同時にサクラはランタンの火を消した。
ユウトは突然の暗闇に恐怖して、声を上げてしまう。
「なっ!」
「剣を抜いて!」
そう言うとサクラの気配が消えた。
一人になったユウトは言われた通りに剣を抜いた。
この小屋の中では振りかぶったり出来ない、引いて突くしかない。
切先を正面に向け、あたりを見回す。
暗いせいか何も見えない。
次第に暗さに目が慣れてくるが、動くもの気配はない。
「後ろ!」
サクラの声が響く。
ユウトは素早く体をさばいて後ろを向く。
だが、そこには『ただ真っ黒な闇』が広がっている。
「何してるの! 突いて!」
ただの闇を!? ユウトはサクラの声に従い、渾身の力を込めて剣を突いた。
空疎な闇のはずが、手応えを感じた。
その時、視野の隅に黄色い蛍光が見えた。蛍光は何かの紋様を描いて光っている。
「血を避けて!」
剣を引き抜くと同時に、ユウトは噴き出る血を避けた。
大きな物音と共に、何かが床に倒れた。
ユウトは
サクラが灯りをつけた。
床にはゴブリンが倒れていた。
肌は暗い灰色、腕が黄色い蛍光を放っていたが、光が弱くなり、周りの肌色と同化してしまった。
「奥にも一体いました」
「えっ? サクラ、君が対処したのか?」
サクラは口元を覆っていた布を外しながら、頷いた。
「交渉人は?」
「無事です」
ユウトとサクラが奥の部屋に行くと、床にゴブリンが一体、首を切られて倒れている。
もう一体のゴブリンは、椅子に縛られていた。
サクラが縄を解く。
「君が『ニングット』だね」
「まさか王子様までいらっしゃるとは思いませんでした」
「この二人はなんだ」
ユウトがゴブリンの死体を指す。
「私と取引する人間を殺すよう命じられたのだと思います。見たと思いますが、彼らは腕に黄色い蛍光を放つ刺青が彫られています。奴らは犯罪人なのです。王府から牢屋から出してやる代わりに見つけて殺せと言われたのだと思います」
ゴブリンの刺青は、生きている間は生物発光する仕組みになっている。
皮膚下で血が流れる限り、蛍光を放つのだ。
「ここが危険ということはないのだな?」
ニングットは首を横に振る。
サクラが入ってくる。
「王子様、危険です。相手が全員で二人だったという保証はありません」
「わかった。ここを離れるとして、どこか心当たりは」
ニングットが山の方を指差す。
「さらに北になってしまいますが、一軒、ゴブリンが近づかない小屋があります。人の建てた小屋です。ここより狭いですが」
「構わん」
三人は外に出ると、サクラとユウトがサクラの多足虫にのり、ニングットにはユウトが買った多足虫を使わせることになった。
「これに二人乗りできるのか?」
そもそもこの多足虫が苦手で、気味が悪いのに、夜になるとその姿に対する嫌悪感が増していた。
「ユウト様が操縦出来ないなら、私が綱を持ちます」
ニングットが、二人の方を見て言う。
「おい、小屋まで飛ばすぞ!? 行けるのか?」
「ユウト様、掴まって」
ユウトは多足虫の操縦をサクラに任せて、サクラの腰に掴まった。
「出発」
多足が地面を同時に蹴り、走り出す。
虫とは思えない力強い加速。
急すぎて、ユウトは思わず腕に力を入れてしまう。
しばらくして加速が終わり、一定の速度になった。
「あの、そろそろ体を少し離してください」
「す、すまない」
木製のマスクの下で、ユウトは顔を赤くしていた。