第48話「八重垣家にて」
──その後、八重垣家では──
「織姫は、最低限の役目を果たしたようですね」
その言葉を口にしたのは、八重垣家の当主だった。
彼女の名前は、八重垣葛葉。
東洋魔術の名家である八重垣、七柄、六曜の御三家を支配する女性だ。
「ノーザンライトの力を借りたのは、まぁいいでしょう。織姫なくして人命救助は果たせなかったことは、市井の者たちも目の当たりにしたのですから」
「……はい」
「あなたの情報は、とても役に立ちましたよ。瑠衣」
「…………ありがとうございます。当主さま」
畳の間に平伏する少女が、応える。
割烹着の背中が、震えていた。
彼女の名前は、瑠衣。
八重垣織姫の幼なじみで、六曜司の付き人をしていた少女だった。
「『ディープ・マギウス』──口にするのも汚らわしいあのサイトに、『特異点』が関わっているという噂は聞いていました。それが誰なのかを確認する必要があったのです。六曜の暴走は、ちょうどいい機会でした」
「六曜司さまは……独立を考えていらしただけです……」
「聞いています。そのために『ディープ・マギウス』と関わったのでしょう?」
当主は口を押さえて、笑った。
「あさましいことね」
「……当主さま」
「あの程度の者が『ディープ・マギウス』に関わって、無事でいられるわけがないでしょう?」
「六曜さまは……自尊心の強い方でいらっしゃいました」
「あら? 瑠衣は六曜をかばうのかしら?」
「…………いいえ」
瑠衣は平伏したまま、首を横に振った。
「あの人は……織姫さまを超えられないことの怒りを、私に向けていました」
「器の小さいこと。まぁいいわ。六曜の願いは叶えましょう」
八重垣の当主は、ぱん、と膝を叩いた。
「八重垣家と七柄家は、今後、六曜家との関わりを断ちます。嫡子であった六曜司が不祥事を起こしたのですからね。当然の措置です。六曜は、勝手に独立すればいい」
くくく、と、喉を鳴らして笑う、当主。
「六曜家の土地、建物、資産はすべて没収。人材は八重垣家に服従する者のみを受け入れましょう。ただし六曜司と、その両親は不要です。勝手に独立すればいいのです。運が良ければ、家を建て直すこともできましょう」
「…………はい」
「感想は? 瑠衣」
「……寛大な、ご処置かと」
「そうでしょう。八重垣の当主ともなると、愚者にも気を遣わなければならないの」
当主は和服の襟元を緩めながら、
「ところで、瑠衣はこれからどうするつもりなのかしら?」
「一般人として生きていくつもりです」
「では、八重垣の関連会社に席を用意しましょう」
当主は薄笑いを浮かべて、告げる。
「そこで一般の社員として生きなさい。生活は保障します。あなたは貴重な人材なのですから」
「ありがとうございます。当主さま」
「あなたの行く先は、魔術結社『神那』です。あなたはそこで事務員として働きなさい」
「……え」
瑠衣の背中が、ぴくり、と震えた。
彼女はゆっくりと、顔を上げる。
恐怖に引きつった顔が、あらわれる。
「一般人として……生活するのでは……ないのですか」
「ええ、だから一般の事務員として織姫の補助をするのです。経理や事務は、六曜の付き人をしながら学んだでしょう? 同じことを、織姫の側ですればいいだけです」
「……当主さま」
再び平伏する瑠衣。
その背中が、ガタガタと震えていた。
「当主さまは……六曜さまが弱小異能者をたばねて、チームを作るのを黙認されていらっしゃいましたが……」
「あらあら、そんな報告を受けていたかしら?」
「私が……六曜さまが『ディープ・マギウス』と接触されたことをお伝えしても……なにもおっしゃいませんでした! 当主さまは、なにも!! 当主さまは六曜さまの暴走をわざと見逃されて──」
「あら。どうしたのかしら、よく聞こえないわ」
「…………とうしゅ、さま」
「敵を知るのは戦いの基本でしょう? 私は正しい側に立つ異能者として、邪悪なる『ディープ・マギウス』の情報が欲しかっただけ。そうしたら偶然、六曜が奴らに接触しただけよ。あの子のおかげで色々なことがわかった。だから、家を潰すだけで許してあげるのよ。なにかおかしいかしら?」
「………………六曜さまが……『ディープ・マギウス』の情報を得るように仕向けたのは……まさか──」
「瑠衣に命じます」
瑠衣の言葉を遮り、当主が立ち上がる。
震える瑠衣を見下ろしながら、彼女は、
「魔術結社『神那』の事務員として、織姫の側にいなさい。あの子のすることを定期的に、私に報告するのです。それと梨亜=蛍火=ノーザンライトの『攻略配信』の動画を見て、その内容を私に伝えるのです」
「ノーザンライトの動画を?」
「ええ」
「当主さまはノーザンライトが、織姫さまの障害になると?」
「私が危険視しているのは、ブラッド=トキシンです」
当主の答えは、短かった。
「あれが使う異能は、東洋魔術でも西洋魔術でもない。目をつけておくべきでしょう。その正体を探りなさい」
「……当主さま」
「それが役目よ。復唱しなさい。瑠衣」
穏やかな笑みを浮かべながら、当主は瑠衣に近づく。
平伏して震える彼女の顎に手を掛け、顔を上向かせる。
そうして、瑠衣の頬をなでながら、彼女は、
「おびえなくてもいいの。私はあなたを処分したりはしないから」
「……当主さま。私を……解放して、ください」
「駄目。あなたのように身の程をわかっている者は、可愛くて仕方ないんだもの」
「…………あ、あ、あ」
「織姫にこんなことをしたら、反発して、どんな変化を遂げるかわからない。もしかしたら、私を超えてしまうかもしれない。でも、あなたはそうじゃないでしょう?」
まるで、愛おしいものにそうするように、当主は瑠衣の頬をなで続ける。
「あなたは変わらない。なにもしても変わらない。籠の中にいなさい。瑠衣」
「…………当主さま」
「返事は?」
「…………はい」
「よろしい」
その反応に満足したように、当主は瑠衣から離れた。
それから、ため息をついて、
「心配しなくていいわ。八重垣はなにも変わらない。これからも東洋魔術を統べる者として、繁栄を続ける。栄光が翳ることはない」
当主は、そんなことを宣言した。
「私が生きている間は、好きなようにやらせてもらいます。私──八重垣葛葉が望むように。闇と光のあわいを漂う、神秘の家として」
『るるる』
呼ばれたと思ったのか、小さな管狐が、当主のところにやってくる。
その背中をなでながら、当主は笑う。
そうして手を振り、瑠衣に退出を命じる。
八重垣家の目的を果たすための、次なる手段について、考えをめぐらせながら。




