第34話「八重垣織姫、出動する」
──八重垣織姫視点──
「すぐに人々の救助に向かいます。車を出してください。七柄!」
着替えの用意をしながら、八重垣織姫は言った。
ここは、八重垣家の本家だ。
『配信者ギルド』から人命救助の要請を受けて、織姫はすぐに決断を下した。
八重垣家は町の鎮守を司る家だ。
魔界に捕らわれた人々を救うのは当然のことだ。
今日は『攻略配信』の予定を入れていなかったのも幸いだった。
授業についていけるか心配で、今日一日を予習に当てたのが功を奏した。
そんなことを思いながら、織姫は素早く身支度を調える。
着ているものをすべて脱ぎ捨てて、襦袢と巫女服に身にまとう。
腰には守り刀。
首つけた勾玉は、使い魔を呼び出すためのものだ。
織姫の使い魔は普段、勾玉の中に控えている。彼女の霊力と祝詞があれば、いつでも呼び出せるようになっている。
魔物を切り裂く守り刀と、使い魔たちが、織姫の武器だ。
「織姫さま。準備はよろしいですか」
「もちろんです」
織姫は答えながら、廊下に出た。
そこに控えていた女性、七柄が一礼する。
人命救助に向かうのは、八重垣織姫と七柄紬の2名だ。
魔界『ショッピングモール』はランクC+の魔界だ。入れる者は限られている。
最大戦力で、速やかに救助に向かうべきだった。
「車と、配信用の式神『撮影幽鬼』の用意は整っております」
「ありがとう。七柄」
「それと……ご当主さまからお話があるそうです」
「お義母さまから?」
当主とは、現在の八重垣家を治める女性のことを指す。
彼女は織姫の才能を見いだし、八重垣の姓を与えた人物でもある。
術者としては一線を退いているが、影響力は大きい。
「緊急事態です。お義母さまには、移動しながら電話でお話をすると──」
「当主さまは、必ずお部屋に来るようにおっしゃっています」
声がした。
織姫が横を見ると、割烹着姿の少女が立っていた。
小柄な少女だった。長い前髪を垂らして、表情を隠している。
「瑠衣? どうして君が本家に?」
「ご当主さまの命令です。織姫さまを必ず、お部屋までご案内するようにと」
瑠衣と呼ばれた少女は、廊下に膝をついた。
そのまま平伏して、頭を床に叩きつける。
「どうか、この瑠衣に、お役目を果たさせてくださいませ。後生です」
「わかったから! 土下座なんかしないでよ!!」
織姫は慌てて少女を抱き起こした。
「瑠衣がそんなのすることないんだ。ボクがお義母さまのところに行くだけなんだから。顔を上げて、瑠衣」
「できません。瑠衣は、八重垣の方々に生かされているのですから」
「そんなこと言わないでよ。瑠衣はボクの幼なじみじゃないか」
「いいえ。織姫さまは八重垣家の次期当主。瑠衣は、霊力の弱いできそこないです」
「瑠衣は六曜の付き人として、立派に役目を果たしてるでしょ!」
「その六曜さまを『攻略配信』から外されたのは、織姫さまですよね?」
「……瑠衣」
少女を見つめながら、織姫は、
「もしかして……六曜のことでお義母さまに責められたの?」
「当主さまのお言葉を、許可なく他者に漏らすことはできません」
「相手がボクでも?」
「瑠衣の上司は六曜さまで、主君は当主さまです」
瑠衣と呼ばれた少女は、深々と頭を下げた。
「繰り返します。織姫さま、当主さまが部屋でお待ちです」
「……わかったよ」
織姫はため息をついた。
言うことをきかなければ、罰せられるのは瑠衣だ。
だから義母は、彼女を使いとしてよこしたのだろう。
織姫は瑠衣の幼なじみだ。
選ばれた十五人の孤児のひとりで、織姫と共に厳しい修行を積んできた。
その能力が認められ、六曜の付き人という役目を与えられている。
気性の激しい六曜を織姫が側に置いているのも、瑠衣のことがあるからだ。
(それでも……六曜が一般人に『威圧』を使ったのは、許せることじゃないんだけどね)
だから織姫は、六曜を『攻略配信』から外した。
おそらく瑠衣は、そのことで当主に呼ばれたのだろう。
そのついでに、織姫を呼んでくるように命じられたのだ。
「わかった。お義母さまのところに行きます」
織姫はため息をついて、歩き出す。
八重垣の屋敷の最奥、八重垣家の現当主の待つ部屋へと。
「この母に一言もなく出かけようとは、なんとも礼儀知らずですね。織姫」
叩きつけるような声だった。
広間の上座に、和服姿の女性が立っていた。
彼女はきつい目で織姫を見つめている。
彼女の名は、八重垣葛葉。
肩に乗っているのは使い魔の管狐だ。
年齢は40代前半。だが、見た目は20代後半にしか見えない。
彼女は足音をさせずに織姫に近づき、軽く手を振る。
その手に打たれたように、織姫は床に膝をつく。
「母を軽んじるとは、恩知らずにもほどがあります」
「申し訳ありません。義母上」
頭を垂れたまま、織姫は答える。
「ですが、今は緊急事態なのです。一般人の皆さんが、魔界のショッピングモールに転移させられたんだよ? すぐに助けに行かないといけないの。だから──」
「言葉が乱れております」
「────うぅ」
指摘されて、織姫は口ごもる。
そんな織姫を見下ろしながら、当主は、
「非常時であることは私も存じています。だから私はあなたを呼び出したのです」
「そうなの……いえ、そうなのですか?」
「人質の救出には、六曜を連れて行きなさい」
当主は言った。
「人質救出には西洋魔術たちも参加するそうですね。異国から来た者たちに、伝統ある八重垣家が負けるわけにはいきません。彼女たちに視聴者数で敗れては恥となります。それを防ぐためにも、六曜を連れていくべきでしょう」
「ど、どうして六曜を……?」
「六曜は女性視聴者に人気があります。彼がいれば、動画的にも映えるでしょう。連れていかない理由はありませんよ」
「六曜は一般人に『威圧』を使った罪により、『攻略配信』への参加を禁止されています!」
当主の言葉をさえぎり、織姫は声を上げた。
「その件については、ボクが八重垣、七柄、六曜の御三家から許可を取っています。お義母さまも賛成されましたよね!?」
「確かに、あのときは賛成しました」
当主は口元をおさえて、笑う。
「その禁止令を今、私が解きます。七柄家と六曜家にはあとで通達を出します。これで問題ないでしょう」
「お義母さま!」
「一般人に術を使ったくらい、なんだというのですか? 町を守っているのは私たちです。私たちがいなければ、町は魔界に飲み込まれていたのですよ」
「魔界を生み出したのは、織姫たちと同じ異能者です!」
織姫は反論する。
「それに……今は非常時なんだよ!? 動画映えとか女性視聴者とかを気にしてる場合じゃないでしょう!? それに『一般人に術を使ったくらい』って言うけど、これから助けに行くのはその一般人なんだよ!? 一般人を見下す六曜を連れていけるわけがないじゃない!!」
「これは決定事項です」
「……お義母さま」
「織姫」
「……はい」
「あなたには、当主の言葉に反論した罪により、あとで罰を与えます」
有無を言わせない口調だった。
当主は織姫に視線を合わせて、
「話は終わりです。人質の救出に向かいなさい。八重垣の誇りを忘れぬように。異国の技を操る魔術師に負けないように。わかりましたか?」
「…………」
「返事が聞こえませんよ。織姫」
「…………はい。お義母さま」
「よろしい」
当主はうなずいて、織姫に背を向けた。
彼女の足音が聞こえなくなったのを確認して、織姫は顔を上げた。
すると──
「それでは参りましょうか。織姫さま」
──柱の向こうにいた六曜と、目が合った。
彼は、薄笑いを浮かべたように見えた。
(……そうだね。六曜だって、おかしなことはしないよ。彼だって緊急時だとわかってるはずなんだから)
自分にそう言い聞かせて、織姫は立ち上がる。
義母に逆らったことは、後悔していない。
言わなければいけないことを言っただけだ。
罰を受けるのも覚悟の上だ。そんなのたいしたことじゃない。
罰は何度も受けてきた。もう慣れた。苦しいのも、さみしいのも。
(でも……それが終わったら、また、あの店のハンバーガーが食べたいな……)
そんなことを思いながら、織姫は歩き出す。
そうして彼女は車に乗り、魔界を目指して出発したのだった。




