第36話「人質救出作戦を実行する(2)」
「『八重垣織姫の名において使い魔を召喚する。来たれ、『阿吽』!」
八重垣織姫が勾玉を掲げる。
勾玉は二対。白と黒。
彼女の声に応じて、靄のようなものが現れる。
それが八重垣織姫の魔力と入り交じり、獣の姿になっていく。
やがて俺たちの前に、白と黒の巨大な犬が姿を現した。
「白犬が『阿』、黒犬が『吽』です。この『阿吽』には、魔物の気配を探知する能力と、荷物を運ぶ能力があります」
『わぅわぅ』『わぅ』
守護犬の『阿吽』が吠えた。意外とかわいい声だ。
『阿吽』の体長は2メートル以上。口には巨大な牙が並んでる。
でも、目はつぶらで愛らしい。
呼ばれたのがうれしいのか、『阿吽』は八重垣織姫に身体をこすりつけてる。
「ボクとこの子たちを、自由にお使いください。『ポラリス』の皆さん」
「お言葉に甘えます。では、犬さんたちは魔物の警戒にあたってください」
蛍火は地図を取り出した。
「レーナが『魔界ショッピングモール』までの推奨ルートを割り出してくれました。犬さんたちは、魔物の気配を感じたら知らせてください。可能な限り、戦闘を避けて進むことにしましょう」
「承知しました」
蛍火の提案に、八重垣織姫がうなずく。
「わたくしはバックアップに回ります。皆さま……くれぐれもお気をつけて」
アルティノは心配そうな顔で、車に戻る。
『神那』の六曜は俺たちから目を逸らしている。
七柄という女性は、やっぱり、無表情のままだ。
『ポラリス』は『神那』に、魔界化コアの所有権を渡すと約束している。
『神那』は大きな利益を得ることになるはずなんだけど、それでも不満らしい。
「それでは出発しましょう。皆さん!」
蛍火の合図で、俺たちは魔界の町を進み始めたのだった。
魔界化した町は、静かだった。
ここがもう人間の住む世界じゃないことが、よくわかる。
目の前に広がっているのは、4車線の道路。
昔は人通りの多い場所だったんだろう。
今は信号機も消えて、まわりには放置された自動車が並んでる。
アスファルトはところどころ裂けて、白いもやが噴き出している。
地面も平らじゃない。
建物ごと盛り上がり、謎の丘陵地帯を作っていたりする。
丘陵地帯の向こうに見えるのは、大量の人影。
角が生えた、緑色の生物だ。
名前は『ゴブリンモドキ』。魔界で独自の生態系を作っている魔物らしい。
『わぅ』『わぅわぅ』
もちろん、奴らの存在はとっくに『阿吽』が感知してる。
俺たちは交戦を避けて、迂回路へ向かう。
「……ブラッド=トキシンさんと一緒に仕事ができて、うれしいな」
隣を進む八重垣織姫が、ふと、そんなことを言った。
「君は梨亜さんが呼びだした使い魔なんだよね?」
「イーザン (そうです)」
「君のいた場所も、こんな世界だったのかな?」
八重垣織姫の問いに、俺は首をかしげてみた。
……そういえば、どこから来た使い魔か決めてなかったな。
「そうか。別の場所から来た君に、『こんな世界』と言ってもわからないよね」
「イーザン (そう。そんな感じ)」
「この町もね、昔は人が住んでいたんだ。でも『魔術災害』が起きてから、あっという間に異形の生き物が支配する場所になっちゃった。人が長い時間をかけて町を作ってきたのに、魔物の住処になるまで1年もかからなかったんだ」
八重垣織姫の言葉に、俺はうなずき返す。
彼女は続ける。
「『人が住まなくなった家は、すぐに荒れ果ててしまう』という話があるよね? あれは無人になった家はメンテナンスしなくなるから荒れる、という意味だと言われていたけど、本当は違うんだ。人が住むことで、土地や建物に『ここは家である』という呪詛をかけているんだ。いわゆる『視線の魔術』の源流だね」
「知って、ます」
「あ、ブラッド=トキシンさんはしゃべれるんだっけ」
「最近、覚醒した」
「すごいや。ボクは、もっと君とお話がしたいんだけど……」
八重垣織姫は口ごもる。
俺たちの後ろで、六曜と七柄がこっちを見てる。
六曜は苦々しい顔だ。
七柄は相変わらずの無表情だけれど、腰の太刀に手をかけてる。
俺を警戒しているみたいだ。
「あのね。これは異端の考えだから、内緒なんだけど……」
「はい?」
「人が住むことで、土地や建物に『家である』という呪詛がかかるなら、町も同じだと思うんだ。人が住むことで、その土地には『町である』という呪詛がかかるんじゃないかな、って。だとすると『魔術災害』というのは、その呪詛を解除するものだったのかもしれないね」
「じゅそを、解除?」
「そう。自然しかなかった場所に、人間が長い時間をかけて『町』という呪詛をかけた。それを『魔術災害』が解除してしまった。そうして、自然でも町でもない場所はどこでもない場所──魔界になってしまった。そう考えるとしっくりくるんだ」
「……わかる、気が、する」
「そうなの?」
「なんとなく、だけど」
俺の『属性付与』能力も似たようなものだ。
異世界で武器をエンチャントしてるときは『お前には異世界人属性を加える。お前はこれから、異世界人の武器だ』とか言い聞かせてた。
あれが呪いというなら、そうなんだろう。
家とか町とかは、それの拡大バージョンって感じか。
「わかってくれてうれしいよ。ありがとう」
八重垣織姫は目を輝かせてる。
「お礼に、今度なにかごちそうしたいな。なにがいい?」
「ハンバーガー、とか」
「…………え?」
目を丸くする八重垣織姫。
「君、どうしてボクの好物を知ってるの……?」
「間もなく到着します。戦闘準備をしてください」
不意に、蛍火が声をあげた。
路地の向こうに、ショッピングモールの看板が見えた。
駐車場には放置された自動車が停まっている。
普通に停まっているものもあれば、横になっていたり、上下逆になったりしているものもある。
隊列の前方で『阿吽』が吠える。
その声を聞いた八重垣織姫が答える。
『駐車場に魔物はいません。このまま突入できます』と。
俺は八重垣織姫に一礼してから、蛍火の隣に移動する。
戦闘に入るなら、俺の居場所はここだ。
「……トキさん」
「イーザン (はいはい)?」
「八重垣さまと、仲良くお話をされていたようですね?」
「情報交換、です」
「それにしては楽しそうでしたけど」
「勉強になる話、だった、から」
「そうですか、よかったですね」
「……どうか、しました?」
「なんでもありません。なんでもありません。なんでもない……と、思います」
蛍火は胸に手を当てて、そんなことを言った。
それからしばらくは、無言だった。
俺たちは魔物に見つからないように、放置車両の間を通り抜ける。
敵は2頭の『阿吽』が探知してくれる。
それを信じて、俺たちはショッピングモールの入り口へ。
巨大なショッピングモールなのに、開いている入り口はひとつだけ。
他はすべて、ガレキの下になっている。
ダンジョン化した建物はだいたいそうだ。
まるで獲物を誘うように、入れる場所を限定してくる。
それでも……入れる場所がここしかないなら、踏み込むしかない。
「…………やはり、かなり侵食されていますね」
「ランクC+の魔界だからね」
蛍火の言葉に、八重垣織姫が応える。
ショッピングモールの床も壁も、青白い結晶体に覆われている。
結晶体には血管のような線があり、それが膨らんだり、縮んだりしてる。
まるで、鼓動しているかのようだ。
入り口を入ると、結晶体に囲まれた通路に出た。
道は、上下に分かれていた。
正面にはゲーブルや機械がむき出しになったエスカレーターがある。
別の場所に置かれていたのを、むりやり移動させたような感じだ。
エスカレーターは、上方向に続いている。
もうひとつは、地下に通じる坂道だ。
フロアの床に大穴があり、結晶体の斜面が続いている。
その先は青白い光があるだけ。まったくの異空間のようだ。
「──レーナ。『カメラ妖精』の準備をしてください」
蛍火が、耳につけた魔術具に語りかける。
蛍火の頭上で、『カメラ妖精』が動き出す。
アルティノが操作しているものだ。的確に動いて、全員が入る位置へと移動する。
「こっちも『撮影幽鬼』を放つね」
続いて、八重垣織姫が小さな紙を取り出す。
紙には『撮影使役』と書かれている。東洋魔術における『カメラ妖精』に該当するものらしい。
八重垣織姫は呪文を唱え、紙を投げ上げようとする。
その手を──側に控えていた男性、六曜がつかんだ。
「『撮影幽鬼』は、私が使わせていただきます」
「六曜!?」
「当主さまの命令は『魔界化コアを最優先で入手せよ』です。私はそれに従います」
そう言って六曜は、『撮影幽鬼』の呪符を奪い取ったのだった。




