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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋


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食事

ここで一旦、時代が戻ります。



「お嬢様、お食事を」

「これが終わったらね」

「お嬢様」


イリューシオが引かない。

これはよほど業を煮やしているに違いない。流石に今日あたりは一度言うことをきくべきか。

私は渋々、作業の手を止めて、彼が差し出す水盆で手を洗った。


午後の日差しが窓から斜めに少しだけ差し込んでいる。

開け放った窓から見える土木作業現場では、木製クレーンが石材を釣り上げている。男達が安全作業のために掛け合う声がかすかに聞こえてくる。

城塞の工事は順調だ。


私は、テーブルの上に目を落とした。豆の入った冷めた麦粥は、なんとも食欲のわかない見た目だった。

素っ気ない浅い器にべたーっと入った粥の端っこを木の匙で無意味に捏ねくりながら、私は傍らに立つイリューシオを恨めしげに見上げた。

「食べなきゃダメ?」と視線で訴えるが、彼の視線は揺らがない。

「ダメです」一択。

私は仕方なく、ふやけきって逆にモソモソする粥を口に押し込んだ。たいした量ではないので、すぐに食べ終わる。


「……牛乳欲しい」


思わず口からこぼれた言葉を聞かれたらしい。イリューシオが微かに困った表情を見せた。

しまった。これは失敗だ。

この無い無い尽くしで食糧難の今のオルウェイで、私の身分で、ないものねだりの我儘は、使用人を困らせるだけだ。


欲しいなら自分で調達するより他ない。……そう、子供の頃、実家でそうしたように。





私の生まれた国アトーラは、上り調子の新興国家で、戦争は多くしていたが、勝率が良いらしく困窮してはいなかった。元は農耕主体の国だったようで、温暖な地ゆえ穀物生産は十分にある。

穀物食を中心に、郊外の一次産業従事者は朝夕二食、都市では軽い昼食がある三食の食生活は、けして貧しくはない。

西は海に面していて、東には山脈もある土地柄のお陰で、魚介も獣肉も食べる習慣はあって、食に関しては恵まれている方だった。


と言っても、それはあくまでも同時代の周辺諸国と比べての話である。

転生者である私の記憶、つまり、国際化が進んだ世界有数の美食、飽食の国でのオーバーテクノロジーな食生活と比較してしまうと、この世界の”古代メシ”は、なんとも物足りなかった。


前世では特に美食家というわけではなく、料理も凝って作る方ではなかったので、どうしても味が許せないというわけではない。この世界で生まれ育ったお陰で、故郷の味、家庭の味は、完全に現地ナイズされているから、味噌、醤油欠乏症で悶えるわけでもない。

卵かけご飯に醤油の記憶はあるものの、竈の灰に埋めて作ったゆで卵に魚醤(ガルム)を付けて食べるのは、十分に美味しいという感覚で育ったのが、今の私だ。


だが、しかし!


視覚は!映像記憶は、他の感覚よりもしっかり前世のものが残っているのだ!!


食材は、彩りを考えろ!

緑、黄色、赤を上手に配置しろ。

衛生面で葉物の生食が難しい?衛生に気をつけて作れ。上水を引け。それが無理でも根菜と果菜があるだろう。

調理方法が煮ると焼くしかないだと?煮るができるなら、”色が鮮やかで歯ごたえが残る程度に、さっと塩ゆで”だってできるよな。蒸気で蒸すだってやればできる。本気出せ!

それに、焼くなら、焦げだけではなくて、メイラード反応の”こんがりきつね色”を目指せ!(玉ねぎは飴色まで可)

可食部を加熱処理するだけが料理じゃないぞ!

素焼きの赤茶色の皿しかないのはわかった。だからといって無神経に乗せるな。

並べる。重ねる。添える。散らす。

盛るという概念に動詞を増やせ。

そして、器の上の余白は、まだよそえるかな?ではなく、見栄えのために空けるべき空間だと考えろ!!


幸運なことに、私の生家は上流階級で生活にゆとりがあり、使用人も多く、政治的会食が自宅で開かれる機会も多かった。


私は、ごく小さな子供の頃から、晩餐の準備のために裏庭に並べられた食材を、使用人と一緒に検分し、試作料理にダメ出しをし、盛り付けに口を挟んだ。

父母も兄も使用人も家のものは皆、末っ子の私に甘かったので、私は生意気で我儘なお嬢様の立場を存分に悪用したのだ。

もちろん、晩餐に女子供は参加できない。自宅で開催されると言っても政治的な会食は男のためのものだ。それでも多めに供される料理の残りは、翌日の食事に回されることが多いし、意識改革した料理人は、平素の料理でも気を使うようになってくれるので、私は頑張って細々と介入し続けた。


幸い、私が介入した風変わりで見た目の良い料理は会食の席で好評だったようで、私は食材の調達や厨房の仕事について、例外的な発言権をもらった。


西海と東の山脈の間に挟まれて、南北に長いアトーラでは、その気になれば、食材は比較的バリエーション豊富に調達できた。

父の命令で、私が好みそうな食材を持ってきてくれる商人が、ときどき家に来てくれた。私は彼らに好き勝手に注文した。


ヤマネやハリネズミはいらない。

クジャクを食用にする気はない。

珍味はいらないから、外国の優良食用栽培品種が欲しい。

赤紫色と黄緑色の人参は採用!

胡瓜かズッキーニか分からない指サイズの小瓜と、ピーマンか唐辛子か判別しづらい謎の果菜は要検討。まずはピクルスにしてみよう。

香辛料?薬草?贅沢品は程々で。

私に植物油と乳脂肪を寄越せ。


炒める、揚げるを調理法に加えるためには、クセのない植物油が欲しい。

小さめのオリーブは食用に作られていたので、試しにオリーブオイルを作ってもらった。香りは良かったが保存が今一つ。そして香りが強すぎて、汎用には向かない。

乾燥させた種子を絞って油が採れる植物を見つけて大量に栽培するまで、揚げ物は保留。

牧畜と肉食は盛んではないが、豚は飼われているため、ラードは手に入った。しかしこれも保存がきかないし、腹に重い。そして獣脂で作ったパンやパイは、固いし冷めると美味しくない。


バター!ミルク!生クリーム!!

小麦食なら牛乳プリーズ!


農園の牛は、農業労働や輸送目的の使役用で、乳牛という概念は希薄だった。

前世の自分が恩恵を享受していた何千年の品種改良を経た家畜は、いかに偉大だったかをしみじみと思った。ホルスタインよ、君は生物の理を逸脱した乳の出しっぷりだったのだな……。

私は、出入りの商人にお願いして乳の出のいい種類の牛を探してもらった。

数年後に連れてこられた牛は、酪農が盛んな国で飼われているという話だった。たまたまその時、熱を出して寝込んでいた私は、飲ませてもらった牛乳の美味さに感動し、その勢いで全快した。牛達は牛飼いとセットで買い取られ、うちの農園で我が家用の乳製品を供給してくれるようになった。


もちろんここでも保存の問題はつきまとう。

牛乳をそのまま飲めるのは農園に遊びに行ったときだけで、本邸には塩辛いバターが届く程度だ。

製法の確立していない発酵食品は腐敗と紙一重なので、ヨーグルトとチーズは様子見なのだ。農園でワインを作っている職人さんに、チャレンジしてもらっていて、なかなか不思議な味わいの試食品が上がってきていたので、そのうち面白いものが食べられるかもしれない。




「もう少し落ち着いたら、オルウェイ(ここ)の近郊にも農場を作って、うちの農園の人から何人かきていただきましょうね」

「適した用地を探させておきます」


イリューシオは、空いた皿を下げて、干したデーツを一つ出してくれた。南方で良く食べられている甘味だ。本当に彼は私の機嫌の取り方を良く知っている。

私は、少しでも早く食糧事情を改善すべく、午後の仕事に打ち込んだ。




数年後、我がオルウェイは一応の復興を遂げ、周辺の一次産業地域との需要供給の流通体制も含めた都市機能をなんとか確立した。

計画的な水利事業の進展とともに、農園は拡大し、農業生産高は増加した。大規模農園での穀物の自給と安定供給がある程度見込まれた時点で、私は商品作物を供給するオルウェイのための近郊農業農村の整備にも資金と人を投入した。少量多品種生産は荘園式の大規模農園よりも、個人の畑でやらせる方がいい。差別化を意識した生き残り競争は、農作物を劇的に改善してくれるだろう。


近郊に作ったのは農村だけではない。海に面しているオルウェイには、元々、漁労従事者がそれなりにいた。

私は彼らをオルウェイから少し離れたところに移住させ、新しい漁村を作らせた。

都市として整備されるオルウェイ付近の海は、工事の排水で漁場が壊滅するからだ。工事が終わっても、多数の工房を抱える予定で、人口の密集が起こる都市からの排水は、漁業にとって致命的だ。

美味しいお魚を安心して食べたい私は、オルウェイ近海での漁労を禁止して、漁村ごとに扱う魚と漁労海域を指定した。

オルウェイには、貿易港とは別に、各漁村からの漁船の水揚げ専用の港を造り、水産物加工場と市場を併設した。干し魚や海藻の加工品などは漁村で作ってもらえばよいのだが、鮮魚はスピードが命だ。大規模消費地に直接納品して現金化できることで、漁師たちは大いに稼いだ。

私はその資金を、船の建造と新事業……生け簀での魚の養殖や、筏式の貝類や海藻の養殖、水産加工食品の開発に投資するよう勧めた。

オルウェイの立派な公共議事堂に集められたにわかの魚長者達は、提供された美味しい酒と洒落たオードブルでいい気分になったところで、ダンダリウス行政官直々の事業講習会を受け、見事に洗脳されてくれた。

ダンおじさまは、押し出しが良くて、説得力があるので、彼にうちのスタッフがまとめた資料と数値を渡して、私が描いたパネルを解説させると、ほぼ100パーセント話を通してくれるのだ。


この初期の魚長者の中から、西海の果てどころか、北海まで漁に行く遠洋漁業のツワモノや、真珠王と呼ばれる大富豪などが生まれたので、詐欺臭い手口だったとしても許して欲しい。

オルウェイ公認の賭場や歓楽街が港から行きやすいところにあるのは私の設計だが、吸い上げた資金はそれなりに還元したつもりだ。


ちなみにオルウェイ海軍の初代航海長と艦隊副司令も漁村の出身者である。二人とも「”カジノ貯金”をしているから、必ず受け取りに戻ってくる」と行って出港して行く典型的なオルウェイの海の男だ。……そういう奴が典型的だと言われるのはどうかと思うが、なってしまったものは仕方がない。




念願の水道橋が完成し、上水道が整った頃には、オルウェイの太守館の一角にある菜園と、薬草園では、私用の野菜や香辛料が作られるようになった。

念願の生野菜のサラダである。


植物油は、日輪花という小ぶりなヒマワリに似た花が見つかり、その種子から採取できるようになった。オルウェイの近くにあるファスカ島という小島に大規模な日輪花畑を作って、そこで栽培から精油まで行っている。

これに関しては私は、うちの食卓で料理に使える量が十分に確保されればいいと思っている。オルウェイの行政府が政治用会食の調理用に回してくれと言ってくることがあるので、毎年多めに作っているから、余った分は売っている。強い香りがなく、さらりとしているので、メイク落としやマッサージにも使えるといって、高値がついているようだ。希少品は美容に良いという噂がすぐに立つのは面白い現象だと思う。




オルウェイの工房街に、各地から集めた職人を住まわせて、私好みの品を作ってもらえるようになったことで、私はついに美しい器を手に入れた。

釉薬を使った陶器。様々な彩りのガラス器。繊細な金属加工品。色、柄、形、機能……用途に応じた必然性と、見て楽しむと言うだけの大いなる無駄が作り出す芸術品だ。

なぜ、ただ単にゆで卵を立てて置くために、鳥が翼を広げた意匠の繊細な細工の器がいるのかって?

だって綺麗でカッコイイでしょう!

なぜ、テーブルに何枚も布を敷くのかって?

濃い色の布の上に白いクロスがあると美しいでしょう?それに各自の席の前に個人用のクロスがあると、こぼしたり汚したりしたときにすぐに代えられるでしょう。

テーブルにパンや料理を直置きする習慣しかないお客様を歓待するための知恵なのよ。

オルウェイで公共事業を受注したいなら、オルウェイのテーブルマナーを身に着けろと巷では言われているようだけれど、商売っ気があるならその程度の気は使ってもらいたいと思う。






「急なことで内々の簡単な席しか用意できませんでしたの。臥式の正餐の席でないので、マナーなどは気にせずに気楽にお食事を楽しんでください」


私は緊張に胸を高鳴らせながら、二人の客人を案内した。

いや、正確に言えばうちの一人は客人ではない。彼はこの館の本来の主だったはずの人だ。

私はこっそりと()()()の横顔を見た。


どうしよう。カッコいい。


入浴してきちんと髪や身なりを整えた姿は、これまで描かせたどの絵姿よりも凛々しく格好良かった。記憶にあるよりも少し歳を重ねて男ぶりに落ち着きと深みが出ているあたりがたまらない。


先程、うっかり妄想が口をついてしまい、相手の気を悪くさせてしまったようなので、私は慎重に、自分の浮ついた気持ちを胸の底に押し込めた。


「どうぞ」


案内したテーブルの前で、二人の男は立ち止まってしまった。

軍では座式の食事の機会は多かったはずだが、何か気になることか落ち度でもあったろうか。


「あ……申し訳ありません。うちのものが私の席も作ってしまったようですね。今、片付けさせます」


私が3つ目の席を片付けさせようとしたところで、「それには及ばない」と、黒髪の客人が言い、同意を求められた夫もぎこちなく頷いた。

私は二人に礼をいい、あらためて席を勧め、二人が座ったあとで自分もいつもとは違う下座の席についた。


座る位置が違うせいか、いつも食事をしている晩餐室が、まるで別の部屋のように思える。

飾った花は華美すぎではなかったろうか。クロスの色味は落ち着いたものにしたが、帰還祝いならもっと華やかな方が良かったろうか。椅子の背にあてた飾り布の房が少し乱れているのは気になったろうか。

ひょっとして何もかも目に入っていなくて、どうでもいいから早く何か食わせてくれと思っているだろうか。

色々な心配が頭の中で渦巻いて、緊張で耳鳴りがしそうだった。

私はできるだけ落ち着いた様子を保とうと努力し、少しでも太守夫人としてふさわしく優雅に見えて欲しいと祈りつつ、微笑んだ。


私好みに作り上げられた”オルウェイ料理”の晩餐は、いつも通り素晴らしかったけれど、初めて夫とともに食事をすることに舞い上がっていた私には、全然味がわからなかった。


それでもあの人が私の目の前で、一言「うまい……」と言ってくれた瞬間に、私は世界最高の美味を味わった心地がした。




後に「記念日にして祝おうかと思った」と打ち明けたら、「恥ずかしいからやめてくれ」と言われた。

私も流石に恥ずかしいと思うので、その場限りの話としたが、それでも私の中では、今でもあの日は、大切な記念日なのである。






「考え事かい?」

「ええ、少しだけ昔のことを思い出して」

「豆入りの麦粥に思い出が?」

「ふふ。昔はこれが少し苦手だったの」

「そうなのか。その割には楽しそうな顔だと思うが」

「あなたの顔を見ながら一緒に食べるとなんでも美味しいのよ」

「単にうちの食事が世界一美味しいからだと思うぞ」


真顔でそう答えた彼は、砕いたカリカリの揚げパンと、薄く削ったチーズを散らした粥をもう一匙食べてから、あらためて私の顔を見た。

彼の青い目が少し細められて、目尻に微かに皺が寄った。


「ああ。君が正しい」



私達は昼食を済ませると、新世界航路探査船の進水式に出席するために一緒に港に向かった。

白菜紙さん!食の話どーぞ。

どうだ、6千文字超えたぞ!!

(リクエストに弱い作者です)


だいぶ端折ってこれだよ……。

作者の設定管理能力が低いので、この話をしてからでないと、後世の料理の話ができないんだよ。(泣)

というわけで、これを踏まえてディナーの話に続きます。


ところで

帰還当日の晩餐も端折ってしまいましたが、エリオス達視点って入れておいたほうがいいですかね?

概ねご想像どおりの展開にしかなりませんがw


→ゴドラン視点でとのリクエストいただきました。次回、その話にします。

この初恋新婚気分夫婦の隣でメシを食う羽目になる彼の視点でとは、容赦ないなぁ(笑)

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[一言] この初恋中学生カップルの脇でご飯食べるゴドラン…天国と地獄ってこういうことだったっかけけっか?と思いつつ… 目が料理を覚えていると盛り付けにうるさくなっていけません。うちの親も小さい皿になん…
[一言] 「うまい……」とあなたが言ったから七月六日は晩餐記念日 流浪の旅から帰ってきたら「簡単なもの」と言いつつ見た事もない洗練された晩餐が用意されてオロオロするエリオスを横で笑ってるゴドラン氏の…
[良い点] 器の上の余白はまだよそえるかな? ではない!←ですよね!!! 現代人の「美味しそうでスマート高そうな食事」という「正解」を知っている強みがw あと、夫と食事時の奥様の内心の乱高下が微笑まし…
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