その言葉は耳にした時よりもなお重く我が内で繰り返し響く
「あの軍団長を酔い潰したって?お前は無敵か」
呵呵と笑う同僚達に顔をしかめてみせる。
ここの遊撃隊は隊長が隊長なので、皆こんな調子だ。
馬を扱う遊撃隊は、友好関係にある周辺諸国出身の義勇兵の多い混成部隊なので、身分や作法に関して無頓着なところがある。うるさく言っても「俺んとこではそうじゃなかった」という奴が多いから、今の隊長が「軍令以外は好きにしてよし」と決めたらしい。
流民出のエリオスにとっては楽で助かったが、士官レベルで一番まともに作法や礼法をわきまえているのがエリオスだというのにはまいった。隊長がいないときの他の隊との連携業務役が最年少の副隊長である彼に回ってくるのだ。(というよりもそういう仕事をさせるためにエリオスが抜擢された可能性が高い)
「軍団長”殿”だ。それに俺は飲み比べはしていない。軍団長殿は元々かなり召し上がっていたし」
「相変わらず堅い奴だな」
「酔った軍団長にも負けなかったとは、お前の不敗伝説もいよいよ本物だ」
バカな軽口は、面白いからと身内の間で繰り返し口にされているうちに、事情を知らない部外者の耳に入り、不完全かつ正確でない形で噂として広まった。
「お前か。軍団長殿を負かしたといい気になっている奴は」
「誰から何を聞いたか知らんが、お前は騙されている」
「なにおぅ?!彼女を侮辱するな!」
エリオスは、襲いかかってきたイキったバカを殴り倒した。
聞き出してみればこの男は、妓楼の女が、遊撃隊に軍団長よりも強い不敗の男がいるらしいと噂していたのを聞いて、やってきたらしい。
「攻撃は正確な情報を元に行え」
投石機の着弾点の測量について教わったときも、斥候隊にいたときも、事前の調査の正確性がいかに重要かは叩き込まれた。
「変わり者と突撃バカの集団の遊撃隊でも、そのぐらいは心得ているぞ。お前の隊の教育はどうなっている」
そう言って追い返したのが悪かったらしい。翌日はその男の所属する隊の連中が上官らしい奴ごと出張ってきた。
「貴様、うちの隊を突撃バカの集団と言ってバカにしたそうだな」
「お前の部下は、3語以上の文は正確に覚えられないのか?」
呆れたエリオスに、相手は腹を立てた。
間の悪いことに、その時エリオスの周りには遊撃隊の面々がいて、舌を突き出したり、指や拳を上げてみせたりして、後ろで散々に相手を煽った。
「それで大乱闘か?」
遊撃隊の隊長は、怪我どころか青痣一つなく、しれっと立っていて詫びようともしないエリオスを見て、苦笑した。
「勝ったんだろうな」
「同数の歩兵に負ける遊撃隊員はおりません」
「あまり味方の歩兵大隊を削ってもらいたくはないんだがな……また開戦だ」
「今度も東ですか」
「ああ。公王国が2つに割れて和平派が追われた。裏で南が糸を引いている」
どうやら隊長が今日まで隊の一部を連れて留守だったのは、そのあたりの情勢を確認しに行っていたらしい。
「お前に出てもらった宴席でその話が出ただろう?」
「いえ。酒宴には出席しましたが、上級将校の宴席には呼ばれなかったので存じませんでした」
「はぁっ?何しに行ったんだ、お前」
あの手の宴というのは、非公式政策会議で、関係者への事前周知と根回しの場らしい。
俺の代理だと伝えておいたのに、と隊長は他の隊長連中の気の利かなさをぼやいた。
「まさかとは思うが、軍団長と二人でずっと話し込んでいたってのも、単に酒とあの強烈な娘自慢の相手をしていただけか?」
「はい。お嬢さんについては色々と教えてはいただきましたが、軍の方針については何も」
「あのクソ親バカ野郎め!」
ちょっとどうかと思う罵詈雑言を吐き捨てて、隊長はお前もお前だとエリオスを叱った。
酒宴だろうが雑談だろうが、軍と政治に関わっている奴が同席したら、それは情報収集の場だと思えと、らしくない説教をされた。
「それは……疲れませんか?」
「馬鹿野郎。指揮官として他人の命を使う立場の人間なら、そのぐらいは頭に置いとけ」
上の人間は皆そんなことを考えているのかと尋ねたら、それができていない奴の下について無駄死にしないために、それを考える習慣をつけろ!とまた怒られた。
「それなら俺はまだしばらく大丈夫ですね」
あなたの下にいるうちは気楽でいられそうですと言ったら、乱闘騒ぎの懲罰を倍付けされた。
程なく、エリオスのいる軍は東の公王国との戦争に投入され、遊撃隊長はその戦で戦死した。
「ダメだ、立て直せん」
「エリオス!お前が指揮を執れ!!」
「隊長……隊長を……」
「エリオス!!」
戦況は酷かった。
どこか現実味を失っていく戦闘のさなかに、エリオスは己の内で一つの声を聞いた。
『"エリオス"は、私だけの英雄なの!すっごく強くて、賢くて、どんなピンチでも絶対に負けないの』
目の前の光景が急に鮮明になり、周囲の音が戻ってきた。
「一番弱いところを突っ切る」
「どこだよっ」
「俺に続け!駆けろ!」
俺は"エリオス"だ。
たとえ実態がどんなにいたらなくても、そう名乗ったからにはそう生きねばならないのだ。
……隊長。
名前をつけたら、果てしなく膨らむのが目に見えているキャラなので、名前のないまま退場です。(断腸の思い)