水売りと悪童
「ユリアス!面白いことを思いついたぞ」
石柱が並ぶ柱廊を、軽上衣の裾が捲れるのも気にせずに、大股でずかずかとこちらにやってきたのは、ガイウスだ。この男は、なにか突拍子もないことを思いついては、こうしてワクワクとした顔でユリアスらのところにやってくる。
アトーラの中央公共討論会場というのは、深遠な哲学的討論や政治的主張などが行われる真面目な場所だ。先々代の執政官がダロスの神殿を模して建てたが、どこの神を祀るかで元老院がもめにもめて、結局、人間が討論をする場所になったところである。
公共広場に面した側の四柱式の二重列柱廊は、裕福な市民階級の若い子弟にとっては、たいした用もなく仲間内でたむろするのにちょうどいい場所だった。敷石舗装されて屋根もある空間には、水売りや担ぎ売りの小商人もいて、ちょっとした買い食いもできる。親や家庭教師から逃げ出して、同世代の悪友と、どうでもいい話をだらだらするのにはもってこいだ。
「今度はなんだ。また街中に大角牛を持ち込む気じゃないだろうな」
「あれはなかなか有用な体験だったが、そう立て続けにやってもつまらん」
「普通は、すみません。二度とやりません、というところだぞ、ガイウス」
呆れるユリアスを笑い飛ばして、悪童はまたぞろ思いついたくだらない遊びを一同に話し始めた。
「坊っちゃん方は気楽な身分だねぇ」
ボソリとつぶやいたのは、二柱廊の隅で水を売っていた男だった。東の山系からやってきた山岳民か、戦場からの流民くずれの居留外国人かはわからないが、その日暮らしなのであろう。大きな身体にみすぼらしいボロをまとっただけの男だ。
その場にいた悪童どもが「なにか文句があるのか」と睨みつけると、水売りは「怖や怖や」とつぶやいて、水瓶を背負って立ち去った。
「ふぅむ」
「無礼な奴だ」「ちょっと痛い目に遭わせてやった方がいいんじゃないか」などと息巻いている仲間をよそに、ガイウスは、なにか思案するように目を細めた。
「まぁまぁ、皆もやめておきたまえ」
「でもよう、ユリアス。これは名誉の問題だぞ」
「徒党を組んで水売り一人をいじめる方が外聞は悪いよ。それにあの肌の色ははおそらく山の民だろう。あんな重そうな水瓶を背負って長距離を歩けるほど力が強くて丈夫な奴らだ。いらぬちょっかいを掛けて、こちらが怪我でもしたらつまらないさ」
「ちぇっ、ユリアスは弱虫だなぁ」
「ガイウス、お前はどう思う?」
「ん?俺か?」
ガイウスはニヤリと笑った。
「思ったんだがなぁ」
一同は揃ってこの悪童の次の言葉を待った。ガイウスはそういう人の注目を集める話し方がめっぽう上手い奴だった。
「この中で誰が一番、重いものを軽々と持ち上げられるか、競ってみるって方が面白くないか?」
「はぁ?」
「なんだよ突然」
「なんだかんだで戦は大方終わった。この後、たとえ俺達が兵役で兵士になっても毎日暇だろう。俺達が気楽な身分なのは、かくのごとき時代に、かくのごとく生まれたためで、俺達がどうこうというではない」
「だがな」とガイウスは、唐突な演説に目を丸くしている奴らの、その丸くなった目を左の端から右の端までぐるりと見回した。
「かと言って元老院のじーさんみたいにくっちゃべってばかりってのも芸が無い。山出しの水売りの腕力が本当に俺達全員より上なのか、やってみたっていいだろう」
「要するに力比べか?」
「そうだ」
「……あまり気乗りしないな」
あまり筋肉質というタイプではなく、どちらかというとほっそりしているユリアスは苦笑した。そういうのは、年長で身体の大きな奴が勝ってオシマイという単純な勝負すぎて、彼が得意とするところではない。
「まあ、そう言うなって。やってみたらきっと面白いから」
ユリアスよりも1つ年下のガイウスは、自身も力自慢と言うほどには筋肉がついていないにもかかわらず、自信満々に笑った。それを見て、ユリアスは内心で「(そういう勝負か)」と得心した。
おそらく、先程の一件でユリアスが、力自慢の山の民の力を恐れて手を引いたと周囲が見て、仲間内の中で、アトーラ人は肉体的に強い外敵とは争わないようにした方が賢明なのだという考えが定着するのを避けるために、こんなことを言い出したのだろう。一見、大雑把なように見えるが、そういうところに気の行く質の男だ。
ユリアスは、ガイウスの話に乗ることにした。
「持ち上げる物は、何にする気だ?」
「大岩だなんだっていうと大げさで準備が大変だから、中身の入った壺にしよう。ユリアス。お前んちに大人の腰ぐらいまでの高さのある酒壺があっただろう。あれにしようぜ」
「酒壺か。失敗して中の酒をダメにすると怒られるぞ」
「酒壺だからって酒が入っていなくてもいいさ。空のやつに水を入れればいい。使っていないのもあるだろう?」
「ああ、夏の間に宴席で飲み干された分がいくつかあったと思う」
「さすがだな。じゃあ、そいつを二つ用意してくれ」
「別に二つ用意しなくても一人ずつ順番に持ち上げて見せればいいだろう」
「なにを言ってるんだ。一人で一度に二つ持ち上げるんだよ。一つじゃ普通すぎてつまらん」
「なんだって?とても抱えられるものではないぞ」
「だから、縄や木切れのたぐいは使っていいことにしよう」
ついでに納屋の古雑貨程度の道具もありにしようか?と言ってガイウスはニヤついた。だいたいルールを察した勘の良い悪友たちは「またコイツは……」と思いながら、自分はどういう手で行くか思案し始めた。
「勝負の時と場所は?」
「今日の今日では忙しいだろう。明日の昼に、ユリアスんちの庭で」
「うちかよ」
「酒壺用意するのが楽だろう」
それはその通りだった。
§§§
ユリアスの家はアトーラでも有数の名家で、邸宅は来客用の一番広い庭園は軍の宿営地にできそうな面積があった。その一角に集まった悪童達は、その場にいつもの仲間内以外の者も来ているのに気がついてうろたえた。
「お、おい。ユリアス……」
「仕方ないだろう。話したら見たいと言い出したのだ」
木陰に席を用意して楽しげに談笑しているのは、ユリアスの姉妹とその女友達……要するにここの悪童どもが日頃意識せざるをえない少女達だった。
「張り合いがあるんじゃねえか?ほら、お前から行け」
「よ、よぉしっ!」
ガイウスに指名された1番手は、仲間内では大柄で、力の有りそうな奴だった。彼は用意された壺に手をかけた。
「水をこぼしたり、壺を壊したりしたら失格な」
「わかってる!」
1番手は「それにしてもこれは水を入れすぎだろう」とぼやきながら、口のところまで目一杯、水の入った壺二つを両手で抱えた。大柄な彼の腕はなんとか壺二つを一度に抱えられたが、その中身を零さないように、揺らさず傾けずに持ち上げるのは無理だった。
次の力自慢は壺の口にロープをかけて持ちやすくしてから挑んだ。顔を真赤にして、太い腕に血管を浮き上がらせて剛力でちょっとだけ壺を持ち上げることに成功した彼に、女の子たちから黄色い歓声が飛んだ。ニヤけた彼は壺をドスンと落としてしまい、盛大に水をこぼして失格になった。
大きな背負子を作ってきた奴は、背負子に壺を乗せるところから四苦八苦し、二つ積んだ背負子を背負いはしたものの、そのまま自分の尻さえ地面から浮かなかった。
次の奴はその背負子を借りて、一つだけ壺を背負うことにはなんとか成功したが、二つ目を抱えて持ち上げようとかがんだところで、背中から水をかぶってずぶ濡れになった。
「ほら、ダン。次はお前やってみろよ」
それまで、仲間内では最年少のダン少年は、年上の力自慢組が次々と失敗するのをじっと観ていた。この少年は同年代の子よりは大人びたところがあってユリアス達のグループに引っ付いて混ざっていたが、まだ背も小さく身体も細くて、この競技にはまったく向いていなさそうだった。
女の子達からは笑いを含んだ声援が上がり、失敗組からはあからさまな揶揄の笑いが上がった。
それでも、ガイウスに促されたダンは、物怖じすることなく前に出て、彼の前の挑戦者が使った木の棒を拾い上げた。
「これをお借りしてよろしいですか」
それは荷担ぎ人夫が使う振り分け天秤棒のようなもので、丈夫で長さがある分、ダンでは棒自体の重さだけで重そうに見えた。前の挑戦者は壺をくくったロープを棒に両端に付けて、担ぎ上げようとして重さとバランスに苦労した。荷担ぎというのは、あれでなかなか筋力だけではない技術が必要なのだ。
「それと、そこの台とロープを」
「いいぜ。好きに使いな。どこに置く?」
ガイウスは、庭木の手入れ用の脚立のようなものをダンの言う通りに壺の脇に置いてやった。
「このあたりでいいか?」
「はい。ありがとうございます」
ダンは壺2つをロープと木切れでしっかり固定し、その間に棒を差し込んだ。
「おいおい。真ん中に壺2つつけたら、両端に人が二人いるだろう」
「一人で二つがルールだぞ」
ヤジに向かって、ダンは至極真面目な顔で頷いた。
「はい。だから、力の半分は台に持ってもらいます」
彼は棒の向こう端を台に乗せ、手前を自分の肩に乗せて、一生懸命、担ぎ上げた。
背の低いダンの肩の位置までだから、壺はたいして持ち上がりはしなかったが、それでもたしかに多少浮いた。
小さなダンの予想外の結果に、観覧席の女の子達からは華やかな称賛の歓声が上がった。壺を下ろしたダン少年は、彼を見て微笑んでいるユリアスの妹をちらりと見て、恥ずかしそうに一礼して下がった。
「よくやった!」とガイウスはダンの背中を叩いた。
「ガイウス。お前ならどうする?」
妹の様子を観ていたユリアスは、ガイウスにそう声をかけた。その場の皆の視線がガイウスに集まった。
ガイウスは「そうだなぁ」と壺と棒と台を見た。
「俺なら、壺は棒のこちらの端に吊るして……台は真ん中……いや、壺の近くで……こんな感じかな」
ガイウスはもう一度、ダンを呼んだ。
やってきたダンに、彼は棒の空いた端を持たせた。
「体重かけて押し下げてみな」
「え?はい」
明らかにさっきよりも楽に上がった。
「あ、これ、ぶら下がるみたいにしてもいけて楽だ……肩が痛くない」
「とはいえ、あんまり無茶をすると棒が折れるから気をつけろよ」
ガイウスは、壺と台と手で押す側の位置を調整すると、必要な力が変わるのだという話をして、何度か台の位置を変えて仲間に試させた。
「なるほどなぁ」
「よくわからんが、流石ガイウスだ」
「わからんならダロス人の教師に聞くといいぞ。俺もコイツは家庭教師の受け売りだ。ダロス人は実務の力はからきしだが、理論の話の知恵はある」
「たしかにダロス人は頭が良いよな」
「なんだ。俺達アトーラは、力も知恵もよその奴らに負けてんのか……」
「そうじゃないさ」
ガイウスは腕を組んで胸を張り、もっともらしい顔で言った。
「俺達アトーラ人は全部取り込んで、知恵と力をセットで働かせられるってことだ」
「なるほどね」と言って、ユリアスはガイウスの隣に並んだ。
「この勝負は君の勝ちだな。ガイウス。結局、君は自分の手番で何度も壺を持ち上げたが、自分ではちっとも力仕事をしていない」
「えっ?」「あれ?ホントだ」「そんなんありか!?」と驚き騒ぐ仲間の真ん中で、ガイウスは苦笑した。
「それをいうならユリアス。お前はまだだぞ」
「では後片付けはしようか」
ユリアスは、片手を上げて使用人を呼ぶと、散らかった道具類を片付けさせ、呼ばれてやってきた水屋に駄賃を渡して水の入った壺を下げさせた。
縛られて固定されたままの二つの壺をそのまま一人で背負って去っていく山の民の水屋の背中を見ながら、ガイウスは唸った。
「なるほど。そうきたか」
「アトーラ人が水を運ぶ必要はない」
ちょっと傲慢なぐらいのそういう物言いは、このユリアスという男によく似合っていた。
彼は後にアトーラの最年少執政官になった。
§§§
「あなたのお父様は、その時のことがずっと頭にあったんだろうね。後に、水道事業を立案して、元老院で演説したとき『アトーラ人の金を水売りに払い続ける必要はない』と仰ったんだ」
「まあ!」
「お父様ったら意外に根に持つタイプなのね」と、彼の賢い娘は目を丸くした。
「とても面白いお話だったわ。ダンおじさま。水道事業ってそんなきっかけがあったのね」
「それだけが理由というわけではもちろんないけどね」
むしろ当時、戦争が終わって暇になった兵役組の兵士達の労働力の有効活用や、流入し続ける人口を養うだけの水の確保の問題などの方が主題だった。だが今思えば、彼はあんな若い頃から、後々問題になる事柄をいくつも見据えていたのかもしれない。議会参加年齢になるやいなや、彼が提出した議案はどれも傑出していた。
だからこそ、あの一見荒唐無稽と言わざるを得ない水道事業も承認されたのだ。
結局、水道事業の指揮官を押し付けられて四苦八苦することになったダンダリウスは、ふと、この年若い娘に尋ねてみたくなった。
「あなたならどうやって水壺を持ち上げる?」
「そうね……」
父譲りの黒髪の娘は少し考える素振りをしてから「壺の口を皮で覆って水がこぼれないようにしてから、動滑車で釣るわ」と答えた。
そういえば水道事業のとき、父親がまだ幼かったこの娘を現場に連れてくると、しばらくして新式の大型土木作業道具が導入されることが多かったなぁ、とダンダリウスは遠い目でしみじみと当時を思い出した。
お父様世代が若い頃の話です。
(お父様がユステリアヌスに改名する前です)
まだアトーラは拡大し始めたばかりの若い国で、戦争奴隷や流入する難民、居留外国人の扱いを決めかねている頃です。(とりあえず先進のダロスのマネをしているが国民性に合わず上手く回っていない)
後の、役に立つものはなんでも貪欲に取り込んで成長するアトーラは、この悪童達が政治家になってから爆誕します。(ユリアスとガイウスが任期毎に交互に執政官になって加速し、帝国に至る)
ダンダリウスは、よくできる補佐官。
エリオス不在の間、オルウェイの統治の表の顔は実質この人です。




