その石積の一つ一つに人の想いがあると貴方は知っているか
オラクルは仕事が一区切りついたところで、誰かに声をかけられる前に職場を抜け出して、ふらりと街に出た。
門前の広場に向かう大路には出ずに、細い小路を選んでお気に入りの"避難所"に向かう。
白い壁の家々の間を縫うこの小路は、手のひら大の四角い石が敷かれている。同心円状の弧が交互に並べられた石は、魚の鱗のような模様を作っている。
「なぜこんな裏通りに?」と聞いたら、「広い通りで実験的で凝ったことをすると大変じゃない」と笑って言われたことを思い出す。その後、若い見習いが一人で毎日黙々と、ここの舗装をしていたのを見て納得した。少し凹凸や歪みのある不揃いな石畳が、あの職人の悪戦苦闘の跡だ。身につまされて、それでもなんとなく微笑ましく、仕事に疲れた心に力が湧く。
細い道の円弧は先に進む程、形が整っていく。それは奮闘した我々の努力と成長の証だ。
目当ての料理屋は、住宅街の端にある。小さいがちゃんと自前の石窯のある店だ。この季節は店の外にまでテーブルを出しており、美味い軽食が気軽に食べられる。店主が探索者と付き合いがあるそうで、珍しいものも食わせるのがウリだ。オラクルはゲテモノや珍味に興味はないが、昔、激務のさなかに振る舞われた"まかない"の夜食のせいで、半端に肥えてしまった舌にはここの料理はありがたい。
「オルウェイの飯は世界一だよ」
そして、うちの料理はオルウェイでは2番目だと笑いながら"本日のおすすめ"を出してくれた店主に、オラクルは同意する。
「一番じゃないな」
「一番とは流石に言えねえよ」
「この値段で気軽に食わしてくれるのはオヤジのとこだけだ」
「気軽なのはちげぇねぇ」
オラクルは、気に入っている見晴らしのいい端の席で、街を眺めながら食べようとして、その席に今日は先客がいるのに気づいた。
アトーラ人には珍しい髪色の男だ。
国際都市のオルウェイでは、市門の外の公共地で異国人は珍しくない。だが、こんな市内の住宅街の奥にある隠れ家のような食事処に、西方か北方の出身らしき男が一人でいるのは珍しい。オルウェイは、世界中から人がやってくる街だが、逆にそのためになんだかんだで人の出入りにはうるさいのだ。
「(職業病だな)」
不審なことがあると確認せずにはいられないのは、よく冷やかされた自分の悪い癖だと思いながら、オラクルはその異国人の隣に行って声をかけた。
「失礼。隣、よろしいかな?」
「ああ……どうぞ」
男はオラクルを見て、一瞬わずかに目を見開いたが、すぐに何事もないように落ち着いた声音で了承した。政治的に訓練された物腰と受け答えだ。男は目の色も髪と同じく珍しい色合いで、年の頃はオラクルと同じくらいだろうか、体格はいい。軍属の身体だ。服装は地味で、一見、オルウェイで一般的な軽装に見えるが、質が恐ろしくいい。こういうこだわり方をした服をサラリと着れるのは、オルウェイでも一握りだ。
金持ちが金を出せば手に入れられる類の服ではないのだ。
物珍しそうにテラスの向こうに見える市門の方を眺めている男に、オラクルは「オルウェイはいい街でしょう」と声をかけた。
「そうですね」
「いつからこちらに?」
「つい先日です」
「もう、あちこち回られましたか」
「いえ、来たときにハズレ市は少し見て回りましたが、市内はまだ」
「そうですか」
オラクルは男と同じように、賑わう市街を眺めた。
「ぜひ見て回るといい。ここは良い街です」
「誇りを持っているんですね」
「誇りたい人々が創った街ですし、自分自身も微力ながら誇れるだけの仕事をしてきたと言えます」
オルウェイの市民は多かれ少なかれ皆そうです。と言うと、男は「羨ましい」と、眩しそうに目を細めた。
「これからここにお住いになるなら、貴方もその一人に成れます」
「そうだろうか」
すっかりできあがった美しい街に、今更ノコノコやってきて、ここの人々と同じように、ここを我が街と思ってよいのかわからない。
そんな不安を滲ませた声音だった。
オラクルは少し迷った。
この後の仕事に、今日中に片付けなければいけない案件はあっただろうか?
自分がいかないと回らない仕事は作っていないと、すぐに結論を出した。今、優先すべきはこちらだ。
「よろしければ、少しこの街をご案内しましょうか」
意外な申し出だったからか、金色の髪の美丈夫は、珍しい色合いの青い目を瞬かせた。
「よろしいのですか?市長」
「仕事を抜け出してきているので、役職では呼ばないでください」
「失礼」
「オラクルです。鷹殿」
死んだと伝えられていた元太守は、こころなしか気恥ずかしそうに、オラクルが差し出した杯に、自分の杯を上げて応えた。
さあ、どこから案内しようか。




