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青い鷹は翼を休めたい  作者: 雲丹屋
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夜は深く、されど月光は我が胸を照らす

投石機などの大型攻城兵器を扱う部隊の下働きから、補助隊内の偵察小隊長になったエリオスは、じきに本隊の遊撃部隊にまわされた。


一瞬の判断が命を分ける最前線で、彼には一切の迷いがないようにみえ、とにかく強かった。

単に武力で勝るだけではなく、最悪の状況下で諦めずに勝ち筋を見つけるのが抜群に上手かったのだ。なぜ諦めずにいられるのか、死ぬのが怖くないのかと尋ねられたとき、彼は「どれほどの窮地に陥っても絶対に負けない英雄の名を貰ったから」と答えた。


"不敗の英雄の名を貰ったらしい男"が、"不敗の男"と噂されるようになるまで、さして時間はかからなかった。


本隊の遊撃部隊内で功績を上げ続けた彼は、補助兵上がりとしては異例の早さで副隊長になった。遊撃隊の隊長は豪胆だがその分大雑把な男で、隊内の平時の些事をことごとくエリオスに丸投げした。


「これも経験だ」

「サボりたいだけでしょうが」

「あー、俺はいい上官だなぁ」


彼はたしかに面倒見の良い上官で、意外に丁寧に仕事を教えてくれた(が、教えた仕事は押し付けた)。




「お前は見どころのある奴だ」

「今度はなんですか」

「俺のかわりに宴会に行け」

「自分で行けばいいじゃないですか。酒、好きでしょう」

「執政官の邸宅で元老院や将軍クラスと一緒に飲む酒なんて味がせん」

「そんな宴会に俺なんかを行かせるだなんて正気ですか?」


「これも経験だ」と笑った上官は、エリオスの将来のことを考えてくれていたのか、本当にサボりたかったのか、結局わからずじまいだった。




当日、謀ったようにきっちり急な任務だと言って出掛けた隊長のかわりに、エリオスは宴会に出席した。

執政官の邸宅は、開放されていた庭園部分だけで部隊の宿営地にできそうな面積があった。

幸いに、エリオス以外にも各隊の副隊長は出席しており、隊長が欠席だからといって、エリオスが隊長のかわりに偉い人組の宴席に呼びつけられることはなかった。


上層部が邸内の宴会場に案内されたあと、エリオスは、庭園に残った他の副隊長クラスのメンバーの端っこで、できるだけ目立たないようにしていた。


新しい半革靴も、借り物の上衣も着慣れていないせいで、どうにも自分が場違いで悪目立ちしているように思えて居心地が悪い。食べ物や飲み物を運ぶ奴隷の娘たちが、時折、こっちを見てクスクス笑っている。

元々、同年代よりも背が高く目立つ方だったが、隊で出世してちゃんと毎食しっかり食えるようになってから、筋肉もついてきたせいでさらに目立つようになった気がする。軍の中ではそうでもないが、街中ではすれ違う者から視線を向けられることや、女達にヒソヒソ話をされることが増えて、彼は最近、人の多いところに行くのが億劫に感じていた。




一通りの食い物が出終わり、酒がメインの時間になると、隊長以上の面々が庭園に出てきた。


「うわ、帰ってきた……」

「おい、遊撃隊の。お前、初めてだよな。覚悟しとけ」

「はい……?」


古参の副隊長達の小声の囁やきを怪訝に思ったが、聞き返す間はなかった。

日頃、厳しい顔で命令を下す恐い男達が、どやどやとやってきて、庭園のその一角は急に圧が上がった。

奥では早目の時間から酒宴になっていたのか、偉い人達は皆、すっかりできあがっている。


「おい。飲んどるか」

「は!存分にいただいております」

「よし。あのアホンダラの酒蔵を空にしてやれ」


ときの執政官をアホンダラ呼ばわりした軍団長は、国でも有数の権力者の家系で、祖父も父も執政官経験者で元老院議員。本人も順調に出世しており、もう数年すれば執政官になると言われている人物だ。


市民権すらない流入民出身の親なし子だったエリオスにとっては、雲上人である。軍でそこそこ出世した今でも、いや、軍の序列に入っているだけに、所属している軍団の総指揮官でもある彼は、任務でもろくに近づく機会がないほど偉い人だった。

以前、報告書を邸宅に届けたときが、ほぼ唯一の接点だが、その時も軍団長の執務室内にいた解放奴隷らしき召使いに渡して帰ってきただけである。



その果てしなく偉い上官が、今、エリオスの背中をバンバン叩きながら、延々と()()()をしていた。


「始まった」

「今日も絶好調だ」

「長くなるぞ」

「あの若いのも可哀想に」


隊長、副隊長を問わず、古参メンバーはいつの間にかするりと器用にいなくなっていた。

気がつけばエリオスは、軍団長と差し向かいで、飲む羽目になっていたのだ。


後から教えて貰ったところによると、酔った軍団長のこの"悪癖"は有名らしい。

軍団長は非常に優秀な軍人で、節度ある思慮深い政治家で、冷静で博学な知識人だったが、遅くにできた末の娘が可愛くて可愛くて、酒が入るとその話が止まらなくなるのだ。

それが単に美人だとか愛らしいという話なら、酒宴の余興のために呼ばれている詩人あたりを呼びつけて、即興でその美を讃える歌を作らせて場をつなぐことができるのだが、この軍団長の娘自慢は、そんじょそこらの吟遊詩人の手に負えるものではなかった。


「それで、そのとき娘がなんと言ったと思うかね?」

「わかりません」

「"お父様。水道管は加工がしやすい鉛や青銅ではなく、陶管を使ったほうが良いです。鉛は水を悪くしますし、青銅は長期の使用に耐えません”だよ!素晴らしいだろう!」


どう返答してよいやら、どの話も聞く側が当惑するような話ばかりだったのだ。この父娘の間では理解しあっているようだが、余人からは「家で娘さんとそんな妙な会話してるんですか?」としか言いようがない。

特に軍の部下にとっては、絶対に逆らえない上官が、要点がナゾな話を延々とし続けるが、適切に褒め称えなければならないという地獄の試練であった。




エリオスにとっても、軍団長の話はちんぷんかんぷんだった。

だが、彼はあの緑の庭園の日差しの中に駆け出してきた少女が、キラキラした眼差しで語った話だというのなら、どんなに理解不能な話でも、一体それはどのような考えから出てきたものなのか、興味が湧いた。


「それは一体どうしてですか」

「なるほど」

「なぜそのようなことを?」

「そこをもう少し詳しく」


最近、皆に敬遠されて聞き手に不自由していた軍団長は、身を乗り出して真剣に自慢話を聞いてくれる相手に、上機嫌になった。



その日、いつもより遅くまで飲み明かして、酔い潰れた軍団長を自宅に送る役目は、エリオスに任された。




家の使用人に、眠ってしまった軍団長を渡して、帰ろうとしたエリオスは、邸の内窓の一つに灯りが点ったのに気づいた。

家人が物音で目を覚ましたのだろうか。

手燭の小さな明かりが揺れて、ほっそりとした人影が見えた。


「お父様がお帰りになったの?」

「はい。旦那様はお眠りになっておられますので、お嬢様もお休みください」


夜が遅いため低く抑えられていたが、エリオスの耳はしっかりとその、昔よりも子供っぽさの消えた声をひろった。


彼は内窓の小さな明かりが消えるまで立ち尽くしていたが、その後は特に声が聞こえることもなく、使用人が立てる僅かな物音だけになった。




今夜は月が明るいな、と思いながら、エリオスはいつもより酔いの残る妙に高揚した気分で、兵舎に帰った。



月が綺麗ですね。


……の一言さえまだ思い至らず胸の内。

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