晩餐1
「二人旅:帰還」当日の夕食の話
家の女主人から、座式での簡単な晩餐だと教えられて、ゴドランは安堵した。
アトーラでは公式な晩餐は、臥式の正餐となる。出席したことはないが、角度の付いた寝台のような大きな長椅子に横座りするようにして着席するらしい。
左肘をついて、ほとんど寝転がったような体勢からは、攻撃がしにくく、テーブルの下で死角になる部分もないことから、不意打ちや裏取引がしにくいと聞いたことがある。
どういう利点があるにせよ、そんな格好で食事を取るのは、いささか享楽的でだらしないし、胃もたれがしそうだと、アトーラ人ではないゴドランは思っていた。
アトーラで使用される椅子は、ゴドランの母国シャージャバルで一般的なものよりも座面が高く、最初の頃は座り心地が今ひとつだと思ったが、長い軍生活でそれも慣れた。放浪中は石でも丸太でも切り株でもお構いなしだったので、寝転ぶわけでなければ、どんな椅子でも気にはならないだろうと思いながら、彼は案内された晩餐室に入った。
普段遣いの内々の食事室だと言ったよな?
ゴドランは真顔のまま、一度瞬きをした。
確かに通された部屋はさほど広くはなかった。だが、なにも言われなかったら、国賓の接待用の部屋だと思っただろう。
ゴドランは由緒ある小国の王族の長子として生まれ、若い頃から南方の大国の将軍として諸国に派遣され外交に参加していた。アトーラ軍の遠征でも、経験の足りないエリオスの補佐として各国の宮廷や領主館での交渉には付き添っていた。
その国家間外交の世界有数の経験者であるゴドランをしても、ここの基準は意味不明だった。
通された部屋の調度で、主人の経済状態と自分たちの扱いを測る目はあるという自負が、この屋敷に来てからぐらつきっぱなしだ。
室内は落ち着いた色味で統一されていた。全体に、曲線で構成された植物を思わせる見慣れない意匠が使われている。
壁は木……なのだが、この屋敷は石造りだ。艶のある木彫パネルが白壁に貼られているらしい。これも曲線が蔦のように絡む縁取りに、花鳥紋の見事な浮き彫り。地の白壁が見える部分との配分が絵画のようである。
脇の壁には森の中の小川を描いた絵がはめられているが、どうやらそれは窓で、色ガラスを組み合わせたものらしい。夕の柔らかい光が差して、絵全体が輝いて見える。
部屋の中央に置かれたテーブルは4〜6人用といった程度の大きさで布がかけられている。椅子は3つ。
椅子の背にも、房付の飾り布がかけてある。テーブルを覆うものと同じ、濃い色の柄布と、刺繍入りの白布の組み合わせで、房の色が左奥の席は青、右の席は赤……鷹と一角獣の部隊色だ。
なんの先触れもなく突然訪れた我々をもてなすための”簡単な席”でこんなことまでするのか?
言葉を失って立ち尽くした男達をどう思ったのか、女主人は自分は同席しないほうがいいかなどと言い出した。何を馬鹿なことを言うのだろうか。確かに通常は家の女性は男性客のいる晩餐に同席しない。だが彼女はここアストリアスを統べる女領主で、アトーラで、いや西方世界全体でも指折りの権力者だ。ただの放浪者でしかない現在のゴドラン達との公的な地位の差は歴然としている。
自分達の席が主人より上座に据えられている非常識事態に、ゴドランは相手の判断基準を推測した。
オルウェイを国際都市にし、アストリアス領を統治しているやり手政治家が席次の意味も知らないわけがない。だとすれば。
内々の席だと言うのはそういう意味か。
公式の歓待なら、どうしても彼女が最上位になり、放浪帰りで公式な地位が確定していない彼らは低い扱いになる。だから彼女はあくまで”夫”とその客人を迎えた”妻”として、家庭の晩餐を行いたいのだろう。
ゴドランは、自分の席を片付けさせようとする相手に「それには及ばない」と声をかけて、エリオスを小突いた。
「ああ」だか「うむ」だか不明瞭な返事をしたエリオスは、控えていた使用人が引いた椅子にぎくしゃくと座った。
ダメだ。こいつ完全に雰囲気にのまれている。
失われた精霊の島で古の精霊王を名乗る怪異と対面したときも一歩も引かず、恐気もなく立ち向かった男が、見知らぬ家に置かれた猫のようになっている。
いや、違うな。こいつ……。
ゴドランは自分の隣で、さっきまでソワソワしていた大英雄の意識が研ぎ澄まされて集中するのを感じた。
彼の視線の先では……この館の女主人、名目上は今でも彼の妻である女性が、優美に柔らかく微笑んでいた。
彼女とエリオスの関係は簡単で複雑だ。
二人は夫婦である。
エリオスは若い頃、彼女に一目惚れして、その後もずっと思いをつのらせて、拗らせ気味に惚れ込んでいる。
にも関わらず、この二人はここ10年で数度しか会ったことがなく、直接、話をする機会さえほとんどなかったらしい。呆れたことに、以前オルウェイで会う機会があったときも、ろくに会話もせずに別れてしまったと聞く。
バカだろう。俺なら……と途中まで考えて、ゴドランはその先を考えるのをやめた。
食前酒だといって、小さな酒杯が出された。脚付きの酒杯は、透明なガラス製で、まるで水晶か氷を削って作ったかのようで、美しいカット面がキラキラと卓上の灯燭の光を散らせていた。
オルウェイのクリスタルガラス。
そこいらの小国に贈答したら、国宝扱いになりかねない杯である。
とろりとした濃い酒は甘くて強かった。
「蒸留蜂蜜酒よ。シャージャバルではワインより蜂蜜酒の方がよく飲まれると聞きました」
「そうですね。葡萄に適した土地はそれほど多くないですから」
当たり障りのない世間話の口調で語る女主人に、ゴドランも穏やかに返した。わりと聞き捨てならない語が混ざった話だし、自分への気遣いで最初の酒を選んでくれたのかと思うと、多少腹の奥がざわりともしたが、そこはそっと触れずに、社交的な笑顔を浮かべる。まずは場の雰囲気をほぐす必要があるからだ。こういうときエリオスは役に立たない。
ゴドランはハーブが香る官能的なほど濃い酒を口に運んだ。
「ああ。それでゴドランは蜂蜜が好きなのか」
蜂蜜酒が気管に入ってゴドランはむせた。
視野の端で、慌てる女主人の顔がチラリと見えた。あれは自分が咳き込んだことに対する反応か、それともあの昔の他愛のない一幕を思い出してくれたのか。
色ガラスを通した夕日と卓上の灯燭の明かりの下では、彼女の頬があの夜のように熱を持っているのかはわからない。
「大丈夫ですか?」
「失礼。お気遣いなく」
「蜂蜜……お好きなんですか」
「彼はこの強面で意外と甘いものが好きらしいんだ。昔、こっそりと……」
「エリオス、やめろ」
顔をしかめて、渡された布で口元を拭くゴドランを興味深そうに見ながら、女主人は目をわずかに笑みの形に細めた。
「好きだったんですね」
「……あまり大っぴらには認めたくないのですが」
「いいじゃないか。ゴドラン」
いいわけあるか。余計なことをいうな。絞め殺すぞ。
「隠していらっしゃるの?」
「………はい」
「では、これ以上触れてはいけないわね」
「ありがとうございます」
彼女は、昔、彼が差し出した手に蜂蜜の小壺を押し付けたときより、ずっと落ち着いた眼差しで彼を見て、秘密を共有する共犯者の笑みを浮かべた。
これで本当に俺が甘党だと思われていたら泣く。
ゴドランは食前酒のグラスを下げに来た給仕にワインを持ってくるように言った。
甘くない酒が飲みたい気分だった。
胸が痛いので、一度切ります(笑)
「一角獣の赤い糸」をお読みくださった方はご存知かと思いますが、ゴドランとヒロインは二人とも言語外意思疎通能力が高い人です。
エリオスは軍事関係は強いのですが……恋愛話ではポンコツ感が否めませんね。




