89:暗闇を徘徊する異形
お隣ダンジョンの第4階層には氷の精霊っぽい幽霊がいた。
接近されて憑りつかれると面倒そうだが対精霊戦術がやっぱり効果的なのでそれを援用すれば特に詰まる事もない。
あの後も宮殿守衛先生とスパーリングする傍ら極夜宮殿を探索する中で何体かの凍え幽霊が襲い掛かってきた。
どうやら凍え幽霊は光源や念のため腹腔内で焚いている金色ドラゴンの鱗の熱源を察知して襲い掛かってくるようだ。
そうとなれば話は早く、凍え幽霊が接近時に上げる呻き声が聞こえたら金鱗への魔力供給を抑え、その分を曙光の華剣に振り分けて光量を上げれば何処からともなく湧いてくる凍え幽霊は曙光の華剣に纏わりつこうとする。
そこを作り出した同調コアで対精霊戦術に持ち込めばさしたる苦労も無しに処理できた。
電灯に集る羽虫かなと思ったが微妙に不遇感あるこの飾り剣に悪い気がしたので黙っておいた。
存分に守衛先生と打ち込み、何だかんだ探索も進んで明けた翌日。
床までも透明な氷でできた暗闇に浮かぶ空中回廊を抜けるとまた廊下が一段と広くなった。
装飾された雪はまだしも床や壁の構造材となっている氷は多少暴れても傷ついた様子はなかったのでダンジョンお得意の謎の進入制限でも掛かっているものと思われるが、それにしたって透明床の空中回廊を歩くのは少々気が引けた。
切り立った断崖の底が見えない中を壁や床に所々雪で装飾が施されて判別が付くからとはいえ透明な床の上を歩かなきゃならんからな。
お隣ダンジョンも中々に底意地の悪い……いや、第3階層の落とし穴も含めてそれは元からか。
冗談はさておき、離宮から本宮っぽい? 装飾も多少豪華になった広い回廊を進んでいくと、守衛先生の重い金属質な足音とは別の重く響く柔らかい……土嚢を落とした時のような音が混じって聞こえて来た。
どうやらスパーリングに新入りが加わるらしい。
隠密に接近する事は光源やら金属装甲の身体やらの都合不可能だがあらゆる事態を想定して警戒しつつ接近する事は出来る。
さて、どんな面構えなのか新入りを拝みに行くとするか。
スパーリングの新入り、極夜宮殿の新モンスターの顔は……なかった。
透明な分厚い氷壁の向こう、小部屋を挟んだ向こう側の大回廊でのっぽの影がぬるりと揺れ動く。
外観はのっぺりとした黒い木偶人形。
顔どころか頭部というものはなく、首の痕跡なのか両肩の合間に多少の出っ張りが確認できる程度だ。
光を殆ど反射しない真っ黒な色合いのそれは人形というより影そのものだ。
3メートル程度の程よく見上げる高さの首無し背高の影のような巨人型が真っ暗な宮殿の中を徘徊する。
軽くホラーである。
下手に人間を崩した異形感が強い分凍え幽霊より余程メンタルダメージでかいわ。
これもし壁挟んだ反対側じゃなくてそのまま直接回廊の向こう側で接敵してたら怖気が大変なことになっていただろうな。
まずはじっくりと観察が出来る状態で接近が出来て助かった。
両手が地面スレスレまで届いていたり身体つきこそ異形なものの骨格は概ね人間と似ているようだ。
対してパッと見で目が見当たらない事と透明な壁を挟んだ回廊の反対側にいる俺に気付いた様子が窺えない事を考えると、もしかすると視覚情報は得ていないのかもしれない。
かと言って聴覚情報もそれ程アテにしているとは思えない。
ここまで近付くに当たって俺は多少注意したとはいえ、どうしたって重い金属音は鳴らしてきた。
仮称影巨人の重い足音が今も聞こえる以上、相手側にも俺のメタルゴーレムの金属音は響いているだろう。
それでも特に気付いた様子が無いので聴覚情報にはそれ程比重を置いていないものと思われる。
視覚も聴覚もアテにせず、かと言って壁にぶつかる訳もなくぬるりぬるりと揺れ動く様子はハッキリ言って不気味だ。
油断しない方がいいだろうな。
相手の実態が読み切れない以上安全マージンを多めに取って戦った方がいいだろう。
俺はもう一度ぬるりと揺れ動く影巨人を注視しながら向こうとこちらの回廊を連絡する小部屋の扉を開け、中へ滑り込んだ。
* * *
ソレは無影の感覚の中で回廊に変化が現れたのを察知した。
扉だ。
長い回廊に接していた扉がくわりと変化し、中から鮮烈に輝く魔力の塊がまろび出てくる。
アレはコレらとは違う。
ならばコレはアレを全力を以て壊さなければならぬ。
魔力の塊はすらりと輝く殺意の籠った魔力を千々に噴き出してコレの下へと駆けてくる。
……近い、速い。
ならばコレは一塊を賭してアレに当たらねばならぬ。
ソレはそう判断し、模倣していた形を崩して鮮烈に輝く魔力の塊へと纏わりつき、隙間という隙間から内部へと侵入した。
* * *
ちょっとシャレにならない件。
ただでさえ見かけホラーの癖して近寄った瞬間ぐにゃりと崩れてアメーバ捕食とか警戒してても総毛立ったわ。
胸腔の通信石とヤドリギはコア質で保護している。
換装するたびに取り外さなきゃならんから面倒だとは思っていたが、横着せずに保護していて良かったと心の底から思う。
フィジカルに寄ってそうなナリしてその実、人を見るなりアメーバに変形しやがった仮称影巨人改めクソアメーバは後ろへ回り込んだ俺に捕食するように覆いかぶさり、外部装甲の隙間や腹腔の開閉口の隙間から内部へと侵入してくる。
その流体自体が物理的な力も持っているようだ。
紺鉄鋼の外部装甲の隙間に入り込んだ黒アメーバが内側の骨格を絞めつけ、折り砕こうとする。
圧力は中々凄まじい。
ただ幸いにもこちらとて総金属製だ。
人間の骨なら一溜まりもないだろうが、幸い白輝銅製の骨や碧白銀アマルガム製の骨格筋に十分な魔力を通していれば何とかなる範疇だった。
が、剥がれん。
さっきから緑色斥力魔力を展開しているが、みっちりと隙間に挟まっていて上手く排除出来ない。
これは排除ではなく洗浄というか、そうだな。
俺は腹腔内に置いていた金鱗に混成魔力を流す。
とろ火から強火へ、強火から灼身へと火力を高める。
熱源としてのとろ火でも金鱗に一切近付くことが出来ていなかった黒アメーバは金鱗の斥力焔に焙られて見る間にも燻ぶりぐずぐずに溶けて行った。
斥力焔をメタルゴーレムの全身表面に隈なく巡らせて絡み付いていた黒アメーバを焼き尽くし、ついでに残っていた黒い塊も斥力焔を操って囲んで弄る。
うぞうぞと悶えるように蠢いていた黒い塊も見る見るうちに焙られて体積を減らし、バレーボールサイズにまで減った辺りで光の泡を吐いて消えて行った。
全身に纏わりついた敵や攻撃を焼却できるから思った以上に便利だな金鱗。
単純に緑色斥力魔力を放射するだけでは限界がある場合もある。さっきのようにな。
斥力焔は炎で敵の構成を崩壊させながら排斥できるから敵が頑丈な時などは有効に機能するようだな。
光の泡になって消えて行ったクソアメーバの跡にはバレーボールサイズの黒い塊が落ちていた。
名称:不凍の粘土
魔力濃度:26
魔力特徴:不凍
どうやらこれは凍らない粘土らしい。焙るとすぐ溶けるけどな。
あのクソアメーバはあんなナリをしてその実体は自宅ダンジョンの第2階層をうろついているボグハンドの近縁種だったようだ。
ボグハンドは力こそ強いし掴まれたら厄介だろうが移動速度は大したことが無かった。
対して黒巨人は足が生えてそれなりの速度で揺れ動いていたから厄介度が跳ね上がるな。
あれは遠間からさっさと遠距離で仕留めるのが一番簡単だろう。
わざわざこちらから近付いた先ほどの初見は今からすれば明らかな判断ミスだったが、結果として損害なく勝てたのだからセーフ。
やはり探索ではメタルゴーレムは欠かせんな。
今回の件でもそうだが生身の探索じゃ命が幾つあっても足らん。
しばしばポカする俺には必須の装備だろう。
そのメタルゴーレムを十全に活かすためにもスパーリングを続けねばならん。
ドロップを転送ボックスに送ってそのままマジックボックスの中へ放り込んだら探索再開だ。
拙作をお読みいただきありがとうございます。




