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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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34/54

専属書記官

オルウェイ復興中

まだ仮設の軍営しかなかった頃です。



水が低きに溜まるように、仕事は要領の悪い奴のところに積み上がる。


「(また、飯を食いそびれた)」


若い書記官は、伸びてしまった前髪をかき上げながら、眉間にシワを寄せた。

焼け跡となったオルウェイに作られた仮設の本営は食糧不足で、定時に飯場にいかないような奴の口に入るパンはない。アトーラの行政府なら、ちょっと公共広場(フォルム)に出れば物売りがいたし、パン屋だっていっぱいあった。


「(帰りたい……)」


こんななんにもない僻地で、仕事の山に骨を埋めたくはない。

せっかく中央で職につけて、出世街道まっしぐら……とはいかないまでも、将来安泰だと思ったのに、半年もたたないうちに地の果ての焼け野原に追いやられてしまった。まったく、ついていない。

せめて水ぐらい飲もうと思って部屋を出たところで、声をかけられた。


「お、白服。ちょうどいいところに」


馴れ馴れしく近づいてきたのは、汚い出で立ちのガサツそうな男だった。顔立ちからしてアトーラ人ではなさそうだ。

白服というのはこの生成りの略装のことだろうか?高位の文官が着用する上衣のように白くはないが、兵士の皮鎧に比べれば内勤の書記官の服は白い。

男は建物の修繕に雇われた人夫かなにからしい。汗じみた茶色い服の腰に、なにやら物入れの沢山付いた革ベルトを巻いて、よくわからない道具をガチャガチャ下げている。


「"女"のいる奥の部屋って、どこだ?案内してくれよ。話があるからそこに来いって言われてんだけど、まだ、ここには来たばっかりで、何がどこにあるのかわからん」


若い書記官は眉を寄せた。

軍人や人足を目当てにやってきた娼婦が、焼け跡の空き家にでも居着いて客を取っているのだろうか。本営であるここの建物の一角に入り込んでいるようなら追い出す必要がある。汚いおっさんの下の話など聞きたくもないが、少し経緯は聞いておくべきかと思い、水すら飲みに行けんなと内心で苦笑する。


「ここは軍の本営だ。この先にいるのは文官ばかりで、女などいない。どんな女に何と言われたんだ」

「ん?頭のおかしいクソ女だよ。さんざん俺を挑発した挙げ句、肝心の本題は後で、とぬかしやがった」


男は、文句はいっているが、まんざらでもなさそうな顔だ。

安い娼婦の手管に引っかかった田舎者め。

若い書記官は出そうになるため息を飲み込んで、相手の女の人相風体を尋ねた。


「若い女だ。黒髪で、美人か美人じゃないかっていやぁ、まぁまぁ美人だけど、喋るとあんまり女らしくはなくて、言うことはクソ生意気なんだが、なんか、こう、ちょっとかわいらしい感じの……」


要領を得ない話をしていた男は、ふと視線を書記官の肩越しに後に外して「よう!」と気軽に声をかけた


「どうした、ニッカ殿」

「いやぁ、アイツのところに行かなきゃいけないんだけど場所がわかんなくてさ。どこ行きゃ会えるか、知んないか?」


一体誰が来たのかと振り返って、若い書記官はギョッとした。無礼な男に穏やかに応対しているのは、とてつもなく偉い人だった。

ダンダリウス主席補佐官。

現在、太守不在であるここオルウェイの実質のトップである。


「夫人なら内陣だ。建屋が違う。君、案内してやってくれ」

「は、はい」


今なら南東の2階の奥だろうと言われて、耳を疑う。そこは太守夫人がいらっしゃるところだ。こんな男が女遊びをしに出入りするような場所ではない。

「ついでにこれも持って行ってくれ」と書簡をいくつか渡されて、目を白黒させているうちに、主席補佐官殿はさっさと廊下を去っていってしまわれた。


「そいじゃ、若いの。案内してくれ」


このとき仕方なく案内したこの胡散臭い男は、実はオルウェイ復興のために呼ばれた当代最高峰の建築技師で、若い書記官はそのまま都市計画事業に巻き込まれることになった。



§§§


「あら、それじゃあ、オラクルは元からこっちの担当ではなかったの?」


関係書類一式を持って、ニッカ氏を案内してきたから、てっきりここに配属された新人だと思ったと、太守夫人はカラカラと屈託なく笑った。

年若い、ほとんど子どもと言ってよいような年頃のこの黒髪の女性が、現オルウェイ太守の妻で、大ユスティリアヌスの娘だと教えられたときには、書記官のオラクルはひっくり返りそうになった。なんだかんだで用事をいいつけられ続けて、結局、事実上の専属になり、夫人から”オラクル”という名前までもらってしまった今となっては、最初はモグリの娼婦か何かだと思っていましたとは、とても言い出せない。


「コイツはよう。最初はお前さんを戦場稼ぎの下級娼婦だと思って、ここからつまみだそうと思ってたらしいぞ」

「ちょ!ちょっと、ニッカ殿っ。それはあなたが紛らわしいことを言ったから……」

「あらやだ。ニッカ。あなた、そんなこと言ったの?」

「言ってない!やめろ!んなデマが伝わったら、お前ンとこの目つきの怖いのにくびり殺されちまわぁ」

「そう思ってて、こっちにヤな風聞立てるのはやめてくださいっ」


「こまけぇことを気にする野郎だ」とぼやくニッカは、その雑談の間も、ずっと手元の図面を睨んだままで顔も上げなかった。おそらく口先で話しているだけで、頭は一欠片も一文官(オラクル)のことなんて考えてはいないのだろう。

太守夫人も同じように手元の資料に目を通しながら、次々と何事かを書き込んだり、ピンを挟んだりしている手は止めない。この場にいる人間で、一度に一つのことしかできないのは自分だけのような気がして、オラクルは肩身が狭い思いになった。自分などがここにいてよいのだろうか。


「オラクルが来てくれたのは、ちょうど文官の人手が欲しかったところだから助かったけどね。ねぇ、フィロ。あなたには製図に専念してもらいたかったし」

「そうですね。雑事に煩わされないのはありがたいです」

「文官の仕事は雑事ではありません」

「そうツンケン言うなよ、兄ちゃん。フィロにとっちゃ図面を描くための仕事以外は、雑事だ」

「頼んだら数字を調べて来ていただけるのは助かります」

「この部屋をでりゃ、女の使用人ってのは、洗濯女か飯炊きだと思ってる奴ばっかりだからな。言うことなんか聞きゃしねぇだろ」

「ニッカ師匠が、そもそもそういうタイプの筆頭でしたからね」

「だって、思わねぇだろ、こんな姉ちゃん達がこんなもん書くとはよう……」


ニッカは、手元の図面を広げて持ち上げてみせた。そこにはここに建設される予定の都市の精緻な設計図面が、几帳面な筆致で書かれていた。

設計室勤めの女性達はクスクスと忍び笑いを漏らした。


「俺の手は石を扱うならどんな細かい仕事だってやるけどよ。こんなもんをこんな風には書けねぇ」

「みんな良い仕事をしてくれるけれど、とりわけフィロの才能は格別よね」

「私は奥様や師匠がお話になったことを、ただその通り書き留めているだけです」


その通り……で、ああも正確に直線や曲線がきっちり描けるというのは、特殊技能か神の与え給うた祝福以外の何ものでもないだろうと、オラクルは思った。

自分が生まれたとき、村に立ち寄った旅人が母に、その子は啓示と祝福をもたらす才ある子だと言ったそうだが、長じた今、こうして"本物"達を目の前にしていると、そんなものは一夜の宿や飯のおこぼれをもらいたかった流れ者のおべんちゃらだったと分かる。

ただ手先が器用で絵が上手いとか、そういう話ではない。彼にとってはきれいな線の複雑な模様でしかないそれを見て、ここの人々は、未だ存在していない石の建築物群について、まるでそれが自分の足元にあるかのように話すことができるのだ。

それはまるで眼下の世界の行く末を審議する神々のように、只人であるオラクルには思えた。


「ああ、フィロ。それでここなんだがな。もう少し張り出しを広く取っておいてくれ。あと30……いや、50ぐらいだな。ここの搬送路までぐるりとつなげるようにするといい」

「なぜですか。そうすると、広場の対称性が失われます」

「こういう場所にはな。何かをやるときの"荷物置き場"が必要なんだよ」

「催事のバックヤードなら、奥様に言われてこちらに十分なスペースを確保しています」

「ああ、そういうんじゃない。建て替えたり、改修したりするときの、資材置き場だ。内縁のこの辺りにプールできる場所があるのとないのとで、工事の楽さが違う」


お前の設計には、遊びとゆとりが足りないと、熟練の石工は、荷担ぎ人夫のように日焼けした顔をくしゃりと歪ませて笑った。


「それから、ここの厚みは倍にしておけ」

「計画中の建物には、この量の土積みが適正量です。過剰な堅固さは費用と工期の無駄になります」

「バーカ。都市ってのは、できたときができあがりじゃねーんだよ。こういう場所にはな、そのうち記念で塔や石碑を建てたがる奴が必ず出るから」

「ここにそんな物を建てたら、景観と防衛上の利点が失われます!」

「バカってのは高い建物が好きなんだ」

「塔や石碑……ありそう。ありがとう、ニッカ。その発想はなかったわ。居住区の過密度が倍になるところまでは、想定していたんだけど」

「嬢ちゃんは、先を見る目は俺なんかよりよほどあるが、まだ虚栄心だらけのバカ権力者への理解が浅い」


身の回りにバカが少ないと、こういう知見は身につかないと、ニッカは変な自慢をして胸を張った。

それから、だとするとここはこう、あそこはああだのと、早口で意見を交わし始めた雲上の神々の言葉を、オラクルはいつも通り手元のメモに書き留めた。この人たちは、思いつきで重要な事を次々と話した挙げ句、その細部を記録に残さずに、勝手に合意したあとでそこから派生する作業の指示だけ出すのだ。従う側の立場としては、たまったものではない。

調達する資材の種類や見積もり量が、なぜそういう結論になったのか、多少は記録して理解しておかないと、急な変更時の対応や、代替品で間に合わせで大失敗をしてしまう。そういうときに責を負わされるのは、トップではなく自分のような下級官僚なのだ。


「では、そういうことで。オラクル、あとは頼める?私とニッカはこのあと揚水機の設置予定地の下見に行くから」

「はい。お任せください」

「図面の変更点は明日までに修正しておきます」

「フィロさん、あなたと二班の皆さんは、今日の昼以降は就労禁止です。食事をして、身を清めて、寝台で十分に眠ってください」

「ええっ!?そんな。忘れないうちに形にしておきたいのに」

「必要な変更点は、書き留めました。明日中にまとめておきます」

「フィロ、ちゃんと休まないと仕事の質が落ちるわよ。本当に危機的なときに全力で仕事をしたいなら、普段の働き方で身体を損なうのはやめなさい」


太守夫人は「五年後に徹夜仕事を命じて、受けてもらえないようだと困るのよ」などと、笑えない冗談を笑いながら言った。


「とにかく、就労時間については、ここのみんなはオラクルの指示に従うこと。いいわね」


「えー」「でもぉ」などと不満の声があがる。


「時間はともかく、水を浴びてこいだの、着替えてこいだのまで、言われたくはないわ」

「言われたくなければ、自発的に清潔にしろ!部屋が臭いぞ」


若くてハンサムな書記官オラクルの言葉に、フィロを筆頭とする製図師の娘たちは目を剥いた。ニッカは「あーあ」という顔をし、太守夫人は苦笑した。


「揚水機ができたら、女性用の水浴場も仮設で作るから、水浴びももう少ししやすくなるわ。それまでは辛抱してちょうだい」

「わかりました。それまでは衝立とたらいを手配して、女性使用人が入浴できる時間を軍営の水浴場に設けます」


また余計な仕事が増えたと、オラクルはこめかみが痛む思いで、必要な作業と諸々の手配の段取りを考え始めた。


「(とにかく、問題点を察するのが早くて、具体的解決策までの判断をしてくれるのがありがたいわよね)」


諸問題が山積みの日々にうんざりしている太守夫人は、渋面で唸っている有能な文官の後ろ姿を、頼もしそうに見て微笑んだ。


「いいこと。皆は託宣を守る巫女のように慎ましく、オラクルの指示を守ること。オラクルは誠実に皆のために働くこと。そして全員がいつでも私の求める仕事を万全のパフォーマンスで提供できる状態でいること。私が求めるのはそれだけよ」

「はい、奥様」


設計室一同は、征服地の神殿にいた彼女たちに知識と技術を授け、安全と誇れる仕事を与えた、崇拝する太守夫人に一斉に礼をとった。

「オラクルさん、灯明のオイルと製図用の大判の葦紙を補充してください」

「台がグラグラするので直していただけますか」

「大きなクモが!追い出して〜」

「くっ、実質、雑用係……」

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― 新着の感想 ―
どうもオラクルは自分がどう有能かの自覚が無いのかな?
[良い点] 今回もみんな活気があって楽しそうで。。 良かったです! いつも楽しく読んでます。 [気になる点] >残念。オラクルの書いたものは重要文献扱いされないので、後世に残りません。書きつけた素…
[一言] 文官と書いて雑用係と読む。 総務とか庶務とか、重要ですよね。特に、あの時期のオルウェイでは(笑) 誰でも有能に働かせてしまう、奥様最強です。好き。
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