107:赤色の呈色光
招待のスキルオーブとやらを使ってメタルゴーレムを送り込んだ先は、何とまあよくも飽きないものだと感心するばかりの本の森だった。
林立する本棚が一見して無秩序に壁を形作り迷宮を形成している。
中身は……適当に手に取ったそれは当然ながら洋書で分からんな。表題的にはファンタジー小説っぽい。
これ全部実際に中身があるとしたら大学図書館なんて目じゃないレベルの蔵書量じゃなかろうか。
招待のスキルで入り込んだ場所は、本の森の中に開かれた様相の異なる広間、中央の机をガラス張りの棚が囲んだ空間だった。
ガラス張りの棚にはコアや金属、素材やらスキルオーブやらのミニチュアが並べられている。博物資料室といった所か。
『来たわね。アイスウィザード』
その名で俺を呼ぶのは止めろ。その名は俺に刺さる。地味に。
いったい何のためにコスプレしたのかコスプレ女は再度衣裳部屋で着替え直すと車を出してアパートの一室に向かい、その部屋に隠されていたダンジョンの入り口に入って行った。今は再びコスプレしているが。
ここまでで特に不審な点は見られなかったし、こちらの準備も整ったので意を決して送り込んでみたが現時点では騙して悪いがといった状況にはしないらしい。
『ふふっ。私の禁書庫へようこそ、アイスウィザード。歓迎するわ』
「……ご託はいいからさっさと要件を済ませろ」
『つれないわね』
コスプレ帽子の上の烏がヤレヤレといった様子で緋色が差した両翼を器用に震わせる。喧嘩なら買うぞ、お?
『私の忠告、ダンジョンで魔法の使用を控えるべき。
……正確に言えば危険な魔法の使用を控えるべきというのはね。
ダンジョンが使用された魔法の需要を読み取って報酬として模倣してしまうからなの。
もう察しが付いているだろうから言うけど、私もダンジョン内では人への鑑定は避けているわ』
「だが例外もある」
そうでなければ今頃不可視の構造風のスキルオーブやら盗撮に最適の念動ドローンやらが世界中に出回って大変なことになっているだろう。
『例外はないわ。……条件があるだけ』
「回りくどい」
勿体ぶったコスプレ女にそう告げれば下の口でぶつぶつと何やら良く分からん英語を早口で一頻り呟いた後、烏の口で溜息を吐いて博物資料室の書棚から一冊の仰々しい本を抜き出してきた。地味にウザいなコイツ。
本は有り体に言えば図鑑と言った所だろうか。
ただし内容はコアやら金属……これは色合い的に碧白銀だろうな。要するにこれはダンジョンドロップ図鑑の類いだろう。
『ダンジョンはその内部で使われた魔法を読み取って報酬として模倣する。
それ自体に例外はないけれど、報酬の設定条件はまた別なの。
有用であればある程、強力であればある程。ダンジョンはそれを読み取って出し渋るわ』
指を差した先にはパーセントの数字が。恐らく倒したモンスターごとのドロップ率だろうか。
うん……。うん?
だとしたらなんでこの図鑑にはドロップ率なんて物が記載されているんだ?
誰が調べたのか、そもそも調べられるものなのか。
いや、思えばそもそもここは。
『気付いたようね。ここは私の禁書庫。あらゆるダンジョンの知識が私の下に集まって来るわ』
コスプレ女が相変わらずの勿体ぶったドヤ顔で格好をつけてくる。何と言うか……うん。どっぷりと罹患していると無敵なんだなって。
それはともかく俺の工房と似たように、コスプレ女の禁書庫は情報に特化しているのだろう。
「ただし、お前の力量以下の物に限る」
『…………』
大方こんな所だろう。
それなら俺のメタルゴーレムについて知らなかったのも説明が付く。
恐らくコイツは俺の魔力濃度、つまりレベル以下なのだろう。
俺の工房も色々作り出せるが素材と俺の力量に左右されるしな。
「言いたい事は分かった。魔法を安売りするな、魔力を薄めるなって事だろう。心配しなくてもしない。必要ないからな」
力量、有り体に言えば魔力濃度はむしろ高められるだけ高めたいからな。精々ダンジョンが高値を付けてくれるよう全力を出すさ。
『それだけじゃないけどね。もう一つ、有用かどうかを決めるのは使用者の使用状況の他にこの私、クリムゾンウィザードも決めているの』
……ほーん。
つまりここでは用途の情報も入力する事が出来ると。
「だから頻用して一般に垂れ流れるリスクが高じる前にここに俺の魔法の情報を入力しに来いと?」
『……察しが良くて助かるわね』
成程な。確かにある意味では有効なんだろう。
例えば構造風は使おうと思えば幾らでも悪用できるが俺自身はそこまで使いこもうとは思わない。増してや暗殺などはダンジョンではそこまでだが現実の方での需要は強いだろう。
その価値観の違いから報酬設定に齟齬が生じ、大穴で危険なスキルが出回ってしまう可能性も無いとは言えない。
だが。
「まあ。お前の禁書庫とやらに登録されるような低魔力魔法があるなら勝手に入力していいぞ」
コスプレ女の話じゃ今までも俺が作り出した魔導具何かの情報を勝手に弄っていたようだし、これまで通り弄れるものは勝手に弄ればいい。というかこちらがわざわざ関与できる領域にない。
だが、コスプレ女が弄る事が出来ない元々高魔力濃度が要求されるような魔法はわざわざコイツの禁書庫に入力しなくとも報酬としての価値は高く設定されているだろう。
なにより流石にコイツに手の内を明かしてやる意義を感じない。
『見込み違いだったようね。それだけでは足りないからわざわざこうして招待したのでしょう? ウィザードの名が聞いて呆れるわ』
ちょくちょくウィザード強調してくるの止めろ。
「お前の鍛え方が足りないんだろ。もっとダンジョン攻略に精を出すべきだな」
『貴方の尻拭いを私にさせるのかしら。そんな危険な代物を野放図にばら撒かれたら大迷惑ね』
コスプレ女が机の上から羽ペンを取り上げて頬杖をつきながらくるくるとタクトのように振るう。どうやらメタルゴーレムがダンジョンを介してばら撒かれるとでも思っているらしい。
面倒だ。
相手の主張が真実ならば協力した方がいいのだろうが、如何せん真実かどうか判断するには情報が足りない。……具体的に言うならばそれぞれのドロップ率か。
漏出リスクを盛んに説いているが実際の漏出リスクの数値を開示していない。
『ウィザードの名。貴方には重いのではなくて?』
「……危険性を主張する割にどれ程のリスクがあるのか具体的な数値がないからまるで説得力がないんだよな」
『私の蔵書を見せろと?』
「判断材料が無けりゃ判断しようがない。当然だな」
『何の対価も無しに見せるのはイヤね』
まあそれはそう。
当然俺もな。
で、肝心の対価な訳だが。
理想としては相手が望む物を見せた上で限界までこちら側の対価を吊り上げるのが一番だ。
具体的に欲しいのは魔力変質の会得方法。直感力と未知の力。
それには相手が望む物を引き出したいところだが。
……ふむ。いやマジで?
だが先ほどの口ぶりからするに可能性は捨てきれない。振ってみる価値はあるだろう。
コスプレ女は手持無沙汰なのか色味の薄い赤毛を指でくるくると回して暇そうにしている。
『はぁ。引き出しの小さな男ね。これで―――「ウィザード」』
「……ウィザード、ね。随分とご執心じゃないか?」
そう言葉を遮ればくるくると回っていた指がひたりと止まる。
「どうしてもというなら譲ってもいいが。対価次第だな」
『……ふうん。何を望むつもり?』
え、そんなにウィザードの価値って高いのかよ。
蔵書閲覧にまつわる対価の応酬が吹き飛んでる件。
まあこちらに都合が良ければヨシ。このまま積んで行こう。
「……そうだな。ウィザードというからには魔法を講釈垂れて当然だろう?」
『直感力の魔力変質……ねぇ』
うーむ。ガードが堅い。
未知の魔力変質、恐らく先ほどガンドとやらを作り出す時に見えていた紫色の呈色光の魔力がそれだと思うが、こちらは出し渋るようだ。
あまりがっついても拗れる……か?
正直アイスウィザードの名は返上できるならむしろ返上したい黒歴史なのでこれを手札に持って応酬を繰り広げるのはこう、背筋が捩れるようなむず痒さがある。
なるべくさっさとこの交渉事を終わらせたいが、しかし焦っても貰いが少ない何とやらになるからな。さじ加減が難しい。
『……そうね。……いいわよ。ここではスキルだけじゃない大本の特性、貴方のアイスウィザードの名前も変更する事が出来るわ。それを氷魔法、に登録し直したら教えてあげる。……このクリムゾンウィザードがね』
……ちょっと自分、背中掻いてもいいっスか?
喉元まで出掛かった言葉を呑み込んで顎でしゃくって続きを促す。
肯定を受け取ったコスプレ女改め厨二女が椅子から立ち上がって周囲を囲むガラス棚の一角へ向かう。
下部の引き出しから取り出したのはケースに包まれたコアだ。
『ここに氷魔法を封入して。そうすれば私のグリモワールから情報の変更が出来るようになるわ』
「氷の形態は?」
『魔力の質が大事なの』
何でもいいらしい。
適当に細氷の霧を生成して流し込めばコアの中でダイヤモンドダストのような輝きが瞬く。
闇鍋文字が消えた頃からルビの書き換えが出来なくなっていたがこんな面倒なシステムになっていたのか。てか多分コイツのせいか。
元凶に思い至って靄るものの、結果的に手間以上のメリットを連れて返って来るのでヨシとする。
先ほどの大仰な本を開いて羽ペンを動かしていた厨二女がパタリと本を閉じたので、俺も瞼を閉じてステータスを確認すれば、その特性欄には氷魔法の文字。アイスウィザードは消失していた。
抹消完了、だな。何故か黒歴史が一つ消えた以上の開放感を感じる。
晴れ渡るような解放感に遥か彼方にまで思いを馳せていると椅子に腰かけて足を組んだ厨二女が口元を隠すように手を組んで勿体を付ける。まあ喋るのは魔女帽子の上の烏なんだが。
『聞きなさい。このクリムゾンウィザードの教えを。直感力の本質はね……紙なのよ』
「紙」
意味不明である。煙に巻こうという魂胆……ではなさそうだな。真剣に厨二っている。余計始末に負えない。
続きを促せば今度は手のひらに赤い呈色光を作り出してひらひらと振る。
返す返すそれは確かに紙のように薄っぺらい。
『勿論ただの紙ではダメ。極限まで広く、極限まで薄く。魔力を紙の概念まで高めていった先にこそ、直感力の魔力変質はあるの』
厨二女の厨二劇場はいいとして。
魔力変質は概ね物性の模倣であると考えていた。
圧力をかけて見たり、引力を掛けてみたり、気化や拍動なんかもそうだ。
それに照らし合わせて考えれば……一つ思わんこともない。
ただその検証は帰った後でいいだろう。
今はひとまず厨二女の指示に従おう。
白色魔力を放出してそれを極限まで薄く広げていく。
流石のステータスと言った所か。
薄めても、目や脳に寄せても変化のなかった白色魔力は―――。
いっそ呆気ないほど鮮やかな赤色に呈色していた。
拙作をお読みいただきありがとうございます。