19:都へ至れ松枝の下へ
―――。
――――――……。
「ねぇ。さきにすすまないの?」
「流石に8階も降りていくのは遠いからな」
確かに少し前にそんな話をした。
最初期と比べて退却も出来るようになったりと利便性は向上したが、それでもダンジョンの、とりわけ第3階層に至っては階層丸ごと階段続きの長丁場になっているため、そもそもそこまで行くのが面倒くさい。
重装ゴブの初討伐から2週間経過して工房へ向かいがてら呪醸樹も何回か狩っているし、この前はようやくクソ猿もリポップしてたので氷塊を投げ付けまくってぶち転がした。射撃耐性はあっても周りの枝が凍り付いて手がかじかめば滑り落ちる。当然だね。
ブドウが何房か氷漬けになったのにアウレーネが憤慨してたが氷漬けにしたブドウを醸造するって手法もあったかなと法螺を吹けば機嫌が直った。そういうとこ助かる。
まあ、結局遠いんだ。あの階段迷路。
その先の第4階層に向かったとして攻略するためには行きも帰りもあの場所を通って行かなくてはいけない。
今時流行りのショートカットシステムも実装しないロックな作りはリアルだからなのかもしれないが、わざわざ面倒な事をするくらいなら工房までの道で軽く運動しつつ引きこもって魔導具作りをしていたい。
次の層まで行く手間が惜しい。
そう思ったのは確かだが……。
「いつものじゃないね」
「アレだなぁ。ヤベえ奴来ちゃったなぁ」
第1階層ボスエリア。通常だと呪醸樹がいるそこには。
どこかで見た覚えのある大きく立派な桜が花びらを散らしていた。アレ多分ダンジョンちゃん大好きあのゲームのシナリオボスだよなぁ。
……出不精で攻略怠けてたら向こうから来たよ……。
幸いだったのはキャリーカートは持ってきていたことか。
ちょうど調味料ビンなどの小さいバラバラする小物を数買ったところだったので搬入用に持ってきていたのだ。
嵩張るからとマジッククレイハンドは置いてきてしまったが、代わりに幾つか入れっぱなしになっていた装備は入っている。
まだ詰んだわけではない。むしろやりようはあると思ってる。
「うし、じゃあ」
「いく?」
「いや帰る」
「んぅ……?」
いやだってやりようはあるといっても準備は必要だからな? それも相応の。
* * *
以前の呪醸樹初討伐とは違い、準備はじっくりと出来た。
色々な都合3日も工房に入れず、ブランデーを調達できなかったアウレーネの圧がヤバい事になっているが、悪いのは目の前に鎮座している場違い桜の所為だ。存分にしばき倒してくれ。だからこのままスーパーで酒を買えたことは思い出さないでくれると嬉しい。
ともあれ工房が使えないと色々と不味い事も多いのは確かなのでさっさと開放したい。
俺は対策と準備が整っていることを確認して、木道の段差を下り。
舞い散る桜の支配する領域へと踏み込んだ。
さくらさくら。せつな散る世のひとひらに
焦がれこぼれてしたたる想いは
うずみ沈みてはらからに
さくらさくら。いざもろともに
ほころばん―――。
始まりは呪醸樹とは打って変わって静かだった。
ともすれば敵対など何かの間違いではないかと思うような華麗さで、巨大な桜はふわりと花びらを舞い上げて―――。
「レーネ。青」
「まかせてー」
張り巡らせた青色に光るヤドリギの盾の周りを覆い尽くした花びらは――、一瞬で血みどろの手跡に変容して青い分枝の先に掴みかかった。
呪醸神桜チスイザクラ。こいつが厄介なのは今みたいな全フィールド回避不能攻撃が多様だからだ。
血みどろの手跡は青色魔力に白い魔力を抜き取られると、鬱血したようなどす黒い色に変わって縮れて消えていく。
「凍らせる」
「いいよー」
夜桜のライトアップのようにチスイザクラが下照り始めたのを見て取って俺はすぐ近くの地面に氷塊を撃ち込んで氷結円を作り出し、そこへ駆け込む。
駆け込んだ直後、人魂と天を仰ぐ手のひらとを合わせたような形の半透明のもやが氷結円以外、土色の地面のそこかしこから一斉に立ち上がって白昼下の夜桜の元へ吸い込まれて行った。
「っぱ道作らんとどうしようもないな」
「それはげんたのしごとでしょー?」
「幻拓な」
まあ俺の名前なんてどうでもいいが。
今度は雨天桜のような黒い雨と一緒に血みどろの手跡をバラバラと落とし始めたチスイザクラを一瞥して、青ヤドリギの傘を差し、氷の道を作って反時計回りに回り込んだ。
実に多彩な全フィールド攻撃を景気よく撃ちまくってくれるチスイザクラに辟易してきた頃。
ようやっとチスイザクラを氷の道が一回りした。
目的は呪醸樹の時と同じ注連縄の展開だ。
今回は撤退可能だったので、アシ束をガッツリ回収した後、ノートパソコンで作り方を調べてアウレーネと一緒にちまちま作った。
ゲームだったら盾役の精霊に持たせて幹に隣接させ、使うコマンドを選ぶだけだったが、リアルだとキチンと幹に沿うように回して結い合わせなければいけないだろう。シナリオボスだ。呪醸樹とは格が違う。
近接射程外ギリギリで一周氷の道を作ったが、それより内側、根が地上に盛り上がった領域に踏み込めばチスイザクラ第二段階が待っている。なるべく起動する前に片を付けたい。
俺はそのための対策要員を巻きついていたバックラーから解いて氷の道に降ろした。
コブラ型ゴーレムだ。今回は単独行動を見込んで、平べったい鎌首の上に増設していた装備に少し手を加えた。
コブラはしっぽに結わえつけた太い注連縄を物ともせず、鎌首の上の6連砲塔から細氷の霧を噴き出しながら移動を開始する。
魔力を流せば魔法が使える魔導具。この手段でまず考えた手札がゴーレムに魔法を使わせることだ。
木の杖の実験の後、銀のインゴットを1つ潰して成形し、魔導路を作った後、青魔力氷を追加で5つ作成して呪醸樹の太枝を外装として被覆した6連砲塔を作った。
今回更に幸運だったのは事前に喰投猿の埋蔵金の検証が済んでいたことだろう。埋蔵金の特徴、魔力と意志を沢山貯められるというのは検証の結果、魔導的な充電池として機能する事が分かった。
今コブラ型ゴーレムが景気よく噴き出して、襲ってくる桜の花びらを凍てつかせている細氷の霧には、実は俺は殆ど魔力を使っていない。バッテリーカートリッジとして砲塔に更に増設した金の中に3日間かけて細氷の霧を噴き出すように魔力を込めていて、そこに溜まった魔力を砲塔側へと導出するように念じているだけだ。
だからこそ、俺は胸中の増設弁を開け、緑色の魔力を纏って駆け出した。
半周程氷の道を回った後、一気に折れて根の内側へと注連縄を引っ張りながら走り込む。
第二段階への移行の予兆か、初めてチスイザクラが叫ぶかのように地鳴りが起こったが、無視して回り込んだ根の先、氷の霧を噴き出しながら近づいてくるコブラ型ゴーレムに近寄る。
根の間から蒼褪めた手が、手が、手が。次々と生えてくる手に足を引っかけないよう注意してしっぽの注連縄を解いて両端を繋ぎ、結び合わせた。
「オオオオオオォ―――!?」
ぶるりと、チスイザクラが震えた。
蒼褪めた手、朽ちた躰、焦がれた相貌が、一斉にこちらを見る。
第二段階が始まった。
starker様々だな。
俺は緑色の魔力纏いで、呪物しっぽフレイルを振り下ろした隙に近付いてきた望郷ゾンビを肘撃ちで弾いてからフレイルを横薙ぎに払う。
どいつもこいつも呆けた遠くを見蕩れるような目をしていながら嫌らしいタイミングで連携しおってからに。
背後から迫って来た望郷ゾンビをアウレーネが青白の実体化ヤドリギで妨害してくれた事に感謝を送って、俺はそろそろかと幹の向こうに目線を向ける。
望郷ゾンビは無限湧きだ。相手をしなければならないが相手をしていてもチスイザクラは倒せない。ついでに注連縄を使っていなければこれにさっきの全体攻撃連打もセットで付いてくる。
ゲームでは盾役がボコボコに殴られながら遠距離職が桜に放火しまくっていたが、今回は俺がサンドバッグ、コブラが放氷役で分担した。
チスイザクラの黒い幹肌が白昼の光を照り返す雪化粧を施して、盛り上がる根の間という間から溢れ出て来ていた望郷ゾンビが……、次第に一か所を除いて静かになっていった。
「あそこだ。レーネ!」
「あいあいさー!」
俺の合図でアウレーネから青色の曳光榴弾が放たれ、今しがた出てこようとした蒼褪めた手の根元に着弾する。
爆発的な勢いで芽吹いた青いヤドリギは周囲の魔力を吸い取って―――。
突如地面が崩壊した。
第三段階は崩壊した根と根の間に開いた、巨大な洞だった。
洞の中には鮮血、鬱血、腐った血、黒黴た血、様々な血が混然一体となって溜まっていた。
不意に血の池が揺れる。
始まりは鮮血色の稚児の手だった。
次々に黒黴た色の白魚の細手、鬱血色の皺枯れた手、腐った色の無骨な筋手、ありとあらゆる血色の手が洞の外、眼前の俺たちに向かって誘うように伸びてくる。
先に耐えかねたのはアウレーネだった。
青いヤドリギが目の前に繁茂し、誘い伸ばされる手を防ぐ。
掴んだ手から何かを抜き取って緑黄色に実体化すると、弾けて消え去る。掴んだ手はどこにも見えなかった。
「くぅ―――ッ!?」
「どうした。レーネ」
「なにか、入ってきた」
……どういうことだ?
ゲームではこの後血の手地獄をひたすら叩いていくだけだったのだが。
青色魔力が何か作用したのだろうか。
俺も青色の氷塊を盾状に成形して伸びて来た黒黴た色の手に押し付ける。
魔力を抜き取られた血の手が崩壊する最中、黒紫色、宵闇のような色合いのもやが制御している魔力を伝って俺の胸中に入ってくる。
その色合いは最後に残された一欠片だった。
失った、失った、失った。もう何もない中で残ったたった一つの……サクラ。
ここなら、ここしか、ここだけは……。
―――でっていう?
……うーん、失ったから何だって言うんだろう?
正直適当に、刹那的に今楽しければいいやって感覚で活きている俺にはあんまり共感できない。
失ったらまた別の面白い事探せばいいじゃん。何で一つにこだわるのさ。
まあ、ゲームから設定丸ごとパクって来たようなダンジョンボスに説教してもしょうがない。
大事なのはゲームと違って小器用にメンタルデバフを付与してくるって事だけか。……いや、ゲームでも攻撃力やら防御力やらをデバフしてきていた。設定と合わせるとゲームのデバフはメンタルデバフを意味していたのか。今更ながら思い至った。
「うぅ……」
「辛いならあと俺がやるから下がってていいよ」
「それもそれでヤダ」
おぉ、あのヘタレーネがこんなに勇ましい事を。
こいつも何だかんだ冒険してきてるんだよなあ。
こういうふとした時に見せる成長具合に少ししんみりとする。
何だかイマイチ締まらない気分になりながらも俺とアウレーネは協力して迫りくる血の手のお悩み相談的な……いやむしろお悩み相談流しの術か。まあそう言ったメンタルデバフのスルースキルを発揮したり鍛えたりしながら血の池は次第に縮小していき。
「うん、これだな」
「おふだ?」
「なんて書いてあるのかは知らんけどな」
最後に残ったのは達筆で書かれた一枚の木片だった。
「吸収のヤドリギで何か読み取れんかな」
「やってみる」
小さなヤドリギが木片を覆って。
「ひとひらにー?」
「どうしたレーナ」
「なんか、そらに?」
「空?」
見上げると光の泡、いや光の花びらになって昇っていくチスイザクラが辺り一面を覆い尽くしていた。
「訳分からんな」
「それでいい気がしてきた」
「工房いこっか」
「ぶらんでー!」
酒が飲める事実に先ほどの事が全部吹っ飛んだアウレーネに苦笑して、俺は―――。
何か1単語1単語ごと改行しまくってクッソ縦長に伸びた変貌を遂げた転移象形タワーを前に固まった。
拙作をお読みいただきありがとうございます。