天輪柱
脇道のコメディです。
恋愛関係ないです。
読み飛ばして構いません。
「天輪柱の設置方位について、最終確認が頂きたいと天部院の者が言ってきております」
「今、行くわ」
太守夫人は船荷と人員について打ち合わせをしていた相手に、続きは後にしてもらえるかと尋ねた。
「かまわぬが、天輪柱というのは?」
「見に来る?説明するなら実物を見せながらのほうが早いわ」
オルウェイの太守屋敷の庭園は、まだ戦乱の跡も生々しく荒れ果てており、そこら中に資材や物資が仮置きされている状態で慌ただしかったが、その一角だけは綺麗に整地されていた。
「槍?」
「今はね。ゆくゆくは石柱にする予定なのだけれど」
丸く整地された中央に、人の背よりも遥かに高い槍のような棒が立てられていた。
「お嬢様!お待ちしておりました。今から脇柱を立てますのでご確認お願いします」
白地に青い縁取りのついた上衣を着たひょろりとした男が、太守夫人の方に駆け寄ってきて、馴れ馴れしく声をかけた。
いかにも学者風のこの男は、夫人に同行している武人に睨まれると、ヒッと言って後退り、夫人に笑われた。
「事前測量の天中点はそこね」
「はい」
「直角、水平を確認。その位置でいいわ。始めてちょうだい」
見れば、整地された地面に埋められた小さな金属板から槍に向かって糸が張られており、その糸の脇に、職人が三角形の板や溝に水の入った四角い箱をあてがっている。
立っている槍の両脇の夫人が確認した位置に、職工達はやや短い槍をキビキビと立て始めた。
「これは何なのだ?」
当惑気味の武人に、夫人はこれは日輪や星の動きを測るための柱なのだと説明した。
「我が家にも立てていて、これは2本目」
都の柱とここの距離を正確に測って、結果を見比べたいのだと彼女は言った。
「なぜそんなことを。そなたは神官なのか」
「私はただの一市民よ。ここでは代理で現場監督みたいなことはしているけどね」
ここに派遣されるまでは都で、元老院議員の仕事の下働きをしていたのだという。
「暦と地図の管理は施政者の重要な仕事でしょう?天部院はその重要な業務を請け負ってくれている部署なの」
「そんなふうに言ってくださるのは、お嬢様だけですよぅ」
ひょろりとした男は、柱を立てる男達に細かい指示を出しながら、うちは閑職の弱小部署だと笑った。
「本当に重要性を理解できているのは、お嬢様とお父上様ぐらいなものです」
「もし議会で予算が出なくなっても、あなた達のお給料はうちで出すから安心して働いて」
「お嬢様が10歳の時から僕はお嬢様の下で働いているつもりですからね。大望の完成には僕の一生じゃ足らないかもしれませんが、生涯お勤めさせていただきます」
「頼りにしているわ」
男の一生で足りない大望とは何なのかと疑問に思った武人に、若い夫人は、彼の夢は天体の運行の理を解き明かすことだと語った。
「それはまた……壮大な夢だな」
「日々やることは地味なのよ。毎日、柱の影の位置や、日の出、日の入りの場所を記録して、星の動きを記すの。あとは計算、計算……」
地味で、いい加減なことはできなくて、根気と才能のいる仕事だと、彼女は男を称賛した。
「自分ではとてもできないけれど、私は彼と同じ夢の先を見たいのよ。だから応援している」
「ありがとうございます」
目を細める彼女と、胸を張る男に、武人は若干の疎外感を覚えて、むっつりと押し黙った。
「ああ、そうだわ。あなたにも協力していただきたいことがあるの」
彼の心中を見透かしたというわけでもないだろうが、若い夫人はちょうど良かったと、嬉しそうに両手を合わせた。
「些細なお願いなのだけれど、聞いていただけるかしら?」
あなたならなぜそれを行うのか、必要性と重要性を理解できて適切な手立てを実行できると思うのよ、と言われて、話も聞かずに「しらん」と一蹴することは、彼にはできなかった。
「この名簿の末尾にある、天部地足員六名というのはなんだ」
西征遠征軍総司令の若き英雄は、母国からの補給人員の名簿の中の見たことのない役職に怪訝な顔をした。
「中央の天部院所属の学者で非戦闘員だそうだ。軍団長直属にして本隊の安全そうなところに置いてくれ」
「学者?なんで学者が従軍するんだ。直属にと言われてもどう扱っていいかまるでわからんぞ」
「そやつらの従軍目的は、出立前に説明されたが、俺は理解するのに2日かかった。……説明しようか?」
属国化されたとはいえ、由緒ある小国の長子として育てられ、若いながらも領主としての経験も持つ、いかにも学識の有りそうな部下にそう言われて、流民出で武功で成り上がった英雄は言葉に詰まった。
「天部院のアトラスです。天部地足員は僕が取りまとめます。仕事はこっちで勝手に進めますから指示は不要です。護衛をお願いします。他にやってもらいたいことができたら、その都度言いますので」
これをどうしろと?と言いたげな若き英雄殿の視線を、黒龍と呼ばれた将は無視した。
英雄は当惑気味に、青い縁の付いた白い上衣を着たひょろりとした学者を見た。
「お前の要求はわかった。それにしても、 "アトーラの"とは……態度も大きいが名前も大層だな」
「おい、この名は大恩ある方につけていただいた名だ。侮辱するなら、大英雄の軍団長といえども許さんぞ」
彼は動乱でダロスの学究院を焼け出され、難民になって行き倒れかけていたところを拾われたのだという。
「何?お主、その若さでダロスの学究院にいたのか?」
「天才と言われて増長していた物知らずだったが、一応は世界の知の宮と呼ばれたダロスの生まれだ」
増長して偉そうなのは変わっていないのでは?と軍人二人はゲンナリした。
「とはいえ、身元の証になるものも何もなく身一つで落ち延びた僕は、アトーラではただの難民だった。それを救ってくださったお方が、天のもとに生まれたなら同じ人だと仰って、与えてくださったのが今の名と職だ。そのお方のために、僕は全てをかけて今の仕事をしている」
スッと背を伸ばしたアトラスは、口調を丁寧なものに戻した。
「まずは従軍しながら、必要な調査を進める段取りを確立させていただくところまでは、僕が天部地足員の指揮を取ります。その後は必要な道具や人員を確保しにオルウェイに戻って、以後、最適化された部隊で西方の測量と天測を行う予定です。帰るまでには、軍団長殿にもある程度の知識は身につけていただくつもりですので、進軍途中などの平時で構いませんから、少しずつお時間をください」
「……わかった」
「あー、ちょっと待て、アトラス。エリオス殿。貴殿、日輪と月についての話は、何をどの程度聞いたことがある?」
「ううむ。俺はアトーラの神々の話は詳しくない。太陽神と月神は夫婦か兄妹かどちらかではなかったか?」
「星は?」
「俺は目がいいから、六姉妹の星が7つに見える。一番小さい一つは女神の隠し子だと教えられたが、それが嘘か本当かは知らん」
「ダメだ、アトラス!お主が天部事業の"講義"をするときは俺も呼べ!間に一人、通訳が入らんときっと話が全く通じんぞ」
「ええ?僕はダロス生まれですが、アトーラ語は堪能ですよ」
「そういう問題ではない!」
"適切な手立て"とは、こういうことに違いないと思いながら、軍人だが多少は知識人としての下地もある男は、基礎教養が両極端な二人の間でこめかみを揉んだ。
こうしてアトラスと彼の部下が青い鷹の西征に同行して作成した地図は、当時としては革新的な規模と精度を誇り、以後のアトーラの帝国支配の基盤となった。
アトラスは、後に帝国の標準歴となる暦を作り、以後それは機械的測量技術によって精度が上がるまで、世界標準歴として機能した。
天部院によって各植民都市に作られた天輪柱は、後世では、アトーラの遺跡のシンボリックなモニュメントの一つとして、人々に知られている。
■天輪柱
四角柱の先を尖らせた形状の石柱。
帝国黎明期に造られた多機能日時計。
石柱に穴が空いたものや、溝が掘られたものもあり、夏至などを示すと言う説がある。
だからどうしたという話ですみません。発作的に書きました。
補記;タイトルから「閑話」取りました。
(こういう脇道話が多くなりそうなので)