そして青い鷹は終わりのない戦場へ
東との戦は半年もかからずに終息を迎えようとしていた。
散々に戦場をかき回した黒龍公がひと月もしないうちにあっさりと帰ってしまい、南からの介入が外交交渉だけに戻ったのが大きかった。
それでも"いざとなったらまた黒龍公をけしかけるぞ"というカードは強力で、南の王国は負けた側に付いていたにも関わらず、終戦協定で有利な条件を勝ち取りそうだった。最小限の見せ兵だけで、ダラダラした消耗戦には参加しなかった分、利は大きいと言える。
「南は毒蛇の巣だな」
ボヤキながら協定の草案を書く軍団長を補佐しながら、エリオスは周辺諸国の支配者層の人物像や国際情勢における国家間の駆け引きというものについて学んだ。
当初、エリオスの仕事は軍団長の雑用係といった感じだった。
軍団長直属の遊軍と言っても、少人数部隊のため、オーソドックスな大軍のぶつかり合いの戦闘でそうそう出動する機会があるわけでもなかったからだ。
下層からの叩き上げで、読み書きや士官教育も受けているエリオスは便利な男だった。下っ端仕事も嫌がらずやるし、書面の下読みや整理もできるし、記憶力と観察力が抜群で、報告と受け答えが的確だった。
軍団長は、戦地のために連れてくることができなかった執務補佐役の代わりとしてエリオスを重宝した。
頭脳労働者よりも肉体派が多い軍で、有能な秘書官というのはそれだけでもたいそう便利だった上に、彼は個別に護衛を考えなくても本人が並の護衛以上に強く、自分の部下を率いて強行軍に耐えうる男だった。
軍団長は作戦会議や個別の話し合いにエリオスを同席させた。
その場での発言権は滅多に与えなかったが、後からその場での各参加者の反応をエリオスに報告させ、自分の感覚を補正、補強するようになった。
親書や指令書の使いに出したときは、返書以外の先方の様子も余さず報告させた上で、個人的な所感も述べさせた。
そうして見極めた戦況で、彼は定石通りでは盤石とは言えないときに、搦め手の策の布石として、エリオスの隊を効果的に動かした。
異国出身の異能異貌の者が多いために最初は奇異の目で見られていたエリオスの隊は、東方戦線が収束する頃には、軍団長の隠し刀として恐れられていた。
軍団長の後ろに立ち、異国風の青い目を鋭く光らせているエリオスを、軍の上層部の面々は"軍団長は眼の青い鷹を飼っている"と揶揄した。
「うわ、何だこの内容」
「元老院も無茶を言ってくるな。誰がこれをあの軍団長に伝えるんだよ」
「エリオス!お前が持っていけ」
他の補佐役に押し付けられたのは本国からの講和条件の細則に関する指示だった。
賠償金の支払い方法や捕虜の交換条件の細々とした条項と一緒に、婚姻外交の提案がなされていた。
「うちの娘を黒龍公に嫁に出せだとぉ〜っ!本国のバカどもは何を考えているんだ!!」
怒髪天を衝いた軍団長の罵声が天幕を震わせた。
「たしかに黒龍公は看過できない脅威で、婚姻で我が国と縁を絆ぐことができれば、南との外交が楽になることは間違いないが、なんでよりによってうちの娘を嫁がせねばならんのだ。あの子は非凡な天才なんだぞ。今後の我が国の文化的な繁栄と発展の礎となるべき才を他国に出してどうする!」
これは長く荒れるぞ、と察した一同は、エリオスを残してそっと天幕を出ていった。
親バカ軍団長の娘自慢の長話に耐えられる勇者はエリオスのみだったからだ。
軍団長は舌鋒鋭く荒れ狂った。
しかし、家格を考えても、年齢を考えても、常識的に考えれば、その選択が落とし所としては最適なのは、彼も認めざるを得なかった。
「だが……だが、あれを外に出すのは、国家の損失だ。皆、何もわかってはおらんのだ」
黙って嵐が収まるのを待っていたエリオスは、軍団長がドスンと座り込んで頭を抱えたところで、一言告げた。
「ならば、国内で婚姻させてしまえば良いのです」
軍団長は頭を抱えたまま、片目だけをジロリとエリオスに向けた。
「その程度、考えいでか。だが、国元にはろくな男がおらん。……これはと思っていた男は、逃げ回った挙げ句、死んでしまいよったわ」
エリオスは一度目を伏せかけたが、顔を背けはせず、軍団長の殺気立った視線を、強い眼差しで見返した。
「では私が」
「思い上がるな」
「南の脅威、払ってみせます」
「南のアレは龍だぞ。鷹ごときが敵うと思ってか」
「蛇の巣にある龍ならば、手立てはあるかと思います」
軍団長は、背筋を伸ばすとエリオスの方に向き直った。
「会ったこともない娘のためになぜそこまでする」
「このままでは私はいつまでも流民上がりの一兵です」
「婚姻で我が家系に連なる気か。それで貴様の生まれが変わるわけではないぞ」
「承知しております」
軍団長は、目の前の男の青い目をじっと睨みつけた。薄暗い天幕の中でその目は強すぎる光を放っていた。
「いいだろう。お前の野心、使ってやる」
軍団長は書きかけの草案を引き裂いた。
「東方、南方戦略を根本から組み直す」
元老院のアホどもが融和策など持ち出せんほど、徹底的にやってやる、と軍団長は日頃は絶対に表に見せない凶暴な笑みを浮かべた。
「貴様の戦績が足りん。戦場と軍勢を与えてやる。これから私の描く絵図、すべて実現してみせよ」
"不敗"の名を不動にせよ。
冷徹な軍人の顔で彼は命じた。
「さすれば、南方戦線の総指揮官に任じてやろう」
膝を折って拝命したエリオスを、軍団長は冷ややかに見下ろした。
「すべて果たせ。結婚はさせてやる。だが、我が家名と権威欲しさに婚姻を請うた男に、娘は与えん。生涯触れさせぬから、そう思え」
若く無名なエリオスに大軍の指揮権を与えた軍団長は、それまでの大敗を避けるオーソドックスな戦術から、うってかわって無謀としか言いようがない作戦を実行し始めた。
予定調和で収束し始めていた戦況を一変させる軍の総司令官の暴挙に、東と南だけではなく、本国も驚愕した。
報告に慌てふためく元老院議員を前に、軍団長の人となりをよく知る執政官は、膝を叩いて大笑したという。
エリオスは、黙々と勝ち続けた。
ありえない戦績を積み重ね、東の公王国軍をほぼ壊滅させたエリオスは、泡を食った南の王国の手配でようやく整えられた講和の場に、軍団長の代理として颯爽と現れた。
「貴殿がアトーラの青い鷹か」
苦り切った顔の東の名代とエリオスを前に、南の王国が派遣してきた仲裁人は、提出された終戦協定の条項を読み上げた。
「賠償金1万ターラだと?!法外すぎる!」
「50年の分割払いだ」
「アトーラの許可なく兵を出すことを禁ずるだなどと、これでは属国以下の扱いではないか」
「負けるとはそういうことだ」
"不敗"の伝説を築きつつある若き英雄は、当たり前の事実を述べるように冷ややかにそう告げた。
「だが、いくらなんでもこれはのめる条件ではない」
「持ち帰ったところで、そちらの敗北が変わるわけではない」
「……そうかな?」
場の空気が変わった。
見通しのいい川の中州に設えられた会談の場に、脇の天幕から抜刀した兵がわらわらと駆け出してきて、会談のために丸腰のエリオスと数名しかいない供を囲んだ。
「"不敗"といえども"不死"ではあるまい。場数の足りぬ若造が、慢心したな」
南の王国の男は、酷薄な笑みを浮かべた。
「負けるとはこういうことだ」
エリオスは黙って手を挙げた。
次の瞬間、風切り音とともに、彼の周りにいた兵数名の喉笛に矢が突き立った。
「長弓だと?!」
「どこからだ」
通常は矢などとても届かぬ対岸の茂みの中から、異様な長弓を構えた弓兵が第2射を放っていた。
また、数名が倒れる。
ハッとした南の王国の代理人の目の前で、たしかに丸腰であったはずのエリオスの部下が、どこから出したのかわからぬ奇っ怪な形の棍や両端の尖った短い金属杵で、切りかかった兵を倒していた。
「武器を?隠し持っていたのか?!」
「何を言う……」
エリオスは、襲ってきた兵を軽くいなし、その手から剣を奪って、切り払った。
「この場に剣を持ち込んだのは、そちらだ」
南方特有の片刃の曲刀を手に、踏み出したエリオスを阻める者はいなかった。
この大勝を納めた戦役の戦功により、軍団長は新しい名前を賜り、同じ名を得たエリオスは凱旋もしないまま、軍の総大将として南方戦線に送られた。
「お父さん。娘さんをください」
を書こうとしたらこうなりました。
軍団長は、親バカと言われていますが、娘の特異な才能を正しく評価して、適切な教育を与えて育てた人です。本人もマルチな知識人で、諸々に造詣の深い文化人です。(ここの親娘の会話は高尚すぎて普通の人はついていけない)
日頃は絶妙な政治的バランス感覚で無難な中庸を選択できる人ですが、このときは執政官にしてやられました。
ここでエリオスががんばらなかった場合のIFルートっぽいものが「一角獣の赤い糸」(https://ncode.syosetu.com/n5522ie/)。
エリオスは出てこないので、エリオスファンは見ない方が良い?と思います。