61:精神回復薬
帰宅すると親展の封筒が届いていた。封筒自体はしょっちゅう届くが親展は珍しいな。
いや、当然か。中身は先週頭に送った探索者登録申請関係の通知書類だった。
付録されていた仮登録IDとパスワードを使って専用ページにログインする。
探索者講習の場所は最寄りの中心街に出来たダンジョンの管理施設でいいとして、そうなると期日は最短で来週水曜だが時間が終業後急いでもギリギリだな。
こちらとしてもそう急ぐ話ではないので余裕を見て土曜の午前中に設定する。
あとは……俺が何らかのトラブルに巻き込まれて週末浦島にならない事を祈るだけかな……。
蓮華の甘露を使った精神回復薬の作成は手こずっていた。
いや、初期段階は秒で完成した。
名称:蓮華の甘露(撹拌済み)
魔力濃度:31
魔力特徴:心を癒す
ただ魔力を込めて充填するまで撹拌するだけだ。
発酵させる必要も結局なかったのでフラッシュボックスを使う必要もない。多分全て魔力操作でやれば撹拌する必要もないだろう。
問題は濃縮方法だった。
可能であれば濃縮によって損傷特異的に薬効が作用するように調整して回復薬としての性能を高めたいが、どう扱った方がいいのか少し悩む。
一昨日作った蓮華の露酒とそれを蒸留した後の残液は、更に分析してみた所、トロみ部分が命を癒す薬効、水層部分が心を癒す薬効に分かれた。
分かれたならば濃縮は出来るのだろうが、如何せんフラッシュボックスで飛ばして出来た薄い上澄みを注射器で吸い続けて更に飛ばしてを繰り返し、結局合計50年間以上飛ばした先でようやっと綺麗に分かれた薬効なので実用には向かないし、濃縮も出来ない。
なので他の手法を用いる必要があるのだが、少し工夫する必要があるようだ。
強化アシを束ねて隙間をマジッククレイでみっちりと充填し、液の受け筒を取り付けた巨大な紙巻きたばこの吸い口にも見えるカラムフィルターはトロみごと透過したので意味がなかった。
昨日はそれを踏まえて温度変化など幾つかの条件変化を試してみたが、効果が無かったりあるいは分離できたものの薬効を失っていたりと芳しくない結果に終わった。
単純な物性変化で分離できないのならば何か別の材料を混ぜて取り出すのだろうが、さてどうしたものか。
水層をどうにかして取り出すよりはトロみ層を変性させてろ過出来るようにする方が多分楽に濃縮出来るだろう。
トロみ成分の変性だが……熱変性は薬効ごと失ったから却下として、そうなると化学変性だろうか。
手持ちの素材で変成作用が見込める物は……、灰かなぁ。
最近需要が急騰して払底しがちだからあまり使いたくはないがとこしえの花びらならやってくれそうな予感がする。何かと便利な素材だし。
花びら灰のアルカリ変性に対して酸性と考えるとワインをビネガーに変えるのもいいだろうが作った事がないし一手間かかる。
それに結局のところ使ってもまずは実験作だ。
実験用の少量であれば誤差の範囲内だろうという事で一握りだけ使うことにした。
チリチリと白い煙を出してとこしえの花びらが綺麗な白い灰へと変わる。
花びら灰が上手いこと作用してトロみ成分を沈殿させてくれればいいが、どうなるか。
一応花びら自体にも魔力を込めて念じた。心を癒す薬効が花びらに期待出来るのかどうかは知らんが。
出来た灰を掬って、透明なトロみの付いた液、蓮華の甘露に撒く。
白い灰は液に触れるとすぐに溶けて見えなくなった。
少し不安になったので変化を促すために撹拌してやると何故か少しずつ透明な液が黄色味を帯びていくのが分かる。
暫く撹拌しても一向に黄色の呈色反応が収まらず、どんどんと濃くなっていく一方だったのでフラッシュボックスを使うことにした。
「……うおう」
「美味しくなさそう」
せやね。
フラッシュボックスから取り出したそれは透明だった蓮華の甘露とは激変して赤褐色の濁り液になっていた。
ただまあ濁り液と言う事は沈殿があるという事だ。
それならばフィルターの出番だろう。
改めて作成した巨大な紙巻きたばこの吸い口にも見えるカラムフィルターに液体を受ける受け筒を付ける。
受け筒の中に液体を流し込んだ後、上面を橙色魔力に白色魔力を流して作った固定空気で覆い、押し込んで加圧ろ過を行う。
加圧してもなおゆっくりとしか浸透しなかった赤褐色の濁り液は、それでも徐々に滴下口から滴り落ちて来て、幸いなことに精製液は無色透明に戻っていた。
名称:仮称精神回復薬
魔力濃度:44
魔力特徴:心の損傷を癒す
最後の一滴まで精製しきったそれは、アウレーネのお眼鏡にも適ったようだ。
実際俺も飲んでみたが、覚悟していたアルカリ性の苦味は感じられず、むしろ甘味が増しているような印象を覚えた。都合がいいのは助かるが何でだろうな。
と、それと同時になにやらホッとするような、戻ってきたというような、そんな肩の力が抜ける不思議な気持ちに陥る。
これがアウレーネの言っていた心を癒すと言う事だろうか。
確かに研究に行き詰っていたり、気分をリセットしたいと思ったときに飲むと気持ち良さそうだ。アルコールじゃないからダンジョン中でも安心、いざという時でも気軽に服用することが出来そうだしな。
だが需要があるかと聞かれればまあ、多くはないだろう。
それに少量とは言えとこしえの花びらを消費するので多過ぎても困る。
ある程度在庫を確保して、必要に応じて少量生産程度でいいだろうな。
ダブつく蓮華の甘露はまた何か使い道を考えればいいだろう。
一区切り付けられたし、この研究開発はここまでで終わりだな。
ちなみに納品してみたら返礼に星白金が貰えた。やったぜ。
もし白金が足りなくなったら精神回復薬納品して星白金の返礼で調達ーなんてこと出来たりせんかな。足りなくなったら試してみようか。
* * *
俺はある意味運が良かった。
初撃の不意打ちが展開していた赤肉メロンのデコイに飛んだからだ。
ただ、諸手を挙げて運が良かったと言えないのは……。
「来てる……よ…?」
「せやなー」
ここが丁度どの陸地からも遠い泥海の只中だったというのがね。
―――ティン、ティン。
軽い金属音のような音が再び後方から聞こえてくる。
それと同時に氷製ヨットの後方、泥炭の海を掻き分けるようにして三角のヒレが顔を覗かせた。
海と言えばコイツ。鮫だった。
中央への足がかりになる小島を過ぎて、幾つか大きめの島々が鎮座する第6階層の中央区域に入って少しすると、軽い金属音のような音が聞こえて来ていた。
初めは何の音か分からず、警戒していたものの特に何の異変も起こらずに一つ島を探索し終わって次の島に向かう途中に不意打ちを受けた。
泥炭の飛沫を跳ね上げて天を衝く大顎と鋭い乱杭歯。
魔力で作っただけの斥力球である赤肉メロンが耐えられるはずもなくその顎の間に消えていって、大顎の持ち主、目の無い金属鼻の巨大鮫は再び泥を撒き散らして泥面の下に消えていった。
俺がヨットを作ったからと言って何もここまで用意しなくてもいいんだけどな。
エアブロワーへの魔力を切らさないように気を付けながら近付いてくるヒレに向かって氷杭を放つと、少し怯んだ後に完全潜行した。
今度は頻繁に金属音がしているので諦めた訳ではなさそうだ。
相手の速度もそこまで速い訳ではないのですぐには追いつかれないだろうが、何か対策を考えた方がいいだろう。
相手の知覚系統はまあ分かり易い。
目が無いので水棲ワームと同じ音によるエコーロケーションの類いだろう。
攻撃系統はここまでの不意打ちと追撃からして捕食の近接手段のみだろうか。少なくとも逃げる相手に追跡する以上の攻撃手段は持ち合わせていないようだ。
ふむ。ならばこれかな。
俺はマジックボックスから久しぶりに物を取り出して同調ボックスに放り込む。
右手が塞がっているので難儀していたらユキヒメが取り出してくれた。
「……なに…これ?」
「イガグリ爆弾だ」
久しぶりに使うな、これ。いや、一応水棲ワームの時も使いはしたか?
あの時は相手のサイズ比もあってまともな結果も出なかったが、今回のサイズ比ではどうだろう。
一応上手く押し込めば人を丸呑み出来そうなサイズではあるので、ゴブリンたちよりは効き辛いかもしれない。
まあその時はその時か。
俺は酩酊霧噴式イガグリ爆弾を赤肉メロンで包んで後方に投げる。
泥の海で跳ねたそれを念動で動かして、付いてきてはいるものの遅れがちに見えるように少しずつ後方へと移動させていくと―――。
泥面が爆ぜて、潜行していた盲目鮫が再び奇襲攻撃を仕掛けて来た。
爆弾を仕込んだ赤肉メロンに。
以前はアシ紐も時限信管に仕立てていたが、魔力制御が上達した今は黄色同調魔力のビーコンと僅かな橙色空間魔力さえあればここから見えなくても任意に起爆できる。
程よい所で起爆の思念を送り込むと、盲目鮫を吞み込んで静かになっていた泥の海が突如荒れ始める。
背ビレや尾ヒレをばたつかせ、泥面で身を叩くように跳ね飛んだ所で盲目鮫に氷杭を突き刺して移動を阻害する。
ユキヒメも加わって、大きな水球から伸びた水の茨が盲目鮫に絡みついてその身を拘束した。
酩酊霧もそれなりに効いていたのか、徐々に動きが弱々しくなって、突き刺さった氷杭が10本目を超える頃に盲目鮫は光の泡を吐き出し始めた。
ドロップアイテムは泥捌の尾鰭とな。要はフカヒレか、スープでも作れってか?
まあそれはさておき、今必要なのは
―――ティン、ティン。
ここから離脱する事だな。
拙作をお読みいただきありがとうございます。




