5、6「ラーメン王がやって来る店」
5
夕方に十人目の被害者が発見されたとニュースになる。
ローテは四週目に入り、現場は白虎が走る大通。国道一号線近くにあるゲーセンの裏だ。
『循環する運命はメビウスの輪に巻き取られ/紐が千切れては天秤でも量れはしない』
由莉園の『午前21ヶ月』では『午前10月』に相当する詩なのだろうか。
ポエマーbotの目的が天唱トンネルの工事中止なのだとしたら、由莉園の詩が引用されている理由が分からない。そもそも脅迫状を送ってきたのがポエマーbotだとは限らないのだ。つまり、事件が西、南、東の順で起きていることに目を付けた天唱トンネル反対派が、それを四神相応にこじつけて脅迫に用いただけかも知れない。
一方で、『午前21ヶ月』は大蛸の名前で借りられていた。これは偶然か?
美濃和高校を出た後は、有紀暮を自宅に送り届けて解散とした。彼女は大蛸と連携して高校の関係者で天唱トンネル反対派を洗い出すつもりらしいが、俺には意味があるとは思えない。かと云って他に手掛かりもない。
早くも行き詰まりを感じる。事件に由莉園が関与しているという確証もないままに調べていくこと。そこにエネルギーを割いていくのは結構なストレスだ。
俺は夜になってバイトから帰ってきた絢を、夕食は後回しでいいから裸で浴室に入れさせた。俺もパンツ一丁になって同じく這入る。浴槽のふちに腰掛けさせた絢に軽くシャワーを浴びせた後、その全身に、ローションを混ぜて泡立てたボディソープを薄く延ばすように塗っていく。
「あん。もおユウくん、これ恥ずかしいよ……」
「いいから。きれいだよ」
彼女は普段から除毛クリームで処理しているが、その対象とならない肩や背中、腰回りなんかには細かな産毛がある。俺はそれらを新品の剃刀で丁寧に剃っていく。
これは何週間かに一度、俺が好んでおこなっている作業だ。
作業に熱中すると煩わしい思考から解放される。
しかし剃った箇所を洗い流して手触りや舌触りを確かめていると、絢が小さく喘ぎ始めて、勝手に俺のパンツを下ろした。俺はその手を払いのける。絢が「駄目なの?」と残念がる。
仕方ないので、絢を浴槽の中に突き落として覆い被さって唇を貪り、それからセックスに移行した。結局こうなるのだ。俺はこんなことは全然したくないが、経験上こうするのが最も面倒がなく済むのを知っている。
セックスは労働だ。生きていくうえで労働は避けられない。
絢を三回ほど絶頂させてから俺も彼女の腹の上に射精して、それをシャワーで洗い流していると、まだ息遣いの荒い絢が訊ねてきた。
「今日、美濃和高校に行ったんだってね?」
「耳が早いな」
在学中の後輩から情報共有があったのだろう。いまの三年生には俺を知っている奴もいる。あんなふうに走り回っていたら当然、目撃されている。
「蛸マキちゃんを追いかけてたって聞いたけど?」
「なんだ、知り合いなのか」
そして蛸マキなんて呼ばれているのか。
「ううん。有名な子だから知ってる。どうして追いかけてたの?」
「別に大した理由じゃない。訊きたいことがあったんだ」
「訊きたいことってなに? ユウくんと蛸マキちゃん、どういう繋がりなの?」
「ひったくりだよ」
「え? 蛸マキちゃんが?」
「暇潰しで高校に寄ったら、正門のとこで財布をな。だから取り返したんだよ」
「そうなの。でもあの子、お金持ちなのに?」
「知らねえよ。スリルでも味わいたかったんじゃないか」
俺は絢の追及を打ち切るため、先に浴室から出た。
彼女の独占欲とそこに由来する嫉妬心は面倒だ。真面目に相手をしていたら気が滅入ってしまう。
6
土曜日にも絢が大学で履修している科目はあるが、午前だけだ。昼過ぎには帰宅する。
今日の彼女は百条市のラーメンマップなるものを買って来て、ソファーの上で読書する俺に凭れながら眺めていたところ、いきなり「ぶふふっ」と吹き出した。
「ねえユウくん、見てよこれ。豚骨ラーメンにチーズを乗せるんだって。豚骨ラーメンにチーズ。こんなに山盛りだよ。ぶふふふっ」
「そんなに笑うことか?」
全然詳しくないが、探せばそう珍しくもない組み合わせな気はする。
「だって豚骨ラーメンに、チーズだよ? ぶふっ。これ食べに行こうよ」
そしてラーメンマップに従って百条湖の方に原付を走らせ、〈らーめん興悦〉というその店にやって来た。小さな店で、駐車スペースは二台分だけ。停まっている車はないが、まだ開店前だった。絢の見落としで、五時半開店なのに五時に着いてしまった。
とはいえ何処かに行くには半端な時間なので、店前で待つことにする。俺は煙草をふかして、絢は取り留めなく雑談を振ってくる。
そうしていると隣に一台の車が停まり、まるまると太って頭にバンダナを巻いた中年男が出てきた。男は『準備中』の札が掛かった扉の前に立って、そのまま動かなくなる。
「やば。ラーメン王だよ、あれ」と、絢が耳元で囁いた。
「ラーメン王?」
「ラーメン通のなかでも特に極めてる人のこと。全国を周って名店を知り尽くしてるの」
「あいつが? テレビとか出てるわけ?」
「分かんない。でもオーラがそんな感じでしょ? ラーメン王だよ、きっと」
根拠なんてない、絢の決めつけだった。しかし彼女はラーメン王(仮)に畏怖の念を抱くあまり、俺にぎゅうと抱き着いてくる。暑苦しい。
「ラーメン王だ、あれ。すごい店なんだよ此処。ラーメン王が来てるんだもん……」
その後、五時半になると店主が中から扉を開け、ラーメン王と俺達は店内に這入った。チーズが乗った豚骨ラーメンを食したが、特におかしなことはなく普通だった。
「あ。そうそう、この前ねえ、すっごく変なお客さんがいたの」
食べている最中、絢は唐突に思い出したらしいバイト先での話を始めた。
「最初は普通だったんだよ。ひとりで来たおじさんで、注文の仕方とかも全然、気になるところなかったのね。で、うちのメニューにミニステーキみたいのがあって、それを運んだんだけど……鉄板の上でジュージューしてるまま持って行くから、紙エプロンいりますかって訊くことになってるの。そしたら、いきなりだよ? いきなり『うっわあああ! どうしよっかなあああ!』って大声で叫ばれたの」
「え、そこ?」
「変だよね! 意味分からないじゃん。おでこに手をあててね、すっごい悩んでるの。将棋かと思っちゃったよ。『うわあ! 迷うううう!』って、声もすごく大きいし。じゃあお渡ししておきますねって云ったんだけど、『ちょっとおお、待ってえええ!』って止められちゃってさ」
「紙エプロンで?」
「そう。もらっても無料なんだよ? 迷うなら、もらっておけばいいじゃん。おかしくない? ほんとに困っちゃった。結局、五分くらい待たされたかな……また普通の声量に戻って、いきなり『あ、いらないです』って云われて。その理由がね、『ティッシュ持ってるんで』って」
めちゃくちゃ笑った。
絢のバイトの愚痴はムカつく先輩だとか、客にしつこくナンパされたとかが多くて、それらは大抵つまらないのだが、たまにこういう面白い話がある。
「おかしいよね? ティッシュはエプロンの替わりにならなくない?」
「待って絢。笑って食べれねえ」
そのとき、「ゴホン!」とわざとらしい咳払いが耳に入った。うるさかったようだ。絢が「ラーメン王に怒られちゃった」と小声で云って舌を出す。
ラーメン王はさすがその道の者らしく食べ終えるとすぐに店を出て行き、俺と絢は食後もしばらく喋ってから席を立った。
「ごちそうさまでしたあ」
絢が小さく礼すると、まだ若い店主は「お気を付けてくださいねえ」と声を掛けてきた。
「今夜はこの辺りだって云われてるんで……」
「連続殺人のことですか?」
「そうです、そうです。一号線と、百条湖と、清逸夜見川の順で回ってるらしいですね」
「あは、それなら平気です。絢のことはユウくんが守ってくれるもんねえ?」
恥ずかしいことを云わないでほしいのだが、「そうだね」と相槌を打っておいた。
それにしても、原付で走っていても出歩いている人が少ないように感じたけれど、気のせいじゃなくてそういう理由か。みんな意外としっかり警戒しているようだ。