春は希望の季節〈丹治エント〉
俺より少し遅れてラウンジに現れた森木林さん。
自己紹介で、彼女は20才だって知った。6月の誕生日が来たら21歳になるって。
俺たちはこのジムに入会した 経緯などを、話題にして軽くトーク。
彼女はダイエットと筋力UPのために入会したと言った。
彼女と母親はケーキ作りが趣味だそうだ。そして彼女の祖母の『うめちゃん』は、若い頃からケーキが大好物なのだとか。
大好きなうめちゃんを喜ばせたくて、母親と新レシピを考案しては、改良を繰り返し、そのたび試食していたらいつの間にか太っていたらしい。
「私ね、その頃自分が太って来てたことに、なぜだか全く気がつかなかったんです。ある日ですね、エスカレーターに乗っていた時、横の壁に鏡があって、そこに映った自分の二の腕に驚愕したんです! だって自分が思っていた3倍むっちりしてたんだもん!」
二の腕をさすりながら表情豊かに俺に話してくる森木林さん。ちらりと視線を向けるとその白い腕は細くも太くもないけど。
‥‥‥俺、仕事以外で女の子とこんな風にリアルでトークするのはいつ以来だろ? 新鮮だ。
「それでね、即座に食事制限を始めたんです。炭水化物はカットして、主に野菜だけ食べて過ごしたんです。だって、肩から特大大根が生えてたんですよ? 必死でしたよ、もう!」
食事制限をしたら痩せられたものの、体調を崩してしまったそうだ。先程の貧血気味も、そのせいだと言った。
それで偶然渡されたチラシで知った "春のキャンペーン" に後押しされ、このスポーツジムに入会したそうだ。
ダイエットで筋肉と体力が無くなり、ケーキ作りにも支障が出るとかで。
ケーキ作んのと筋肉に、なんか関係あんのかその点は不明。
「えっと、森木林さん。貧血気味なら鉄分入りのシリアルなんていいんじゃない? 薬で取ると気分悪くなる人もいるし」
「そうですね。美味しければ続けられそう。早速シリアルも朝食に取り入れようかしら。で、あの‥‥‥森木林って長いから あざみって呼んで下さい、丹治さん」
ふぁっ! 名前で? 距離近くないか? いきなり。俺たち初対面だぞ。‥‥‥いいけどさ。
「ええと、じゃあ‥‥‥あざみちゃん? 俺みたいなおじさんがいいのかな。そんな呼び方。他の人は君を何て呼んでるの? ニックネームとかあるの?」
「丹治さんて、おじさんだったのですか? 違うと思いますけど。‥‥‥呼ばれ方ですか?‥‥‥う~ん‥‥‥大抵は森木林さんが多いかな? 仲いい女子はあざみって呼び捨てです。他はあざみちゃん、かな。男子は‥‥‥一部『ジャングル』とか呼んできますけど。それは小学生の時から言われがち! 木がたくさんあるから。うふふっ」
でもなんで、若くてきれいな子が俺なんかと親しく話しているんだろう?
‥‥‥この子。俺のこと、恋愛対象として見てない? だから、友だち感覚で名前で呼んで、なんて言ってるのか? そうじゃなかったとしたら‥‥‥あれしかないだろ。
──俺は警戒した。
だって、こんなの変だ! そうだろっ。
これ、なんかの勧誘?
新興宗教とか。選挙協力依頼する気? それともなんか高額商品買わされるとか。‥‥‥まさか水系バイトしてるとか? だからってこんなプライベート時間に店の顧客開拓するわけねーよな? そういう系の子には見えないけど。
‥‥‥とにかく君子危うきには近寄らずだ。
俺はグラスに残っていたプロテインを一気飲みして立ち上がった。
「ええと、じゃあ俺はこれで。あざみちゃんはゆっくり飲んで休んでから帰った方がいいね。また倒れそうになったらいけないし。じゃ‥‥‥」
「えっ?‥‥‥いえ、ありがとうございます。丹治さんがそういうならそうします。お疲れ様です」
カウンターテーブルの横のスツールに座っていたあざみちゃんの目が若干ゆらいだような気がしたんだけど、気のせいだ。
俺に冷たくされて悲しむ女の子なんているわけない。カモが逃げて残念がってるだけじゃねーかな。
‥‥‥とは思っていたものの。
俺は誰もいない侘しいワンルームに戻った後も、あざみちゃんのことが頭から離れていなかった。
唐突に席を立ったことを "後悔"
気を悪くしたんじゃないかと "反省"
無事に家まで帰ったのかと "心配"
こんなだから俺は女性に相手にされないんだと "自己嫌悪"
しかし、初回ラウンジトークはどうであれ、それ以降、あざみちゃんと俺は顔見知り以上にはなったのだった。
───それから1ヶ月の間、木曜日以外の平日の遅い時間帯でも度々あざみちゃんと一緒になった。
男性スタッフはあざみちゃんと話したいらしくて、フロアに現れてはよく声をかけている。そんな場面を見ると、なぜかジェラシーがわき起こる俺。
だからって、俺は何も気にして無いふりしてるけど。
それでも展開は‥‥‥いつもこういう感じになる。
「あっ、丹治さんだ! おはようございまーす」
彼女は俺を見つけるとすぐに寄って来て声をかけて来る。
その度俺はちょっと優越感。
「あれ? 来てたの? おはよう、あざみちゃん」
いたのとっくに見えてんのに白々しい俺。
あざみちゃんと軽く談笑の度、なんだか周りの視線が気になる。どう見えてんの? 俺たち。
彼女が俺に向けるその微笑みにはどんな意味があるんだろう? 貧血の時に助けられたからなついただけか? それにしても、俺のこと特別扱いしてないか?
バーカ。期待したら後が痛いだけだ。カモに餌とか。そうだよな。うん、それしか考えられない。
こんな可愛くて若い子が向こうから俺を特別視するなんて。ありえんだろ‥‥‥
わかってる。わかってんだってば。わかってんのに‥‥‥‥‥
──俺、どうかしてるだろ。この子より8才も年上なんだぞ?
でもさ、あざみちゃんの俺への態度、俺に気があるようにしか思えない。
彼女が、挨拶以外で話しかけんのは俺だけ。あざみちゃんって呼んでるのもたぶんここでは俺だけ。ラウンジで席を共にすんのも俺だけ。
好き・カモ・好き・カモ・好き・カモ・好き・カモ・好き・カモ‥‥‥‥‥
俺の思考は堂々巡り。
こんなの初めてだ。この数学ヲタ青春を過ごしてきた俺にとって。
そうだ。ショウに相談してみっか。
同僚の古谷ショウ。
スカして気取った俺の同期。古典のイケメン人気講師。あいつとは張り合いながらもなぜか仲良くしてる。
ショウとは同時にある一人の同僚の女の子を好きになったこともある。その永井さんは短期留学したいとか言い出して、3月が始まる前に急に退職してしまった。甲斐会長からも休職扱いにしてあげるからと引き留められていたのにもかかわらず。
俺はとっくに彼女のことは諦めていたからいいけど、ショウはかなりのショックを受けていたな。
‥‥‥でもさ、あいつのことだから今でも永井さんに裏で、地道にアピール活動続けているかもな。知らんけど。
ショウは、職場でも地味にモテてやがるのに、そういうとこ真面目で一途だよな。他の人になびいとけば楽しくやれそうなのに。
俺は相談があるとショウを誘い、二日後に実現した。
仕事帰り、俺のワンルームに来たショウに、今までの経緯を話し、アドバイスを求めた。
「だからその、"カモ" かもって言うのさ、エントは警戒し過ぎじゃないかな?」
床に座り、テーブルに肘をかけ、片ひざを立てて缶ビールをすするショウ。
はぁ‥‥‥手足の長いヤツは だらしない態度すらカッコよくてムカつくぜ。
あ~あ、俺もショウみたいに生まれたかったな。
「‥‥‥そう思う?」
俺は自分が可愛い女の子から好かれているかも知れないなんて、にわかには認められないんだ。
何かの目的で、デカイ釣り針and餌撒かれてるだけだったとしたら?
このまま本気で彼女に恋してしまったら、いい年した俺の純情は打ち砕かれ、傷を負い一生独身でいる可能性が高まるだろう。
「どういうバイトしてるかくらい聞いてみればいいじゃないか。店に来てなんて言われた事一度も無いんだろ? 今まで金に関する話なんて一回も出て来たことないんだろ? 疑い過ぎじゃないか?」
「そうだけどさ‥‥‥」
「それに大学名も家族の事までペラペラエントに話してるんでしょ? だったら、そこまで疑わなくていいと思うけど」
「まあな‥‥‥」
だけど、向こうからこの俺に好意的に振るまうなんて、他にどんな理由があるって言うんだよ?
「そういう打算は相手をよく見てればわかるって。いいじゃないか。エントが好きならコクれば。いや、わりと積極的な子みたいだからエントがコクられる可能性だってあるかもね。そういうシチュエーション作ってみれば?」
「俺がコクられって‥‥‥なわけねーだろっ! からかうな、ショウ。ど突くぞ?」
「‥‥‥‥‥エントは自分が思うほど悪くはないよ? ん?」
そんな俺にグサッって刺さるセリフをさらっと吐いといて、自分はツマミのミックスナッツをポリポリ‥‥‥
「あれ、ピスタチオだけがもう無い‥‥‥エントが食べちゃったんだろー」
ったくさ、こいつはさ、しなやかな男でさ、俺みたいなブサメンが僻んで突っかかってみたところで、こうやってスカってかわされて仕舞うんだ。
ショウは小さな頃から周りから愛されて大切にされて育って根性が曲がりようも無かったんだろうな、って俺は想像してる。
こんなに近くにいんのに俺とは違い過ぎて、実は遠い存在の俺の友だち。
「食ってねーよっ! カラたまってんのショウの方が多いだろうが」(#゜Д゜)
「‥‥‥ほんとだ。いつの間に」( ・A・)
ったくさ。ちょっと天然。
‥‥‥俺さ、同期にショウがいてくれて良かったと思ってんだぜ? お前なんかにはぜーったい言わないけどな!
「よっし、ショウがそこまで言ってくれんならタイミング見てコクってみようかな」
「おう、頑張れよ。もし砕けたら俺が抱いて慰めてやる」
「ぶっ!‥‥‥キモいこと言うなっ! このやろうっ」
俺はビールを吹き出し、手の甲で口を拭いながらテーブルの下からショウの脚をバシバシ蹴る。
「うわっ、こぼれたっ! 本気にすんな、オタクめっ! 今のうちに そこに並んでるオタク仕様の表紙の小説、見えないとこにしまっとけっ。見られたら女の子が引くぞ」
手にしたビールが、こじゃれたワイシャツにこぼれ、おかんむりになったようだ。関係無い所に突っ込みを入れて俺に痛手を食らわせようとしたな?
でもまあ万が一、この部屋にあざみちゃんが来た場合に備えてアドバイスには従っておこうか‥‥‥
俺は次の日から、少しずつ部屋を片付け始めたのだった。
春は希望の季節だし───