オルウェイを歩く4
前話からの続きです。
「オルウェイは初めてか?宿のあては?飯は食ったか?うちで働けば飯も寝床もできるぞ」
声を掛けてきた男は、馴れ馴れしくエリオスのすぐ脇に来て、一緒に海を見る形で並んだ。
男の背はエリオス程、体格もいい。船乗りだろう。重装歩兵に多い鈍重さはなく、軽装での戦闘に慣れた筋肉の付き方だ。黒髪を肩より下まで伸ばして一括りにしているのは、アトーラの男にしては珍しい。ちょっと見ただけで明らかに厄介な相手だった。
今は取り合う気はなかったが、無視して無駄に絡まれても面倒なので、エリオスは海を眺めたままそっけなく答えた。
「船にはあまり乗ったことがない」
「なあに、乗船経験がなくても大丈夫。健康ならすぐ慣れる」
脈アリだとみたのか、男はエリオスの肩をバンバン叩いて、良い筋肉だと褒めた。
「いや、お前、かなり腕は立つ方だな。どうだ、目はいいか?良けりゃただの水夫より割の良い仕事が……」
肩に手をかけたまま、エリオスの顔を覗き込んだ男は、エリオスの眼をしげしげと見て言葉を途切れさせた。エリオスは男の方に向き直った。
「目は良い方だ。六姉妹の星は7つ見える」
「ぅぐぇ」
男は弾かれたように、エリオスの肩に置いていた手を離して、一歩後ずさった。
「ただ、申し訳ないが、ここにはようやく戻って来たところなのでな。しばらく離れる気はない。船員の募集はほかを当たってくれ」
「……バカな………………鷹?」
「北辺以来だな。海竜」
よく晴れた明るい空と、オルウェイの美しい海を背景に、青い鷹はその鋭い眼差しを和らげて、穏やかな笑みを浮かべた。
オルウェイ艦隊司令官リヴァイアスは、旧知の元戦友に向かって拳を振り下ろした。
自分より一回りゴツい武闘派男二人を前に、文官のオラクルはたっぷり嫌味を含んだため息をついた。
「いい歳をしてなんですか、あなた方は。道端で喧嘩なんてみっともない」
「喧嘩じゃない。新兵勧誘ついでの軽い挨拶だ。避けるこいつが悪い」
「挨拶で殴られてたまるか」
「これだから軍属は……そもそも、なんで艦隊司令官のあなたが、新兵勧誘なんかやっているんですか」
「いや、通りがかったら、なんか逸材がいたから、つい……」
「あなた目は確かですが、気は確かですか?こういうのは逸材とは言いません。逸脱しきってる傑物を下っ端に入れると、組織がひっくり返りますよ」
「まさかこんなのが、一人でフラフラしているとは思わんだろうが」
リヴァイアスは、彼を半目で見ているオラクルに、連れ歩くなら放置するなとボヤいた。
「市長が一緒ってことは、上は承知なのか」
「領主館には顔を出したそうです」
「……一応、妻には会った」
アストリアスの女領主を、"妻"と称したエリオスを、オルウェイ男二人はなんとも物言いたげな眼差しで眺めた。
「なんだろう。やっぱり理不尽かつ衝動的にぶん殴りたい」
「奇遇ですね。私もです。でも、やめてください」
「聞こえるようにヒソヒソ話すな」
「一発殴らせろ」
「正面から直接言ったら、承知するというものではないぞ」
立ち話もなんだからと、三人は連れ立って歩き始めた。
「事情はわかったが、工事の現場なんて見ても面白くないだろう。今日は仕事も止まっているし」
「それなんですが、何がどうしたんですか?」
「ああ。いざこざがあってな」
「工事が止まるほどのいざこざって、何です」
眉をひそめたオラクルに、リヴァイアスは肩をすくめてみせた。
「海の男と山男は相性が悪かったんだよ」
なんでも、工事で新たにやってきた人足連中と、ここの水兵や船乗りが何かと張り合って衝突したらしい。
どちらも力や技術自慢の男連中だが、致命的に自慢の価値観がすれ違って、バカにし合ったり罵り合ったり……とエスカレートしていったのだとか。
「バカバカしい」
「市長さんから見りゃぁ、そうかも知れねえが、どっちもプライドってもんがあるからなぁ」
「その言い方だと、あなたは工事関係者側の言い分も、それなりに理解しているんでしょう。なんで仲裁に入らないんですか」
「バカ言え。俺は海軍のトップだぞ。この立場の俺が間に入って、石工が納得するもんか」
抑え込めば海軍の横暴だと思われるし、下手に出ればなめられる。
難しい立場なんだよとリヴァイアスは顎を擦った。
「とはいえ、工事が進まないのは困ります。どうにか説得しないと」
「やめとけ、やめとけ」
お上品な理屈じゃなくて、どっちの腕っぷしが強いかとか、そんな基準でしか納得できない輩ばっかりだから、書き物屋の説得なんて通じないと、リヴァイアスはうんざりした調子で手をひらひら振ってみせた。
「あー、こんなところにいたぁ」
「たいしょー、てーへんだー!」
慌ただしく駆け寄ってきたオルウェイ海軍が誇る航海長アルクトゥスと艦隊副司令オクタウィウスを、リヴァイアスはどやしつけた。
「うるせぇ!みっともなく騒ぐな、こんバカタレ共!!なんの用だ」
「早く来てくだせぇ」
「喧嘩が広がっちまって手がつけられねぇ」
「喧嘩ぐれぇで俺を呼びに来んな!」
「でもよう、たいしょー。ヤバイんだってば」
「うちの若い奴らと石工の新入りが揉めて、報復と加勢合戦になっちまって、もう人数が人数で手が付けらんねぇ」
「バカ野郎!そんなときにてめぇらがガン首揃えて俺んとこにきて来てどうする!!一人は残って現場を抑えとけ!」
「さーせん!」
「そのとおりでした!すぐ戻ります」
「ああ、もういい!案内しろ」
飲み屋街の方に坂を駆け上がりながら、リヴァイアスはついてきた部外者二人に、来るなと言った。
「そういうわけにもいきません!オルウェイの平安は……私の……工事…遅延は……ダ…メ………」
「体力ないなら無理に喋んなよ、市長さん。先行くぜ」
「ちょっ……待っ……ゲホッ」
ゼイゼイと息を切らすオラクルの肩を、エリオスは軽く叩いた
「俺が行こう。あなたは後から万端整えて来るといい」
「!……承知」
エリオスは、ぐんとスピードを上げて、先を行くリヴァイアス達に追いついた。
「あんたにゃ関係ないトラブルだ。関わらなくていい」
「なに、見ておくだけだ」
「何を」
「オルウェイを」
「ちっ、勝手にしろ!」
船乗り相手の酒場や宿屋の並ぶ海馬通りを抜けた先の水神広場には、怒号と興奮した男達が溢れていた。
アルクトゥスとオクタウィウスの説明では、きっかけは肩が当たったとか、酒をこぼしたとか、その程度の些細なことだったらしい。それで殴り合いになっても、普通ならそこまでで終わりになるよくある話だったのだが、今回は喧嘩の片方が、最近、工事に加わった新参の石工のイキった若造だった。力自慢のこの石工は相手の水夫をヘナチョコ野郎と罵り、「ネモ船長は酒じゃあなくてネモかリムスのジュースでも飲んでりゃいいんだ」と言い放ったらしい。間の悪いことに、たまたまその時、周囲で飲んでいたのがオルウェイ海軍の水兵達だった。オルウェイ海軍の軍船は柑橘類の搭載が義務なので、彼らは他所の者からネモの件でからかわれることが多い。"ネモ船長"とはオルウェイの船乗りの蔑称だ。くだんの石工の放言を、水兵達は自分達への侮辱だと考えた。
一斉に形相を変えた水兵達に、力自慢の石工もさすがに多勢に無勢と思い、よせばいいのに仲間を呼んだ。呼ばれたのが、そいつの兄貴分という男で、輪をかけた筋肉バカ。一抱えもある大岩でも抱え上げる怪力の持ち主で、コイツが子分を連れてやってきて大暴れを始めたせいで、騒ぎが拡大した。
当事者同士だけでなく、投げられた酒壺が当たった者や、目の前の料理をひっくり返された者などまで参戦し、怒った店主が全員を店の外に叩き出したことで、騒ぎの舞台は路上に広がった。
そうなると野次馬が次の瞬間、参加者になる流れである。
なにせ、もともと険悪ないがみ合いや些細な派閥争いの下地があったのだ。反目がつのって工事まで止まり、昼間からやることがなくて体力を持て余していた石工達と、上陸休暇で羽目を外そうとしていた水兵を中心に、喧嘩は野火のように広まった。
「どけどけ!道を開けろ」
「ダメだ、たいしょー。こう広がっちまうと、中心もなにもあったもんじゃない」
「ええい、お前らいい加減にしろ」
リヴァイアスは手近にいた水兵を数人殴り倒したが、埒が明かない。
もう誰彼構わず殴りかかってくるような奴らばかりだから、その相手をしていると、ただ単に乱闘に巻き込まれてしまう。
どうしたものかとリヴァイアスが一瞬思案したその時、広場の奥で石工らしき誰かが西方訛りで叫んだ。
「やっぱり女領主の尻に敷かれているようなオルウェイ男は腰抜けだなぁ」
「金にがめついドブスの悪女だって言うじゃねぇか。ジュース飲みのガキンチョは乳さえついてりゃ、そんな性悪女のおっぱいでも恋しいんだな」
リヴァイアスは背筋がひやりとした。これはヤバイ。
広場中のオルウェイ海軍勢がいきり立った。
「なんだと、てめぇ!!ふざけんな」
「ママぁって、呼んでみろよ、ガキがよぉ」
「誰がガキだ!!領主様は俺達の嫁だ!」
リヴァイアスは思わず目を閉じた。
どこのバカだ。今、叫んだ野郎は。
「なんでぇ、未亡人だって話だが、お前らでよってたかってまわしてやってんのかよ」
「とんだ淫売だな」
「俺達が本物の男ってもんを教えてやってもいいんだぜ」
リヴァイアスは一歩脇に退いた。
この背後で膨れ上がっている殺気に気づかないようなバカモンは、ちょっと痛い目にあっておいたほうがいいだろう。
彼はいやいやながら、ちらりと背後を見た。
「あー、10日後には船を出したいんだ」
「一応、考慮しよう」
金髪の美丈夫は、海よりも青い目を細めて静かに微笑んだ。
「だが、妻を侮辱された当事者として、果たすべき義務がある」
エリオスの指の関節がパキリと鳴った。
「どうぞ」
"海竜"と渾名されるオルウェイ艦隊司令官リヴァイアスは、果たして何人自分の部下を救えるかな?と思いつつ、目で追えない動きで騒動の渦中に突入していった"青い鷹"のあとに続いた。
大型の盾と、先が二股に分かれた特殊な形状のポールウエポンを装備した港湾警備兵の一団を連れて、オラクルが現場にやってきたときには、騒ぎは収束していた。
「衛生部隊、重傷のものだけ応急処置。それ以外は自業自得です。放水車の水は清掃に回してよし。鎮圧が必要なほど元気なやつはいない。投網部隊は怪我人の搬送に協力」
オラクルは、倒れて呻いているか、白目をむいている男達を適当に踏みながら、広場の中央に向かった。
そこではエリオスが腕を組んで仁王立ちになっており、その前で大柄な筋肉男達が揃って平伏していた。
「お疲れ様です……なんというか、こう、多少、想像はしていましたが、凄まじいですね」
「色々とやむを得ない経緯があったのだ」
「はあ。それは後ほど伺います。それで、話はどうついたのですか」
「見ての通りだ」
オラクルはあたりの惨状を見回した。
「それも後ほど伺います」
彼はため息を一つついてから、目の前の男をじっと見た。
オラクルの真面目くさった顔の口元だけがわずかに笑みの形になった。
彼は深々と正式な礼をとった。
「おかえりなさいませ。オルウェイの守護者にして偉大なる英雄エリオス・ユステリアヌス様。オルウェイは青い鷹の帰還を心より歓迎いたします」
「げぇっ、青い鷹!?」「マジか」「勝てるわけねえよ」「すげー、俺、青い鷹と戦っちゃったよ」などとボソボソ囁きかわしている地べたの男どもの声など知らぬ様子で、エリオスは羽織っていたボロ布を脱ぎ捨てて、オラクルに返した。
明るい日差しの下で、彼の胸元の金細工の飾りピンの鷹が、キラリと光った。
ピンは愛用の品のグレードアップ版。今朝、奥様に留めてもらった。お気に入り。
殴り合いの喧嘩でも、当たり前のように、全然、負傷もかすり傷もない英雄エリオス。
不死者の軍団と比べると、一発殴れば気絶する相手は楽だよね。
手加減はしたつもりだけど、鍛えてない奴はしらん。
余談:
司令官の名前は奥様命名。
奥様的愛称「リヴァイアさん」
もちろん奥様以外は、誰も語源を知らない。
ちなみにアルクトゥスとオクタウィウスは、熊さん、八さん。




