黒龍いまだ青き鷹を知らず
赤茶けた台地に連なる巨大な奇岩の列が、埃っぽい赤い空の彼方に沈む夕日に照らされて、歪な長い影を落としていた。
その怪物の住処めいた岩場の向こうに、騎馬の一団らしき人影がわずかに見えた。
少なくない数がいるようだが、岩の陰に隠れてよく見えない。
日が沈んで辺りが闇に沈んだところで、岩の上に腹ばいになっていた斥候は、一つ首を振って、岩陰に繋いだ馬のところに戻った。
低い姿勢で馬を駆り、戻っていく斥候を、台地の端の高台から見ていた者達がいた。
「いかがいたしますか?公領主」
「仕留めましょうか」
「よい。帰らせてやれ。斥候が戻らぬと怪しまれる」
公領主と呼ばれた男は、斥候を尾行して原隊の居所を確認するようにと部下に命じた。
「西の平原の本隊まで戻るようなら、構わぬ。途中で殺せ。間に別働隊がいるようなら、斥候はそのまま帰らせて、そこから本隊に出される伝令を断て」
「承知いたしました」
「グーの爪に覆いを着けろ。痕跡を残さぬよう岩場を選んで進むよう総員に徹底せよ」
部下は静かに一礼して下がり、数騎が斥候を追うべく発った。
彼らの主もまた、月のない夜空を一瞥した後に、音もなく闇に消えた。
今回の東の公王国との戦では、遊撃隊は本隊と別行動を取り、先行して公王国軍後方に大きく迂回していた。
開戦予定日の2日前。斥候が台地の端で正体不明の一軍を発見したのだが、視界の悪い地形のために規模や所属を確認できないまま見失った。
敵の別働隊がいるなら作戦は再考が必要だと、隊長は何度か伝令を送っていたが、本隊からの返答はなく、一番近い第三歩兵大隊から"作戦続行"の報が届いたのみだった。
両軍は予定通りに開戦し、戦局は作戦通りの展開で、味方有利で展開した。遊撃隊は奇襲による挟撃に成功し、公王国軍左翼を散々に翻弄していた。
崩れた敵軍が右翼側に退却するのを追って、味方陣営が長く伸びて隊列が崩れたところで、その軍は現れた。
独特な形の細長い旗をたなびかせて、丘の上に現れた騎兵は、皆、特徴的な兜の上から頭布を巻き、長柄の武器を持っていた。彼らが乗っているのは、馬に似た大きなトカゲのような生き物で、その全身は鱗に覆われていた。兵の鎧もこの皮と鱗を使ったものなのだろう。異形の騎兵はまるで人馬が一体の怪物のようにも見えた。
シャージャバルの竜騎兵。
それは南方にある古い王国の持つ最強部隊だった。
「黒龍公直々の参戦だと?!」
「なぜだ。今回も南は様子見ではなかったのか」
中央の一際大きな漆黒の竜馬に乗った将が、切っ先の湾曲した南方風の馬上刀を大きく振りかざし、真っ直ぐ正面に向かって振り下ろした。
「ダハーム!」
「ダハーム・ドム!!」
「ダハーム!」
異国風の叫び声を上げながら、奔流のように丘を掛け下ってくる竜騎兵に、味方歩兵隊はあっけなく崩れた。
「いかん!本陣を突く気だ。第1、第2、続け。残りはここを支えろ」
真っ直ぐ味方本陣に向かう竜騎兵の勢いを止めようと、遊撃隊長は馬首をめぐらせた。
「エリオスは残れ」
それが隊長からの最後の命令だった。
無理やり戦場を横切るようにして駆けつけた遊撃隊によって、あわやというところで竜騎兵の突撃は本陣に届かず逸らされた。
「はっ!やりおる」
黒龍公は楽しげに笑うと、突っ込んできた遊撃隊長の勢いをいなすように、互いに旋回する形で一度距離を取った。
「貴殿、名は?」
「聞いて何とする!」
「今宵、月に手向けてやろう」
「不要!」の叫びを合図にしたかのように、両者は再び全速で馳せ違った。
黒龍公の馬上刀は、反りのある片刃の大太刀で、刃先は鋭いが刃肉は厚く、易々と鎧ごと相手を断ち切った。
最初の一撃で本陣を落としそこねた竜騎兵は、意外にあっさりと引き、以後はおざなりに戦場をかき回す役に徹した。しかし、その効果は絶大で、東の公王国軍は勢いを盛り返し、その日の戦闘は公王国軍優位で終わった。
「公領主、公王国軍側が軍議をと言って参りました」
「いらん。俺は俺の好きにやると伝えよ」
天幕すらない野営地で、他の兵と同じように竜馬の傍らで糧食をかじっていた黒龍公は、「つまらん戦だ」と吐き捨てた。
「帰りますか」
「約定の分は務めを果たさねば、王に義理が立たん」
「"シャージャバルの暴れ龍"が、随分と立派なことを言うようになられましたな」
「公領主ともなれば、好き勝手に暴れてばかりもおられぬ。命じられればこんなつまらん戦にも出ねばならん。その程度はわきまえたということだ」
十分に好き勝手に暴れておられるだろうにと含み笑いをこぼしながら部下が下がると、黒龍公は自分の漆黒の竜馬を撫でた。
「つまらんな、ラクシュ。今宵は月も見えぬ」
大きな竜馬は太い首を己の主の方に傾けて、ただグゥと低く鳴いた。
第1,第2中隊が壊滅的な損害を受けた遊撃隊は再編成された。
隊員は別の隊に振り分けられたが、保有技能や性格にクセがありすぎるために、どうにも他所では持て余しそうな者は、エリオスの下につけられて、軍団長直属の独立遊軍扱いになった。
発言権はないまま、軍議には参加する立場になったエリオスは、軍団長の後ろに控えながら、なぜ隊長が死ぬことになったのかを知りたくて、その場のすべてをじっと観察し続けた。
各隊からの報告や、斥候からの情報を元に全体の戦況を俯瞰的に把握していくうちに、敵軍が取ったであろう行動や進軍経路が見えるようになってきた。
それと同時に自国軍内にある、楽観、侮り、怠慢、連携不良、味方同士の軋轢……そんなものも見えてきた。
遊撃隊長が本隊の大隊ではなく、遊撃隊の隊長になっていたのは、家柄や権勢による軍内でのパワーゲームを嫌ったためだろうというのは容易に推測できた。そして……。
「(俺の失態も遠因か)」
遊撃隊が出した本隊への伝令は敵の妨害で届いていなかった。今回のように遊撃隊が本隊から大きく離れて動く場合に伝令を中継する隊への定期連絡すら断たれていたらしい。そしてこのような場合には、本来なら中継隊から本隊へ出されるはずの報告が、どうやら今回は上がっていなかったようだった。
「遊撃隊は独立独歩の気風が強く定型の習慣から外れることが多いので、今回の"定時報告遅れ"もそのたぐいかと思った」とは中継役だった第三歩兵大隊の大隊長の言だ。
第三歩兵大隊は、開戦前にエリオスがぶちのめした奴らの所属する隊だった。
些細な揉め事の遺恨による、怠慢を問われない程度の嫌がらせや手抜き。そんなもののために敵軍に関する重要な情報が見過ごされ、隊長は死んだ。
エリオスがつまらない嘲りを取り合わなければ、あるいは、あの執政官主催の宴席でエリオスが隊長代理として、もっと他の大隊長クラスの面々と積極的に交流して顔を繋いでいたら、もっと別の展開もあったかもしれない。
今となっては、何もかも手遅れの"もしも"でしかない後悔だった。
「(ああ、すべてを見て、頭においておけとは、こういうことか)」
これは隊長が自身の命を使って教えてくれた教訓だ。
エリオスは賞罰と今後の作戦に関する指令を出す軍団長の斜め後ろから、そのすべてをじっと観察し、これまでの己のものの見方や考え方を再構築し始めた。
その青い目は、天空から地上を見極める鷹のように鋭かった。
シャージャバル公ゴドラン、この時25歳。
実はエリオスとは5歳ぐらいしか差がないです。




